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愛していると言わない  作者: あしなが犬
第一部 現在と過去
45/113

7-3

 鏡の向こうにいる男が何を考えているか本当に分からない。

 俺にオルロック・ファシズの女を娶らせたいとして、それを断るだろう俺に何らかの条件を付きつけるものと思いきや、その女と対面させたいと言ってきた。

 俺が女に一目惚れをするとでも思っているのだろうか?いや、この男がそんな安易な策を考えるとは思えない。


「だけど、彼女はずかしがり屋さんでね―――いたっ!ちょっと、いきなり蹴っ飛ばさないでよ。」


 鏡の向こうで男は何やら叫んだ後、近くにいるらしい誰かに小声で何事か言って、またこちらに視線を合わせる。


「いや、失礼。彼女が会うならフィリーと二人っきりがいいと言っていてね。まあ、会うと言っても鏡越しだけど、そちらも人払いしてもらえないかな?」

「そんなことは警備上認められるわけがねえ。」


 レグナが俺の前に立ちはだかる。


「心配しなくても鏡越しで話すだけで、実際は全然違う場所にいるんだ。何もしようがないと思うけど?それにお見合いの席では良くあるじゃないか、後は若いお二人でって?」

「ふざけているようならば、これで話は終わりにしましょう。少なくとも私に話すことはない。」


 どこまでもこちらを馬鹿にしているような会話に鏡に背を向けた。

 オルロック・ファシズの妃を娶らせようとすることにどんな思惑があるかは定かじゃないが、これ以上の会話に意味があるとは思えない。何より早くこの男を視界から消したかった。


「ふーん、ここにいるのがお前が消息を探している女性だとしても会わないつもりか?」


 足を止め、すぐに振り返り『どうして知っている?!』と問い詰めそうになる自分を諌める。ここで動揺していると思わせてはいけない。

 俺は殊更ゆっくりと振り返り笑顔を見せた。


「何の話でしょう?」

「またまたぁ。思い当たる人がいるだろう?お前たちが置いていった可哀想な悲劇のヒロイン。いや、お前たちにとっては捨て駒だったのかな?いや、捨て駒だというなら消息を調べさせはしないよね?」


 言い返してやりたい言葉をぐっと飲み込む。


「まあ、どっちしてもあまりに不憫だったから俺が引き取った。レディール・ファシズの間者が嗅ぎまわっている気配がしてからは、それらに見つからないよう隠した。」


 道理でこの八年、死に物狂いで探したわけじゃないが、ついでのある度に間者に調べさせても消息が掴めなかった訳だ。


「アイルフィーダ・ファシズ嬢。ここにいるのが彼女でもお前は会わずにこの場を去るのかい?」


 告げられた名は、俺の想像通りの名前。

 常に心に深く刻まれている名前じゃない。だけど、忘れる事はなく、ふと思い出しては痛む、彼女という存在はは心に刺さった棘のようだと俺は思っている。

 その名前を出されて俺が彼女を確かめずにはいられないと確信している男の顔に会心の笑みが浮んだ。それが癪で仕方なくて、俺の心は大きく揺れる。

 例えこれを無視しても彼女が生きている…それが確認できれば十分だ。今更、彼女に会って自分がかける言葉もない。彼女の恨み言の一つでも聞けばいいのか?

 そんな事のために、この男の思い通りになるのは嫌だ。

 だが、同時に彼女からオルロック・ファシズ側の情報が聞ける可能性はゼロじゃない。少なくともこの男を相手にしているより可能性があるだろう。


「お会いしましょう。オーギュスト、レグナ、外に出ていてくれ。」

「おい!!」

「心配いらない。どうせ、通信を保つためにヤウはここにいないといけないんだ。警備という面ではヤウがいれば十分だろう。」


 この鏡はヤウの魔導によって離れた場所でも通信できるものだ。動力源であるヤウがいなくてはただの鏡だ。

 俺の言葉に『精一杯努めさせていただきます』とヤウが芝居がかったように一礼し、オーギュストとレグナも何か言いたげではあったが部屋から出ていき、あの男も鏡から消える。

 そして、カツカツと聞こえるヒールが踏み鳴らされる音と共に、一人の女が鏡に映る。


「アイル…フィーダ」


 名を呼べば彼女は強張った表情に少しだけ笑みをのせる。

 何処にでもいる特筆すべき点のない顔。質素で無難な洋服のセレクト。ありふれた少女が女性に成長しただけ、彼女を見て俺が心を揺らす要因なんて何一つない…なのに―――


 確かに俺は八年前、彼女を傷つけた。その事を否定する気はない。

 だけど、この八年、いや俺が生まれてから今まで他人を傷つけてきたことなんて数えきれないほどあった。酷い場合、俺は生きているだけで他人を傷つけているという。

 その全てに痛む心がない訳じゃない。謝って済む問題ならば、いくらだって謝ろう。傷つけない道があるんだったら、どんな困難だって構わない。

 だけど、俺が歩む道に誰も傷つけない道なんてなくて、自身も他人もボロボロになっていく道しかなくて。

 だから、気が付けば自分が傷つこうが、他人が傷つこうが、何も感じなくなった自分がいる。…冷たい人間だと自分でも分かっている。だけど、それが俺だ。


 なのに…おかしい。

 確かに俺は彼女を傷つけた。だけど、それは俺にとっては取るに足りないことのはずなのに?なのになんで…


(彼女を前にして俺は動揺している?)


「お久しぶりです、世界王陛下。」


 いざ彼女を前にしてかける言葉も失っていた俺に代わり、アイルフィーダが先に口を開く。

 八年前と同じ声で、だけど、その口調は全く違う。


『フィリー!久しぶり!!』


 そんな風に屈託のない笑顔を彼女が向けてくれるなんて言うのは、俺の都合のいい妄想に過ぎない。そんな風に自嘲して、次にそんなことを考える自分に愕然とする。

 だが、混乱している自分を今は敵方である彼女に見せる訳にもいかない。


「ああ…久しぶりだな。」

「私の事を覚えてくださっているようで安心しました。」


 にこりと笑いながら首を僅かに傾けたアイルフィーダの、あの頃よりも長い髪が揺れる。その艶やかさから彼女が髪の手入れを怠っていないことが分かる。

 化粧もきちんと施された顔は、派手ではないが明らかに八年前の彼女より大人っぽくなっている。そんな事から妙に女を感じてしまう。そんな彼女が


(俺の妃??)


 複雑な事情が一瞬だけ全て抜け落ち、隣で花嫁姿で微笑むアイルフィーダが過る。

 その事に場違いなくすぐったさを感じている自分を不可解に思いつつも、何でもないふりをしつつ彼女に答えようとして声が被さる。


「忘れる訳が―――」

「そうですよね。あんなに手ひどく裏切った相手を早々忘れる訳もないですよね。」


 その笑いながら突き付けられた言葉に息を飲み込んだ。


「八年前、私はずっと待っていました。貴方とともにオルロック・ファシズを出ると決めて、あの日、あの待ち合わせ場所で待ち続けました。」


 淡々と告げられる言葉から感情は読み取れない。


「だけど、貴方は来なかった。代わりに現れたのはレディール・ファシズへの亡命者を捕えるためにやってきた軍人たち。それでやっと気づいたんです。私は貴方たちが安全に亡命できるための囮なんだって。」

「……」


 八年前、俺は結局オルロック・ファシズを捨てレディール・ファシズへ亡命した。

 それは俺だけではなく、オルロック・ファシズにいたヤウを通じて知り合った協力者たちとオーギュストを始めとした仲間、そして、俺は彼女をアイルフィーダをそれに誘った。

 彼女はそれを受け入れてくれ、俺たちは八年前のあの日、共にオルロック・ファシズを去るつもりだった。

 だけど、あの日……アイルフィーダが言う通り、俺は彼女を置いていった。そして、結果、彼女は俺たちが追っ手から逃れるための囮になった。

 それは言い逃れもできない真実。今、彼女に何を告げてもそれは俺の都合の言い訳にすぎない。それが分かっているから、何も言わない。何も言えない。


「八年も前の事を蒸し返すようなことを言って申し訳ないとは思っています。ですが、それによってオルロック・ファシズに反逆者として捕らわれた私にとって、この八年がどんなものだったか…貴方にも責任はあると思いませんか?」


 八年前、アイルフィーダがどうなったのか気にならなかった訳がない。だが、オルロック・ファシズとレディール・ファシズという距離の間に俺が彼女を助ける術は何もなかった。

 だから、彼女を自分の中で切り捨てた。助けたくても助けられない相手を、うじうじと思い続けていても前に進めないのが分かっていたから。

 だけど、そんな風に思っているはずなのに、アイルフィーダの事はふいに思い出す事が何度もあった。

 その度にオルロック・ファシズを調べるついでに彼女の消息を追わせたけれど、今日の今日までそれは何一つわからないまま、彼女という存在は八年間俺の中でまるで棘のように残り続けた。

 棘が刺さろうが、そんな痛みは大したものじゃない。アイルフィーダはその程度の存在だ。


「もし、少しでも貴方に罪悪感があるのであれば、私を妃として娶ってください。」


 だけど、『罪悪感なんてあるはずがない』と、いつもなら容赦なく出てくるそんな冷酷な言葉が、彼女を前にして何一つ出てこようとしない。

 そんな自分が酷く不可解で混乱する。


「どういう意味だ?」

「私はこの八年、ケルヴィンにいいように扱われてきました。だけど、貴方の所に嫁げばそれをお終いにしてくれると約束してくれています。そのためなら私は何だってします。」

「……」


 告げられた事実にあの男への憎しみが増すのは何故だろう?

 酷く混乱する自分と、それを妙に客観的に捕えている二つの自分が忙しく入れ替わる。だけど、答えなんてすぐに出るはずもなく、ただアイルフィーダの言葉を聞いているしかできない。


「言っておきますが、ケルヴィンはどうあっても世界王にオルロック・ファシズの女性を娶らせるつもりですよ。そのためには教会に協力することも厭わないと言っていました。」


 教会が力を持てばオルロック・ファシズも結果として脅威にさらされる可能性がある。

 だが、今回のことを鑑みればあの男が教会に援助する可能性は否定できない。少なくとも本当に援助を送ってきたのだ。


「教会と対立しているのであれば、それは貴方にとって避けるべきことではないのですか?ならば、貴方にはオルロック・ファシズの女性を娶る他ないはずです。」

「娶ったところで、アイツが約束を守るとは―――」

「ケルヴィンの目的はレディール・ファシズとの繋がりを持つことです。それも表面上は平和な繋がり。それはレディール・ファシズとの関係というよりは、オルロック・ファシズの内情が大きく関わっています。<聖なる薔薇修道会>のことはご存知ですか?」


 混乱していた思考が情勢の事に転じたことで、酷く冷静に切り替わるのを感じた。いや、ある意味それは逃避だったのかもしれない。だけど、この時の俺はそう思う自分を一切無視することにした。


「ああ。<薔薇の会>がたった八年でとんだオカルト集団になったものだと、こちらも感心していたところだ。…なるほど、それで得心した。あの男は聖女の威信を壊すために神を利用したいのか。」


 <薔薇の会>とはオルロック・ファシズの聖女ファミリア・ローズの尊い教えを後世に伝え、その教えを実行する団体で、彼女を神と崇拝する訳ではなく、ただ実際にその偉業を尊敬し見習い行動する。宗教というよりは道徳的な意味合いが強い。

 会自体もその道徳的意識に基づいた非営利組織という体裁をとっていた。

 しかし、今やその面影はなく名も<聖なる薔薇修道会>と変貌と遂げたそれは、聖女ファミリア・ローズを女神と崇め奉るオカルト的な宗教集団になってしまっていた。

 もともとが無神教者の集まりで、神を信じるという概念のないオルロック・ファシズの人間が、修道会にどうしてそれほどの魅力を感じるに至ったプロセスまでは不明だが、修道会は今やあちらでは社会現象にまで発展しつつある。

 社会現象、それはすなわち自治議会への反発。

 彼らは発展し続けるオルロック・ファシズの文明の全てがファミリア・ローズの恩恵であるとし、彼女の偉業を自治議会がもっと認め、彼女への崇拝を国家レベルでなすべきだと主張する。

 だが、そんな過去の人物を今更、神のように崇め奉ることなどオルロック・ファシズ、すなわち<神を信仰しない陣営>の精神に反することを自治議会も賛成できるはずもなく、双方は対立を深めている。


「そう。武力をもって修道会を鎮圧するより、自治議会は聖女に取って代わる権威を手に入れることでそれを無効化させたいのでしょう。現在はまだ修道会の規模も、自治議会が大げさにするほどのものではありません。ですが、その芽を早めに潰すために神を利用するつもりなのです。それを崇拝するつもりはない。だけど、その神という権威を自治議会の後ろ盾とする…どっちが<神を信仰しない陣営>の精神に反しているのか、私には理解できませんがケルヴィンはそれを実現させようとしています。」

「そのために世界王に妃を送り込みたいわけか。だが、それを信用する義理はない。」


 言っている事の辻褄はあっているが、その全てを鵜呑みにできるほど確証がある訳じゃない。


「それはそうでしょうね。」


 それをあっさりとアイルフィーダは頷いてみせる。

 八年前の彼女とは違いその表情からは何も窺えない。それは鏡越しだからか?それとも彼女が変わってしまったから?


「ですが、ケルヴィンは何がなんでも貴方にオルロック・ファシズの妃を娶らせるでしょう。ならば、それが私でも問題ないはずではありませんか?私は貴方に何も望むつもりはありません。ただ、妃としてそちらにおいてくださってくれれば何も口出すつもりも、他に妃を娶って頂いても構いません。それくらい簡単ではないですか、貴方は私に償わなければならないのだから。」

「……」


 酷い人間だと言われても、『償わなければならない』と言われるほど、実際俺が彼女に罪悪感を感じているかと言われると、自分としてはそれほどでもないんだろうなと感じた。

 こんな風に言われても、正直『だからなんだ?』と言い返しても俺にしてみれば問題ない場面な気もする。


(妃、妃と本当に最近、この話題が多い)


 今回の騒動だけじゃない。ここ数カ月、枢機卿や貴族たちからも妃を娶れとせっつかれることが多い。その多くはそれらの親族がほとんど。来年に控えた次期教皇選挙を控え、世界王との結びつきも重要だと考えているのがありありと分かる。

 それを面倒だと思いつつも、のらりくらりとかわし続けるのもいい加減疲れて……ふむ。


「いいだろう。」


 その答えに自分で迫っておきながら、アイルフィーダが目を見張る。


「君を妃に迎えるよ、アイルフィーダ。それでいいのだろう?」


 確かに彼女が言うとおりオルロック・ファシズの妃を迎えざるを得ない状況に追い込まれるのは目に見えている。

 それを回避する術がない訳ではないだろうが、その労力より素直に妃を娶った後に様々な手を打つ方が楽に思えた。

 それにこの状況を利用すれば、一つの懸案事項が解決する道筋が思い浮かんだ。

 にこりと笑ってやりつつ、様々に思い浮かぶ計画と共に、僅かに浮き立つような感情がある。

 それはこれからの計画に対する高揚感であるに違いないと思いながら、それは違うと何処かで誰かが呟いたような気がした。


―――だけど、俺はそれを無視した


 その感情のありどころを知ろうとしなかった故に、後々自分がどれだけ後悔するともしらずに。

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