第七章 過去から現在(フィリー視点)7-1
この章はフィリー視点となります。
「オルロック・ファシズの人間を妃として娶っていただくことが決まりました。」
君と俺の再会は、お伺いどころか既に決定事項を告げるだけの身も蓋もないオッサンの宣言から始まった。
(……この親父は何を言い出した?そんなもんあり得ないだろう。)
そんなオッサンの言葉に鉄壁の笑顔の下で俺がこんな悪態をついたことを、どうか君だけは永遠に知らないでいて欲しい。
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世界王フィリー・ヴァトルという肩書に就いて八年。
問題は未だに山積だが、ここでの生活には十分慣れたといえる状況下で、それはとりたてて変事の前触れもない、ごくごく普通のある日。アイルフィーダがレディール・ファシズにやってくる数か月前の話だ。
その日、俺は用事があって世界塔の一室を目指して護衛のレグナと共に歩いていたところを、話があると教会上層部の一人であるレイデシ枢機卿に呼び止められた。
レイデシと約束が予めあった訳ではないのだから断っても良かったが、用事までにはまだ時間があったため了承すると、レグナを締め出して枢機卿が用意した部屋に連れ込まれた。
世界塔にある普通の客間だが、窓がなく内密な話をするにはうってつけの場所。
そこでムサイおっさんと二人っきりで、何を話し出すかと思っていた矢先の第一声があれだ。
(オルロック・ファシズの妃……か。教会が散々、汚らわしいと罵る人間を世界王の妃に据えるとは、一体どんな言い訳を並べるつもりだ?)
などと酷く冷めた感情しか湧き上がってはこないが、ここは驚いてやらなくてはいけない所なのでわざと目を見張る。
「何の冗談だろう?」
だけど、驚くにしても大声を上げるのは駄目だ。あくまで、自分でも呆れるくらいののんびりした口調と、柔らかい表情を心がける。
本来の自分とは全く異なる間の取り方を面倒だと思わない訳ではないが、せっかくここまで作り上げてきた穏やかで、【操りやすい】世界王というイメージをこんな所で崩すわけにはいかない。
そんな作られた世界王の反応が予想通りだった目の前の男は、人のよさそうな顔を一瞬だけ歪める。
それを見ながら、この男では次の教皇は無理だとあっさり断じた。
少なくとも他の何人かの枢機卿はどんな場面だろうが、自分の手の内を表に出さない強かさを有している。
そのくらいの強かさがなくては、悪の巣窟の如き教会の長など勤まりはしない。この男もいずれは他の枢機卿によって蹴落とされる未来が想像できた。
「いいえ、冗談などではありません。陛下、これは必要なことなのです。」
ちなみに如何にも真面目な話ですと言わんばかりに、声を低くして言い募ってくるレイデシは50代に手が届くか届かないいくらいの中年のオッサンだ。
レディール・ファシズ内では枢機卿として敬まれる存在の一人だが、その実など強欲にまみれた中年でしかない。
自分自身を清廉潔白な聖人なんていうつもりはさらさらないが、それでも太った体にじゃらじゃらと輝く装飾品を付けて、何が聖職者だろう?と思ってしまう。『陛下』などと猫なで声で呼ばれるのにも虫唾が走る。
しかも、後々転落することが目に見えているような利用価値すらないオッサンの話を、聞いてやっている暇は今のところ俺にはない。
できる事なら話など無視して席を立ってやりたいところだが、それでも、彼らにとって都合のいい世界王の仮面を外すのはまだ早い。
「どうして必要なのだ?」
だから、何もわからない道化を続ける。
しかし、これまた加減が難しくて、あまりの阿呆すぎても世界王として問題があると彼らの機嫌が悪くなるので、普通に聡明だけど全く人を疑う事を知らない、ただただ穏やかな好青年という中々もって難しい役どころを演じ続けて早八年。
慣れたとはいっても、全く本来の自分と違う自分であるというのは疲れるものだ。
「お忘れでございましょうか?先日、オルロック・ファシズと取引をした罪人がもたらした、援助物資の事です。」
オルロック・ファシズの人間を娶れと言われた時から、その件が関わっているだろうと察しはついていた。
レイデシの話は正確には10日前に遡る。
長きにわたり交流がないと言われている両陣営間であったが、10日前に急にオルロック・ファシズから内乱・飢饉や自然災害の爪痕が癒えないレディール・ファシズに援助という名目で大量の荷が届けられた。
「もちろん。貴方を始め、教会の枢機卿たちから報告は受けている。だが、あれはすぐに送り返すように要請すると言っていなかったか?」
「無論送り返してやりたいですとも!高潔なる我らがオルロック・ファシズの施しなど受け入れられるはずがない!!それをオルロック・ファシズが受け入れないのです!そして、こともあろうに一度受け取った以上、その見返りに陛下にあちらの人間を妃として娶れと!」
教会としては援助を拒否したいが、オルロック・ファシズ側がそれを受け入れないので、見返りを支払わなければいけないと言いたいらしい……思わず鼻で笑いそうになるのを何とか止める。
レイデシは教会は援助など不要だと声高に叫ぶが、そもそも教会は俺がレディール・ファシズに渡ってからというもの、世界王をオルロック・ファシズが故意に隠していたと主張して、その賠償として援助を要求し続けていたのだ。
まあ、援助を要求することはいいだろう。
実際、八年前などはオルロック・ファシズの援助があれば、どれだけ有り難かったか分からない。当時は申し訳ないくらいに優遇されていた俺だって食べるに事欠くくらいで、民の苦しみは言葉にすることも憚れるほどだった。
故に援助を要請する理由が、飢えに苦しむ人々のために使うというのであれば、俺もこれほど教会に対して冷めた感情を抱くことはなかった。
だけど、教会のお偉方がそんな聖人的な行いをするはずがないのだ。
もし、それをするというのであれば善意ある人々の訴えを聞いて、民衆を虐げ搾取することをやめ、教会や貴族だけに集まる富を民衆に分け与える事をしているはずだ。
どれだけ周りが訴えたところで、それはなされたことがなく、また、教会の強大な力を討ち果たせないままでいる。
―――では、教会は何のために援助を求め続けたか?
考えるまでもない。それは教会の更なる私腹を肥やすため。その力を更に強くするために他ならない。
この事実を知ったのは、世界王になって色々と調べることができる地盤が固まってからになったが、力や富を得るためには蔑んでいるはずのオルロック・ファシズさえ利用することも厭わない、そのあまりの強欲さに怒りを通り越して呆れた。
とはいうものの、援助要請を続けていても当のオルロック・ファシズが完全に無視を決め込んでいたため、事実は公になることも無く、特に害もないので俺も放っておいたのだ。
―――だが、それが突如として覆ることとなる
数か月前、オルロック・ファシズが援助を承諾したという一報が入ったのだ。
教会の上層部としてはその知らせは吉報であった。俺も方々に放っている密偵からその話を聞いて驚いた。同時にそれを許容することはできなかった。
鎮静化しているとはいえ教会と名もなき十字軍を筆頭とする民衆の溝は深く、その対立は未だに緊張感を保っている状態だ。
両者の力が拮抗しているからこそ成り立っている危うくも安定した現状が、オルロック・ファシズの援助という名の教会の力の増大によって壊れるのは避けたい。
さりとて、今はまだ教会を表だって糾弾する場面じゃない。仕方がないから【偶然】を装った。
オルロック・ファシズから援助が来る時と場所を、教会に悟られぬように綿密に調べ上げ、昔見たことのあるスパイの映画さながらに計画を立て、世界王である俺が【偶然】にも教会がオルロック・ファシズからの援助物資を秘密裏に搬入するところに出くわしてやったのだ。
しかも、オルロック・ファシズからの援助を受けているという決定的証拠として、オルロック・ファシズの人間も拘束した。
結果としては教会の下っ端がトカゲの尻尾切りで、オルロック・ファシズと取引をしたという罪を被って、この件は一件落着となった。
―――問題は残ったオルロック・ファシズの援助物資だ
そうして、話はやっと現在に繋がる。
やっと、オルロック・ファシズが送ってきた援助。その中身は食料や生活用品ではなく、武器や弾薬などおよそ人道的な援助とは無縁の品が大半を占めていた。
それは教会からの要請なのは分かりきっていたが、その内容の物騒さに悪用されては大変だからという名目で、俺はレグナに命令して近衛にその援助物資という名の武力を見張らせ、教会の手には渡らぬようにした。
更にはオルロック・ファシズにそれらを送り返すのは近衛の役目とし、それが叶わぬ時はそれ自体を処分することと決めた。
それに対してこのレイデシから、教会の失態だからと教会で始末をすると散々要請があったが、それだけは頑として譲らない正義感の強い世界王を演じて乗り切ってきたが、教会が強硬な手に出る前にオルロック・ファシズの方が痺れを切らしたらしい。
教会とオルロック・ファシズの間にどんな取引があったかは定かではないが、援助の見返りとして世界王の妃という繋がりを要求してきた訳だ。
「そんなものは断ればいいだろう。いらないものを押し付けられて、見返りを求められるいわれもないだろう。」
いつもは彼らの前では何でも了承してみせる【操りやすい】世界王の拒否に、レイデシがぎょっとする。まさか、拒否されるとは思っていなかったらしい。
そこがこの男の限界なのかもしれないが、これを俺に言う役目を与えられた時点で、既に彼は枢機卿としての地位を失ったと言ってもいいだろう。
いずれ蹴落とされるのではない。彼は既に蹴落とされていた。
少なくともこの役割を彼に押し付けた枢機卿たちには、俺が拒否することが推測できていたのだろう。それによって教会が追い込まれる窮地を、レイデシはその身をもってそれを贖う他ない。
この後、教会が妃を娶らない事をどうやってオルロック・ファシズに言い繕うかは知らないが、少なくともこれでレイデシの失敗という言い訳だけは確保できたわけだ。
それを今更に悟ったのか、レイデシの顔が青くなり必死の形相となる。
「で、ですがっ!」
「世界王としてオルロック・ファシズの言いなりになる訳にもいかないだろう。何か問題があるのか?」
教会としてはこれで援助が断ち切られては困るのだろうが、俺としては特に困りはしない。
教会が得た所で、それが民衆に渡るものでもあるまいし、タヌキ爺どもが私腹を肥やすだけだ。
「それではオルロック・ファシズが何と言ってくるかわかりません!何、どうせ奴らはこちらと形のある結びつきを作りたいだけでございましょう。妃といっても側室で構わないのです。一度も通われずともよい!!ああ、それに巫女様にもいい刺激となりましょう!?」
オルロック・ファシズが何と言ってくるか気にしている段階で、何かしらの取引があったと言っているようなものだと気が付かないものだろうか?
だが、レイデシを締め上げて情報を得たところで、こいつは既に教会から見放された存在だ。こちらとしても利用価値はほとんどないだろう。
「ええ!そうですとも!!未だに世界王を孕む儀式を拒んでいらっしゃる巫女様も、陛下に妃が迎えられたとあれば悋気で儀式を受け入れてくれるのではないでしょうか?」
「だが、貴方は今、妃に一度も通わなくてもいいと言ったではないか。それでは悋気もないだろう。」
うまいことを言ったつもりらしいが、まるで一貫性のない提案に閉口しつつも、それを悟られぬようにやんわりと指摘してやれば、レイデシは汗をびっしょりとかいてしどろもどろになる。
それを張り付いた笑顔で見下ろし、ちらりと部屋の時計に目をやると自分の用事の時刻を既にまわっている。俺は躊躇いなくレイデシに背を向けた。
「ともかく、この話はもうやめよう。私は今の所、妃を娶るつもりもないし。情勢が完全に安定してない今はまだその時期でもないだろう。オルロック・ファシズが物資の返還を受け入れないのであれば、近衛にすぐに処分させる。」
「へ、陛下!!」
追いすがる声も聞こえたけれど、聞こえないふりをして扉を閉めた。
「思ったより時間がかかったな。面白い話が聞けたか?」
部屋を出ると扉の前で待っていたレグナが話しかけてくる。だが、時間もないのでそれには答えずに俺はさっさと歩き出す。
「何だ?良くない話だったのか?」
「今のところはどちらともいえないな。話は後でまとめてする。」
追いすがるレグナにそういえば、彼も心得たもので黙ったまま俺の後に続く。
(オルロック・ファシズは何を考えている?)
教会のこの後の動向も無論として気になるが、それ以上に今のレイデシの話で気になるのは突如として教会の援助に応えたオルロック・ファシズの思惑だ。
俺がレディール・ファシズに渡った時の事件の後ですら、あちらはレディール・ファシズに何の動きも見せなかった。
(なのに俺にオルロック・ファシズの妃を娶れというのか?)
それの意味するものが分からずに困惑すると同時に、俺はその裏に【あの男】の存在を感じずにはいられなかった。
活動報告に後書きがあります。