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フィリーに訴えたいことを概ね訴えたらしいヤウは、『では、本日はこれにて失礼します。」というと、おもちゃのようなステッキを振った。
すると、爆発音とともに小さな家ほどの大きさの黒い鳥と、人一人が入れるくらいの箱が煙の中から現れる。
ヤウはその箱の蓋を開けると、その中に入る。
「すみません。お嬢さん。今から私、この中に横になりますので蓋を閉めて頂けますかな?」
何が始まるんだと呆然と見ていた私は、突如として声をかけられてビックリしつつも駆け寄った。
すると箱の中には色とりどりの花が敷き詰められていて、その香しいというか、強すぎる匂いにうっと息が詰まった。
その中に納まるヤウを見て、これじゃあまるで棺桶だと私はこの男の趣味に眉を顰めた。
「よろしければお花を一つ如何ですかな?」
横たわりながら花を差し出されて顔が引きつる。
「いいえ。結構です。」
「そうでうか、残念で―――」
言いながら私の右腕に手を伸ばそうとしたヤウを、私は虫でも払うかのごとく引っ叩いた。
「何するんですか?」
「……それはこちらのセリフかと。ああ、痛い。」
(絶対嘘だし)
見るからに嘘くさい演技に、私は胡乱気な瞳でヤウを見下ろす。
すると、こちらを油断なく見つめる眼光とぶつかった。そして、にやりと気味悪く笑った後、ヤウは視線を私の右手に合わせた。
「中々、美しい指輪ですなあ。どなたかからの贈り物ですかな?」
言われた言葉に右手の親指に嵌る指輪を左手で隠した。
「クスクス。隠さなくても、盗んだりしませんよ。」
「……」
私は黙ったまま、指輪を覆う左手に力を込める。
女性がするにしては少々ごついこの指輪に名前はない。宝石類はついておらず、くすんだ銀で様々な模様が彫られていて、学生の私がすることは相応しくないだろう。基本的にアクセサリー類を身に着ける事は校則にも反している。
それを私は両親に頼んでもらい、学校に許可をもらって付けている。
「閉めさせてもらいます。」
だけれど、そうまでしてこの指輪を付けている理由を知っている人は少ない。また、それをこの魔導師に話す言われもない。
私はヤウの言葉の一切を無視して、箱の蓋を容赦なく閉めて鍵もかけた。蓋に何かが当たった音と、悲鳴のようなものが聞こえたが、空耳に違いない。
かくして、早くしろという、黒い鳥からの無言の圧力に少しだけ笑って、私はそそくさと箱から離れた。
すぐに黒い鳥が羽ばたきだし、箱から延びているいくつもの糸が鳥の足にくくりつけられているらしく、鳥が上昇するにつれて箱は地面から宙に浮いた。
大きな鳥が羽ばたくことで、ものすごい風圧が一瞬襲ったが、あっというまに上空へ飛び去った鳥はヤウと共に闇夜だったこともあり私の視界からすぐに消えた。
それを見送って、やっと息をつく。
「アイル、大丈夫だったか?」
と、そうしていると声がかかって、どきりとした。
振り返ると、フィリーが強張った表情でこちらを見ていてた。
「あ、うん。大丈夫だよ。」
「ごめん。変なことに巻き込んで、忙しいのに……」
その表情は先ほどまでヤウと対していた決然さが全く感じられず、彼も彼なりに気を張っていたのだと気が付く。
そして、『忙しいのに』と告げられて、彼が私が言ったことを気にしているらしいことも分かる。
一瞬だけ嫌味かとも思ったけれど、彼の表情にはそんな様子もなく、私の方も罪悪感を感じてしまい、どう返していいか言葉に詰まる。
『……』
互いに微妙な沈黙が落ちた。ヤウが消えてもなお、周辺に私たち以外の人の気配はなく、静けさが辺りを支配する。
だけど、ヤウとの話を全て聞いていてそれらをなかった事にできるほど、私は大人ではないし、彼もまたそれを望んでいるようには見えない。
私はごくりと唾を一つ飲み込んで口を開いた。
「フィリーは世界王……になるの?」
「!」
「フィリーの事情に私が首を突っ込むのが嫌なら、何も聞かない。忘れられないけど、忘れたふりをして誰にも言わない。」
私の言葉にフィリーは少しだけ視線を彷徨わせた後、意を決したように私を見た。
「アイルは俺が世界王だって、今の話で信じたのか?もしかしたら、ただの妄想話かもしれないぞ?」
確かに何の証拠もない言葉をすんなりと信じられる内容ではないだろう。
現に世界王やら巫女については、オルロック・ファシズ間でも一般人には何一つ知らされていないため、都市伝説の如き話が氾濫しているのも事実だ。
「信じているっていうか…多分、私にとっては今の話が真実でも妄想でも構わないんだと思う。」
「どういうことだ?」
「要するにフィリーにとってそれが真実なら、それを真実として受け止めるし。嘘だと妄想だというのなら、そうだと思うだけ。」
「そんなに俺のことを信じているのか?」
顔を酷く顰めていうフィリーに顔に私は少し笑った。
「信じてはいないよ。もしかして、フィリーが言うように妄想かなとも思ってる。」
そっちのほうが、どれだけいいか。
「私が貴方に世界王になるのかと聞いたのは、それが真実か妄想か、そういう事じゃなくて。要するにそれが真実であれ妄想であれ、貴方に世界王になる気があるのか…そういうこと。フィリーにとっての真実かどうかを聞いたの。それによって、私も何を言ったらいいか考えるから。」
本当はフィリーがいう事なら全部信じる…と、言った方が恋する乙女としては正解なのかもしれない。現に本当は私は彼を疑っていない。
先程の会話の緊張感にしても、おふざけというには緊張感たっぷりで、信じたくなくったって信じざるを得ない状況だった。
だけど、私の性質として誰かを無条件で信じるということは多分できないんだと思う。
『信じる』ってそれは素晴らしいことだと思うし、誰にでもできる簡単な事じゃないと思う。でも、結局それはある意味『信じる』何かに自分の全てを預けてしまう、とても無責任な事なんじゃないかとも私は思っている。
『信じる』ことは大切。だけど、同時に私はそれを『疑い』続けることも大切だと思う。
『疑う』って言葉は悪いかもしれないけれど、それは要するに考え続ける事だと思う。
何かを信じたとしても、それについて考える事をやめてはいけないと、私は昔散々叩き込まれた。その性質は今現在も、これからも多分なくなることはないんだと思う。
「……ありがとう。」
そんな思考に囚われていて、フィリーがこぼした言葉を一瞬聞き逃して、聞き返すと彼は苦笑する。
「え?」
「いや、何でもない。俺にとって次の世界王になるかもしれないという事実は、真実だ。だけど、今のところ世界王になるつもりはないよ。」
その言葉を聞いた瞬間に、私の方から力が抜けた。
「ただ、あの魔導師いう事をすべて鵜呑みにするわけじゃないけど、長年の疑問を解決するには良い機会なのかもしれない。そう思った。」
言いながら辛そうに顔を歪めたフィリーは、まるで泣きそうな子供のような表情を浮かべる。
そんな表情を見たくなくて、私は何も考えずに彼の手を咄嗟にとっていた。
「私にできることは何かある?」
彼らの話のほとんどは私に理解できない話で、フィリーをこんな表情にさせる理由を私は何一つ知らない。
こういってもフィリーはきっと私に何も頼みはしないだろう。分かっている。彼にできる事なんて何もない。
全てが自己満足でしかないと分かっている。だけど、それでも言わずにはいられない。
恋なんて…どうしてこれほど厄介な感情なのだろう?
何もかもうまく立ち回れない自分が酷く滑稽で、嫌になる。
「うん。ありがとう。」
想像通りに少し困ったようにそうフィリーは言った後、私が掴んでいた手を強く握った。
そうして、無意識とはいえ自分が取った行動が今更に恥ずかしくなった。
「あ、ごめっ」
反射的に手をほどこうとすると、逆にフィリーが更に手を重ねてそれを留めた。
「このまま。少しだけ…このままでもいいか?」
「へ?は・はい!」
驚きのあまりに掠れた声で答えつつ、自分でもわかるくらい顔が熱くて泣きそうになる。
(待て待て、私!勘違いするな!フィリーはただ混乱していて、人の体温が恋しいだけよ!ここには私しかいないし)
フィリーにその気がなくても、こんな風に顔を赤くするなんて空気を読めていないことは分かっていても、仕方ない。
赤くゆでダコのような私はフィリーに片手を握られたまま、しばし硬直した。
「……あのさ、忙しいかもしれないけど、また…少し時間をくれないか?」
「う、うんっ。私なんかでよければ、話くらいいつでも聞くよ!」
二度と会わないなんて決意は、もはや自分の中でなくなっていることに気が付く。
フィリーといて自分がつらく悲しくなることは分かっていても、気が付いてしまったんだ。彼が私の手の届かない場所に行ってしまうと思った時の恐怖と喪失感。
その大きさに私は辛くても悲しくても、もう少しだけ…うん、もう少しだけフィリーの傍にいたいと願ってしまった。
いつかは絶対に諦めないといけない時がくる。だから、その時までは……
「ありがとう。本当は今日聞いてほしかった話なんだ。だけど……今の俺じゃあ何も言えない。全部、決着を付けてから、その時、また話を聞いてほしい。」
―――ドクン
言いながら向けられた視線の強さ。
ヤウが現れる前、そういえばこの視線と共にフィリーは何か言いたげだった。……ていうか、世界王になるならないの話を聞いてほしいんじゃないのか?という突っ込みが冷静な部分ではあったけど、恋する乙女モードの私はそれをあっさりシャットダウンする。
心臓が急にどくどくとなりだして、私はどぎまぎしながら言葉なく頷いた。それを見るとフィリーは私がよく知る笑顔を浮かべた。
それを見てまた顔が一層赤くなるのを感じた。
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そう、八年前、フィリーが次期世界王であることを知ったあの日。確かに彼は世界王にはならないと私に告げた。
私はそれが嬉しかった。
だけど、彼はその後、すぐに世界王になるべくオルロック・ファシズを去ることとなる。
―――私の心に大きな傷を残して……