第五章 過去5-1
―――会いたい会いたい……会いたいんだ
会えなくなって初めて気が付いた。
貴方がいなければ、自分が自分ですらいられない。それほどに貴方を求めているということに。
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気が付けば夏はとうに過ぎ秋が深まっていた。
あの日、メルト・ファウンドでフィリーと別れた日から、すでに二か月がたとうとしているが、私はあれ以来彼に会っていない。
それまで足しげく通っていたにも関わらず急にローズハウスへ行くことをやめ、更に気落ちしたような様子の私に周りは心配してくれた。
しかし、夏休みも終わりに差し掛かり新学期前だったため、学校が忙しくなりそうだから行くのをやめたという私の嘘を優しい皆は信じ、そして忘れていった。
現に私は学校で忙しくしていた…いや、自分で自分を忙しくさせた。
勉強は勿論、今までやったことのない部活にも入り、時にはローズハウスではないけれど奉仕活動にも参加した。
何も考えたくなくて、ただひたすらに忙しく学生生活を送った。
(もう、彼の事なんか忘れた。彼女って誰の事?)
そう思っている内は何も忘れられていないと分かっていても、そう言い聞かせながら私は自分を誤魔化し続けていた。
だから、それが私の元に届いた時『どうして?!』と悲鳴を上げたかった。
「ファシズさん。郵便物が届いていますよ。」
部活帰りに寮の入り口を通った私に、そう言って寮の管理人が渡したものは、何の変哲もない普通の手紙用の封筒。宛名には学校名と私の名前が書かれていた。
(誰からだろう?)
実家は近く、エリーと月に一回は帰っているため、私には特段文通をする相手もなく、基本的に郵便物なんて届かない。不思議に思って封筒をひっくり返して、差出人の名前を見て息を大きく吸う。
―――ニーア・ヘインズ
体中から汗が滲むのを感じた。
「ファシズさん?その手紙がどうかした?」
手紙を受け取って固まった私を心配して、管理人が首を傾ける。
それに曖昧に笑って礼を言うと、私はすぐに自室へと駆け込んだ。
バタンと近くの部屋の寮生に迷惑がかかると分かっていても乱暴にドアを閉めて、カバンを投げ捨てると、その封筒を開けようと鋏を手に取る。
だけど、その刃を封筒に当てたまま私は再び固まった。
(私、これを開けてどうするの?)
自分にそう問いかけて、分かりきった答えに笑いだしたくなる……当然読むんだろう、この手紙を。
だけれど、手紙を読んだあとはどうするんだろう?いや、そもそもこの手紙には何が書いてあるんだろう?
私は力が抜けたように、自室の床に座り込み、今まさに開けようとしていた封筒を見つめた。
ニーア、いや、フィリーが何をこの手紙に書いているか推測しかできないけれど、多分、全くローズハウスに来なくなった私を心配してくれているんだと思う。
一応、ローズハウスには忙しくなるので暫く行けなくなると、フィリーに会った次の日に伝えに行った。(フィリーは次の日に用事があると言っていたので、彼がいないと知った上での行動だ)
対応してくれたのはレイチェルさんで、理由こそ問われなかったけれど、急な私の申し出に残念だと言葉をかけてくれてはいたが、やはり不審げな様子をしていた。
フィリーだってそれを不審がったとしても仕方ない。
そんな素振りもなかったのに、急にローズハウスに行かなくなるなんて、理由もないのにする行動ではない。
―――理由はある。それを口にできないだけで……
だから、この手紙はきっと、どうかしたのかという心配の言葉と、またローズハウスで会おうと言う当たり障りのない表面上の言葉があるだけ……そうに違いない。だけど、それでも目にするのが怖い。
二度と会うまいという決心が、フィリーにとっては社交辞令の言葉でいとも簡単に破られてしまいそうなことが怖かった。
手紙が来ているという事実だけでこんなに動揺しているのだ。内容を見てしまえば、自分がどれだけ取り乱すか想像するのは難しくない。…だとしても、もう会わないと決めた相手なんだから、私は少しでも自分の心労の少ない選択をする。
―――結果として私は手紙の封を開くことはなかった
だけれど、捨てることもできなくて、私はそれを机の引き出しの奥にしまった。
自分で自分が情けないと思うけれど、私は逃げると決めた以上、とことん逃げるつもりだった。
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「ファシズさん。郵便物が来ているわ。」
再びそんな寮の管理人の声を聴いたのは、私が手紙をしまった一週間後。
その存在を忘れたふりをしていた私は、その言葉にぎくりと心臓が嫌な音を立てるのを聞いた。
「ありがとうございます。」
何でもないように礼を言いながら受け取った封筒が、一週間前のものと同じことに気が付く。
私はそれを差出人を見ないまま再び引出しの奥にしまった。
返事をしなかったから、もしくは私がローズハウスへ行かなかったから、またフィリーは心配をして手紙を送ってきたのだろうか?
手紙の内容を見ないままの私にその理由は分からない。
(どうして放っておいてくれないの?)
フィリーは何一つ悪くないのに、そんな身勝手な思いが胸を支配する。
本当は嬉しい。
手紙はフィリーが私を気にかけてくれている証だ。それが自分と同じものじゃなくたって、それは嬉しいに決まっている。
だからこそ、忘れたはずの手紙に手が伸びる。それも毎日だ。
だけど、手紙に手が触れる前に私の頭の中に、メルト・ファウンドで焼きついたフィリーと可憐な少女が並んでいる美しい光景が過る。
『貴方さえ巫女色を受け継いでいてくれたら!!!』
そして、耳の奥で響く激しい金切声に頭痛が走り、私は手紙を再びしまう。
(大丈夫。返事が返ってこなければ、フィリーだってすぐに私の事を忘れる)
それが辛いと感じる自分を無視できない。だけど、その辛さは私がフィリーと会うことを躊躇わせる原因よりはまだマシだった。
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しかし、私の思惑は外れる。
「また、手紙が来ているわよ。ここの所毎日ね。文通でも始めたの?」
その言葉に私は何も答えられず、ただ手紙を受け取った。
次の手紙は二通目から一週間後に、その次は三日毎に手紙が届き、ここ数日は毎日手紙が届いていた。
ちなみに私はまだ一度も手紙を見ていない。
しまった手紙は二十通を超え、机の引き出しを無視できない広さで占拠し始めている。
すぐになくなると思った手紙が続いていることに驚くと同時に、フィリーに…というか彼の母親に何かあったのだろかと私は心配になった。
(また、行方不明になったり、暴れたりして、フィリーは傷ついて私に助けを求めているんじゃ??)
執拗ともいえる手紙に私の中にむくむくと嫌な予感が膨らんでいく。
部屋に戻り、しばらく葛藤すると私は意外とあっさり手紙を開くことに決めた。
手紙を開けないと決めた理由は、私自身の心の平穏のためだったけれど、手紙の内容が私の想像するものと違ったとしたら……。
フィリーに会わないと決めたけれど、それは私の勝手だ。
もし、彼が何かの助けを求めて私に手紙を出しているのだとしたら、それに応える応えないは別問題として、それを私の勝手で無視し続けることはあまりに後味が悪い。
私の心労は無いに越したことはないけれど、もし私の悪い予感が外れたとしても私が少し我慢すればいいだけのこと。
そうと決まればと、私はとりあえず今日届いた手紙を鋏で封を切る。瞬間にふわりと薫る優しい匂い。
封筒の中には便箋が一枚入っているだけだったけど、それを開いた瞬間に匂いがまた広がったのでこの便箋自体に、多分何かの花の匂いが付いているんだと分かった。
これがもし普通の状況だったら、私も何の匂いだろう?とかオシャレだなぁ。とか思うんだろうけれど、ともかく手紙の中身を知りたい私はそれをスルーして便箋の中の文字に目を走らせ、時計を見た。
部活を始めてから寮に帰る時間が遅くなっていて、備え付けの味気ない時計の針は夕刻をとうに過ぎ、夕飯には遅い時間を指している。
私は机の引き出しに入っている手紙を最近のものから数通取り出して開ける。
その度に同じ匂いが薫ったけれど、私は便箋に目を走らせるとすぐにほかの手紙を確認した。全部が同じ内容。
『アイルフィーダへ
今日の夜、お前の学校の裏門で待つ。会って話がしたい。
フィリー』
手紙全部に目を通したわけじゃないけれど、少なくともここ数日のものにはそれだけが書かれていた。
特に時間や日付の指定はない。
手紙がいつ届くかも、私が読んでいるかも分からない中、フィリーがこの手紙を送り続けているとしたら、そして、本気で私に会って話をしたいと望んでいるとしたら…
(フィリーはここ数日毎日、うちの学校の裏門に来ている?)
そう考えが至った瞬間に私は部屋を飛び出していた。
本当にフィリーが来ているという保証もないのに、もう二度と会わないと決めた事など頭のどっかに飛んでしまったまま私は全力疾走した。
毎日手紙とかまるでストーカー……と冷静になるとそう思うんですが、恋に盲目なアイルフィーダにはそう思えないんです。はい。