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―――オルロック・ファシズ<神を信仰しない陣営>
それを語るには、まずこの世界について少し説明したい。
とにもかくにも、この世界には『神』という絶対的な存在が君臨しているということを、まず覚えていてほしい。
…とはいうもの私はその姿を実際に見たことはない。
だけど、神は確実に実在している。それがこの世界の常識だ。
神は人を蘇らせ、雨が降らない砂漠にオアシスを作り、ドラゴンを退治した…どれもこれも真実とも嘘とも分からないお伽噺。
だけど、その人知の及ばぬ神という力ある存在を、人間たちは信じ仰ぎひれ伏した。
絶対服従を誓った人間を神も庇護し、様々な恩恵を与えた。
神と人間の友好関係は長く続き、それと同じ期間だけ平和と安寧があった。
しかし、数百年前よりその均衡は少しずつ壊れ始めた。
―――それがすなわちオルロック・ファシズの誕生
彼らは神が与える恩恵から離れ人間だけで独自の自治体を形成し、神という存在を否定した。
神に従いしレディール・ファシズ<神を信仰する陣営>と私たちオルロック・ファシズは、それから大きな戦いこそなかったが、ある程度の緊張状態を持って相対してきた。
ちなみに私がいる神都アッパー・ヤードはレディール・ファシズの中心地であり、私の夫となった人はその中で神の次点である世界王だったりして…。
まあ、ここまで世情というものを踏まえると、私と夫の結婚の意味がお分かり頂けるのではないだろうか?
オルロック・ファシズの人間である私と、レディール・ファシズの王である夫との結婚は、すなわち敵対し合っていた両陣営を結び付けるための政略結婚という訳だ。
それために後宮には正室の私しかいないので、後宮の女同士の争いなどはないのだけれど、オルロック・ファシズである私に対する風当たりは非常に強かったりして、例えばこんなお人がいたりする。
「あらあ?このお部屋…何だか油臭いんじゃありませんこと?」
後宮であてがわれた私の部屋に入ってきた途端、挨拶より先にそうのたまった女性に張り付いた笑顔が引きつった。
(ああ、始まった)
輝く金髪の長い髪を高く結いあげ、少々濃い目の化粧に派手で露出が多いドレスを纏った貴族然としたこの女性。
彼女の名前はファイリーン・アルマ。私より年下のくせに襟ぐりの深く開いた所から見える白い胸が目に眩しい美女で、実は私の教育係だったりする。
レディール・ファシズの中でも指折りの貴族のご令嬢らしく、神への信仰心があつい彼女は私のことがともかく気に入らないらしく、3日に一度は彼女から講義を受けているが一度だってこんな感じの嫌味がない時はない。
かくしてファイリーンがいつものように嫌味を言って、顔の前ではたはたと扇を煽ぎ心底不快そうな表情を浮かべていると、ルッティがすかさずフォローになっていないフォローを入れた。
「申し訳ありませんファイリーン様。すぐに窓を開けてまいります。」
「ああ、ルッティいいのよ。どうせ匂いの根源はこの目の前にいる、野暮ったい神をも恐れぬ野蛮人ですから、換気した所でどうしようもないわ。ねえ、アイルフィーダ様?」
「……」
そう語りかけられて、その匂いの根源だとされた私にどうすればいいのだろう?
(出ていけばいいの?だけど、ここは私の部屋だし、出ていくなら貴方じゃないの?)
ぐっと出かけた罵詈雑言はごくりと飲み込んで、私はぴくぴくと米神を震わせて必死で別の言葉を返す。
「ええ、ええそうですね。ですが、どうして私ったら油臭いのかしら?侍女の皆さんが毎日綺麗にしてくれているのに。」
「それは勿論生まれてからずっと染みついた香りですもの。どんなに侍女たちが頑張っても、やはり仕方がないことですわ。私、ちゃんと我慢いたしますから。ですが、人前に出る時はなるべく香水を多めにふりかけることをお勧めしますよ。」
そして、『おーほっほ』と勝ち誇ったような高笑いが木霊した。
私は思わず頭を押さえたが、変なところで律義なルッティが不思議そうに顔を傾けた。
「ですが、どうしてアイルフィーダ様の生まれついてから染みついた匂いが油なんですか?」
「ルッティったら知らないの?」
「もうその話はいいです!」
ルッティの問いに何やら嬉しげにファイリーンが答えようとするのを、私は少々大きめな声で遮った。どうせ私を貶す言葉に違いないのだ。そんなもの聞きたくない。
私の大きな声にファイリーンは少し目を見張ったが、今度こそ呆れたような私を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「王妃ともあろうお方がそんな大声を出すなんてはしたないことですよ。まったく、貴方という人は本当に何度教えても優雅な立ち居振る舞いや物言いが身につかない人ですね。」
彼女の私に対する偏見や嫌みには口にしなくともいくらだって返す言葉が思いつくが、これに関しては彼女の言うとおりだったりするので、言い返す言葉がなくて私は俯く。
彼女に教えを乞い始めて数カ月、確かに私は一向に王妃として必要とされる素養が身についてはいなかった。
すると扇で顎を上げさせられ、ファイリーンは顔をずいっと私に近づけた。
毛穴一つない白い肌、これでもかというほど長く伸ばされた睫毛、つやつやとした赤い唇、彼女は確かに化粧が濃いとしかいえない。だけど、その美しさは作られたものだとしても完璧と言わざるを得なかった。
その完璧に武装されたに近い顔の中で、だけれど、一番輝いているのは唯一の天然と思われるその青く大きな瞳。
その瞳がぎらりと光って私を睨みつけた。
「仮にも世界王の妻を名乗るのであれば、いつだって胸を張ってしゃきっとなさいな。ただでさえ野暮ったい貴方が俯いたり背中を曲げていては目も当てられませんわ。」
その強い言葉と強い眼光に私は何も言えず、彼女を見つめ返すしかできない。
しばらく、いやもしかしたらほんの数秒のことだったかもしれない。だけど、私にはそれが酷く長い時間に感じられ、金縛りにあったかのような私相手に先に視線を離したのはファイリーンの方だった。
「まったく、そんな事では来週の舞踏会…先が思いやられますわ。」
「へ?何ですか?」
「まさか知らないとでも言うんじゃないでしょうね?来週は貴方の夫の誕生日。その日の夜にある舞踏会を始めとした様々な行事に勿論、貴方も参加するのよ。妻なのだから。」
(誕生日?嘘!来週!?)
驚く要素がありすぎて、何から驚いていいか分からない。
目を白黒させる私を見て、ファイリーンは勢いよく扇を閉じると油臭いと言った部屋の奥にずかずかと進んでいく。
「さあ、時間が惜しいですし早く始めますわよ。今日からは来週にむけて今までよりもびしばし行かせて頂きますよ!」
そう言って振り返りながら笑った彼女の後姿に悪魔の尻尾が見えるようで、私は目の前が暗くなるのを感じた。