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戦闘描写があります。また、残酷な描写もありますので、苦手な方は避けてください。
侍女たちの悲鳴に警備兵が十数人近く集まり、突如として現れた侵入者を取り囲む。
静かな後宮が俄かに物々しくなる様子に、私の背後に隠れるようにしている侍女たちからはすすり泣きも聞こえてくる。
そんな中、ルッティだけはその場から動かない私の横から離れようとしない。
「王妃、お逃げください。」
私を守るように立つ兵がそう告げる。
だけれど、私はその肩越しにこちらを睨み付ける侵入者から視線を逸らせずにいた。
侵入者は背が高く痩身の若い男。顔も隠すことなく堂々と晒していているが、年齢は若くも見れれば、老けても見える。一見してどのくらいの年齢か判断が付かない。
その右手には長く太い大剣が握られ、シューシューと煙を上げており、その重みのためか男は大きく右に傾いて立っている。
ぴったりと体に張り付くような光沢のある素材の服を着ていて、痩せすぎの体を更に細く見せるように全身を黒で固めている。しかし、その黒い服には全体的に文字が書かれていて、白い光が浮き上がっているように見えた。
こちらを睨み付ける瞳は夕日の中のためか赤く光って見える気がしたけれど色は黒、髪も黒い。しかし、散髪など長い間していないらしく、伸びたい放題の髪は痩せこけた侵入者の顔を鬱蒼と覆っている。
ちなみにこの男に私は一切見覚えなどない。
だけれど、まるでこちらを射殺さんばかりの形相は私に用があると告げていた。
(私が動いたら、攻撃してくる)
それは確信だった。
テーブルへの一撃以降、私を睨み付けたまま微動だにしない侵入者ではあるが、その視線は私の呼吸、視線の動き一つを確実に追っている。
私を攻撃したいのならば、襲ってきた勢いのまま攻勢を仕掛けるのが定石だろうけれど、この侵入者はそれをせずに動きを止めた。
だけれど、私がこの場から離れることも許そうしない。
(私、一人だったら逃げるのは難しくないんだろうけど)
思いながら視線だけ少し横に動かして、ルッティや背後で固まっている侍女たちを窺う。
強張った顔をするルッティはまだ気丈にしている方だけれど、他の侍女たちは駄目だ。腰を抜かしたように放心している彼女たちをここから退避させるにも、今は警備兵たちも侵入者を取り囲むだけの人数しか到着していないから無理だろう。
かといって、この状況で私が逃げると仮定して、侵入者が攻撃を仕掛けてきた時、彼女たちを巻き込む可能性は高い。
視線を侵入者に戻せば、長い前髪の奥から覗く瞳が、私と同じように侍女たちに向けられ、だらりと下げられた右腕の先に握られてる大剣が僅かに動くが、私が動く様子をみせないためか、大剣もそれ以上の動きはない。
レグナや警備兵が取り囲んでいる現状として不安に思う要素は少ないのかもしれないけれど、その状況下においても眉一つ動かさない侵入者の不気味さが、私が逃げだすことを躊躇わせていた。
さほど待たない間に増援が来て、侵入者は捕まるだろうことは予想できる。
だけど、城の中でこんな凶行に及んでおいて、兵に取り囲まれる状況を予想できない訳もなく……それともそれも分からないほどの異常者による犯行なの?
相手が要求ひとつ発しないので、憶測だけが私の中で膨れ上がる……なんにしても、侵入者の目的を知る必要があるだろう。
「私に何か御用ですか?」
「挑発するな。」
一応は私を守るつもりでいるらしいレグナが、侵入者を挟んで反対側で首を横に振るが、私は構わなかった。
彼も侵入者の不気味さに警戒して、武器を構える様子もない相手に、何もするなと警備兵を制止していた。
「大丈夫ですよ。私に何かするつもりなら、既にやっているはずです。何か目的があるんでしょう?」
するとそれまで全く動く気配のない侵入者が一歩前に出る。
周りを囲む兵たちは、完全に侵入者に飲まれていて彼に伴って一歩動く。
「警告だ。」
発せられた声は私が想像していた声よりはるかに若い。もしかしたら十代半ばの少年くらいかもしれない。
しかし、その声には感情という気配がなく、何を考えているのか全く分からず、私はより一層相手に警戒を強めた。
「オルロック・ファシズの王妃よ。命が惜しくば、この場所から早く立ち去れ。」
言いながら重そうな剣を易々と持ち上げて、私の方へと突き付ける。
それに警備兵たちが殺気立つ。
レグナがそれを制止しようとするが、間に合わず一人の警備兵が槍を構えた。
「大人しくしろ!!」
それをきっかけに警備兵が次々に侵入者を取り押さえようと動き出す…が、彼らは呆気なく吹っ飛んで地面に叩きつけられた。同時に上がる絶叫。
「あついぃいいい!」
何が起こったか、警備兵たちが壁になっていてよく分からなかったけれど、僅かな爆発音のようなものが聞こえた後、彼らは侵入者を中心に吹っ飛ばされ、同時に炎に包まれた。
地面にのた打ち回り、苦しむ兵の姿にルッティは息をのみ、侍女たちが再び悲鳴を上げる。残った警備兵たちも驚いて言葉もない様子だ。
幸い火の勢いはなくすぐに消えて、黒い煙を纏った警備兵たちが自力ですぐそばにあった噴水に飛び込むのを横目で確認しつつ、私は再び口を開く。
「それは私が世界王の妃としては相応しくないから…という事でしょうか?」
『警告』、『命が惜しくば』というからには、この場では私に危害を加えるつもりがないということなんだろうが、それにしては少々パフォーマンスが過ぎるだろう。
私個人に敵意があるだけにしては、警備兵が来る前に私をどうにかする時間があったのに何もしないのは変だ。
「違う。貴様など、我らの眼中にはない。」
「わざわざこんな場所まで警告しに来てくださったのに、つれない言葉ですね。」
軽口を返しつつも、内心では侵入者の言葉に混乱していた。全く彼の目的が見えてこない。
それはレグナも同じようで、盛大に眉間に皺が寄っている。
「これから起こる争いに、無関係な者を巻き込むことは我らの主義に反する。貴様はオルロック・ファシズの人間…これから起こる戦いに何一つ関係ない人間だからな。」
オルロック・ファシズの私は無関係…ということは、単純に考えてレディール・ファシズの人間は関係があるという事?
だから、警備兵を丸焦げにしておいて、私を巻き込みたくないなんて訳の分からない論理が彼の中で成り立っているの?
「【我ら】とは一体何なのでしょうか?貴方は何と戦うつもりなのです?」
苛立ちが声に出ないように、極力声を抑える。
警備兵に取り立てて思い入れもないけれど、目の前で傷つけられて何も感じないほど、私は鬼じゃない。
それにしても侵入者が何を拠り所にして意思を決定しているか、私が持つ情報では推測が不可能だ。
本当に『警告』だけが目的で警備が厳重な後宮まで単独で侵入して、この凶行に及んでいるとしたら、よほど自分の力に自信があるのか、頭の螺子がぶっ飛んだ異常者としか考えられない。
「我らは<神を天に戴く者>。我らが敵は教会、そして世界王。」
言いながらゆらりと侵入者の体が左右に揺れる。
「それに関わるものを悉く討ち果たし、神を天へと開放し、真の自由を得るために我らは戦う。オルロック・ファシズの王妃よ、我が問いに返答無きはすなわちこの場から去らぬという意味にとる。それはすなわち、貴様が世界王の関係者という事実!!」
言葉が後になればなるほど大きくなり、言い切った途端にそれまでのゆっくりした動きが急に俊敏となり、剣が私に向かって突きつけられた。かと思った次の瞬間に、カッと赤く光る。
それが何かは分からないが、嫌な予感がしまくりで私は咄嗟にルッティを押しのけて、私も反対側に跳んだ。
その際も外さなかった視線の先で、光が線となり、その上を炎が素早く走るのが見えた。そして、次の瞬間、爆音と焦げ臭い匂い。
「警告が受け入れられぬ時は、王妃を始末しろと言われている。精々、愚かな自分を恨め!公衆の面前で灼熱の業火に焼かれて死ね!のた打ち回れぇえ」
(何が警告よ!最初っから、私を殺す気満々なんじゃない!)
すぐに振り返った先には座り込んだ侍女たちの真横の後宮の壁が、跡形もなく吹っ飛んでいるという光景。
彼女たちは顔中を涙で濡らして美しい顔が台無しだけれど、煤で黒くなっている以外には怪我をしている様子もない。
それにほっとしつつも、また強い西日より赤い光を感じて私は全力で駆け出した。
「アイルフィーダ様ぁあ!」
ルッティの悲鳴が、爆音で遠くにしか聞こえない。だが、その悲鳴にも構っている余裕はない。
どうやら、侵入者の目的は確かに私を殺すことらしい。
兵が来るまで待ったのは、『公衆の面前で』という言葉から推測するに、私を襲う舞台に観客が欲しかったということだろう。
加えてその前のややこしい前座じみた警告は、恐らく彼の所属する集まりにおける決まり事で、世界王や教会の関係者でなければ危害を加えられず、それを確認するというプロセスが必要だったと思われる。
それが解消された今ではこちらに向ける瞳には私に対する殺意しか宿っていない。感情が宿っていないと思われた生気を失った顔には、狂気に取りつかれた悦楽の表情が浮かんでいた。
「ふはははははっ」
(ちょっと、温度差ありすぎでしょ!!)
さっきまでの慇懃無礼までのローテンションはどうした!と、私は走りにくいヒールで後宮の庭を駆ける。こんな時に限って、リリナカナイに会うために普段よりも高いヒールなのが恨めしい。
ともかく建物に被害があっても、人的被害だけは避けなくてはと思ってはいるが、後宮の庭と言っても広さはそこまで大きくない。
逃げる場所は限られ、どこかから建物の中に入ったほうが良いかと、ちらりとこちらを追いながら大剣を振り回して炎をぶつけまくる侵入者を振り返った途端、再び光が迸り、それを遮るように人影が立ちはだかるのが見えた。
「レグナ!」
人影に思わず敬称もすっ飛ばして名前を叫んだ。
いくら頑丈そうな御仁でも、後宮の壁を跡形もなく吹っ飛ばすほどの炎を受け止められるはずもない。
名を呼ぶ以外に瞬間的にできることがある訳でもなく、無情に爆音が響き、レグナが炎と黒煙に包まれた。
「?」
しかし、炎も黒煙も一瞬で消え去り、変わって青い光が一瞬だけ瞬いたかと思えば、火傷一つ負った様子もないレグナが現れた。
彼はこちらを振り向くと、にやりと不敵な笑みを浮かべて告げる。
「言ったろう?あんたを守るのも仕事だって…まあ、とりあえずだがな。」
言いながら無骨な彼には似合わない細身の鋭い剣を二本両手に構えて、侵入者と対峙する姿が少しだけ頼もしく思えた。