4-4
『王妃』になると自分で決めた時、その言葉があまりに自分に縁遠くて、その言葉が自分を表すものになる実感は微塵もなかった。
だけど、それは『王妃』なんてお伽噺の中に出てくるような甘い幻想ではなく、厳しい現実を伴って私に突きつけられた。
それは【アイルフィーダ】という個の喪失。
誰も私を【アイルフィーダ】ではなく、オルロック・ファシズの人間で、お飾りの王妃…ただそれだけの存在としか認識していない。
そして、気が付けばそれを受け入れている自分がいた。
【アイルフィーダ】ではなく王妃として、ここで生きようとしている愚かな自分。
王妃としても打ちのめされて、最後にはランスロット相手に八つ当たりしてしまうような可哀想な自分。
―――だからかもしれない
私はレグナからオルロック・ファシズ軍情報部【アイルフィーダ・ファシズ少尉】と呼ばれた瞬間に、何だか目が覚めるような思いがした。
(そっか、私、アイルフィーダのままでいいんだ)
18歳になって学校を卒業後、色々理由があって私は軍へと入隊。
結果、三等兵から始まって意外と出世を果たし、入隊後6年目にして少尉になった。
まさか、それから一年も経たないうちに結婚するために除隊する羽目になるとは思っていなかったけど。
そういった自分の経歴を別に取り立てて隠していたつもりはない。
まあ、自分からそれについて話したことはないし、釣書のようなものを用意したことも無い(それについては自治議会で勝手に用意していたかもだけれど)。だけど調べればすぐに分かる。
少なくともこんな風に取調べみたいにされずとも、聞かれれば素直に答えていただろう。
そもそも後宮に入った直後、ほぼ軟禁状態にされて私は、レグナが告げたように、元軍人だから監視されているんだろうと理解していた。
ちょっとばかし厚遇されているのは気になったけど、気楽な捕虜くらいの感覚だったのだ。
だけど、その認識は時を追うごとに改められた。
何しろ監視という面において、後宮の警備はあまりにお粗末としか言いようがないのだ。
今回、私があっさり後宮から出られたことにしても分かるように、私に対して過保護な一面を見せつつもそれに強制力はなく、更にランスロットという身内かもしれないけれど侵入者まで許している。
更に軍人の性で色々後宮からの脱出ルートをシミュレートしてみると、案外あっさりと成功しそうで……決して良からぬことを考えた訳じゃないけれど、私がここから逃げ出したり、スパイみたいなことをすることは多分、この警備の中では難しいことではないように思えた。
だから、元軍人だと知られていないと考えた私だけど、それを確かめなかったのがいけなかったんだろうか?
それならば…と、多分私はより一層『王妃』らしくありたいと思ってしまった。
元軍人という、どうみてもマイナスイメージがないなら、もしかしたら『王妃』として認めてもらえるんじゃないかと淡い期待を抱いたんだ。
(無駄な猫を被っていたってことか)
そのために私は私らしさを捨てたというのに、実は知っていたって…『こいつ(私)、元軍人のくせに大人しいふりしているの?』くらい思われていた訳??……そう思って脱力して何が悪い。
ばれているなら、これ以上暑苦しい猫を被っている理由もない。
こうなったらヤケクソだ!私はさっさと無意識で被っていた猫を呆気なく掘り投げた。
途端に気持ちが急に楽になったような、視界がクリアになったような気がして、自分の単純さに呆れる反面、本当の意味でレグナと対決姿勢を強めた。
かくして私は視界一杯を覆い尽くすレグナに笑いかける。
「レグナ様、近いです。離れてくださいませんか?」
ランスロットと対した攻撃的な声とは違う落ち着いた声。
だけど、【アイルフィーダ】としての自信を取り戻した私の声には、レグナに負けない強さがあった。
レグナが目を見張るのが、すぐ近くだったので良く見えた。
「そんなに近づかれると逆に話しづらいです。そんなに近くで見張って頂かくとも、私は逃げも隠れも致しませんよ。」
「そんなつもりはねーよ。」
吐き捨ているように言いながら、身を乗り出していたレグナが椅子に乱暴に座る。
息を詰めていた侍女たちが、ほうっと息を吐き出す気配にちらりと振り返ると、彼女たちは慌てて背筋を伸ばす。
それを見てニヤリと笑うと、これまでの【好かれる王妃】を目指していた私なら、それを見て見ぬふりをしていてたからだろう、侍女たちも一瞬呆気にとられたような顔をする。
(驚くのはこれからよ)
「ありがとうございます。さて、それで何がお聞きになりたいんですか?いえ、初めは私が質問したのではなかったですか?」
「黙れ。」
茶化した言い方にレグナが低い声を更に低くする。
だけれど、それに眉一つ動かさずに笑顔を湛える…うんうん、これが本来の私。
「一般人ならともかくオルロック・ファシズの軍人だったあんたが、どうして世界王妃になった?何が目的だ?正直に話せ。」
目の前のレグナには先ほどまでの適当さも、だらしなさも無く、間違いなく歴戦の騎士の気迫がある。
研ぎ澄まされた鋭く、重いプレッシャーともいえる気配に、私は更に昔の感覚を鮮明にさせていく。
「例えば私に何か目的があったとして、軍人の端くれを名乗っていたのなら、それを簡単に話すとでも思っているんですか?入隊した時、しっかり誓約書を書かされているんですよ。『汝、軍内部の機密を漏えいせしめた時は、重罪に処す』って。しっかり母印まで押させられましたよ。」
もっとも、レディール・ファシズに嫁いしまったため、その効力があるかと問われれば難しい所だけれど、軍人だった以上、軍や国の機密事項を守り通す義務が私にはある。
「あくまでもしらばっくれる気か?」
「今の聞いていませんでした?『例えば』と私は申しました。軍人としての私に目的なんてありはしません。それに誰も期待してもいません。」
あるのは私『個人』の目的だけ。
それも他愛無く、醜い私からフィリーへの恋情…それが大半を占めている、絶対に誰にも言えない目的だけ。
「そんな事、信じられるか。」
まあ、そうだろう。だけど、だからってこんな私の感傷をレグナに告げるつもりはない。というか言いたくない。
「そうは言われますけど、大体、私はそちらから望まれて嫁いできたつもりですよ?望んだでしょう?オルロック・ファシズ自治議長の縁者を王妃にと。」
「縁者だと?結婚前に養子縁組しただけじゃないか。」
皮肉に歪む唇が告げた事実は、これまた真実。
自治議長の娘として嫁いだ私だけど、彼と血は一滴も繋がっていない。
「あら、ちゃんと調べていらっしゃるじゃないですか。知っていて娶ったなら、それは私が悪いんじゃなくて、それを了承した貴方たちが悪いのではないですか?王妃候補は他にもたくさんいたはずですよ。その中には本当に自治議長の血縁者で、普通の女性だっていました。それを選ばずに私を選んだのは―――」
「フィリーだ。」
(まあ、実際には私が【選ばせた】んだけど)
苦々しく私の言葉をひったくるようにレグナが告げた名前に、私もそっと自嘲する。
本当はレグナが思うように、私は望まれて世界王妃になった訳ではなく、フィリーの中にある罪悪感を利用して、そうなるよう仕向けた。
それが卑怯で狡猾な所業だと分かっていても、私はその方法を選んだ。
だけど、それはフィリーと私しか知りえない、そして私たちの間にあるたった一つの契約であり絆。
「では、貴方がそれを私に言うのは筋違いだとお分かり頂けますよね?」
「それでもフィリーを、王族を守るのが俺の役目だ。憎まれ役でも、何でもやってやる!!」
先ほどまでの適当でだらしないのは、あくまでフリだけらしい。
私ののらりくらりとした対応に、フィリーを守るために彼が本気で憤っているのが分かる。
情報部とはいえ私の担当はレディール・ファシズではなかったので、レグナの人となりまでは分からないけど、いい部下に恵まれているらしいフィリーに少しだだけほっとした。
「では、どうしますか?王妃ではなく捕虜として私を扱って拷問でもしますか?構いませんよ…ですが、そうなった時点で私にも考えがありますけど。」
「アイルフィーダ様!!」
私の挑発にルッティが悲鳴のような声を上げ、レグナが眉毛を片方だけ器用にあげる。
ぐっと握られた拳が振るえ、彼はそれをテーブルに叩きつける。
テーブルが一瞬浮き上がるほどの衝撃に、食器がけたたましく音を立て、お茶が零れた。
「んなもん、できるもんならやってるさ!俺だけじゃない、重臣たちだってこれだけは意見が珍しく俺と同じだ。情報部だったあんたは、万が一にも目的がないとしても、オルロック・ファシズの重要情報を持っているはずだからな。だが、フィリーが首を縦に振らねぇ。」
その言葉には表情には出さないけど、私が驚いた。
契約は私を世界王妃にするというものだったけれど、その後に捕虜にするなという範囲にまでは及んでいなかった。
だからこそ、私は現在の待遇に戸惑っている所がある。
「せめて監視を付けさせろと言っても、あんたに悟られるなと無理難題を押しつける!それに後宮内部に男を入れるなだぞ?そんな中、どうやってあんたを監視できるんだ!!そのくせ今回の騒動でネチネチと嫌味を言いやがって。」
穴ばかりだと思っていた警備については、レグナとしても物申したいらしい。
だけど、それよりも―――
「ふぃ…いえ、陛下がそんな事を?」
フィリーだって私の経歴を知っているというのであれば、捕虜にしないにしても監視の一つや二つ付けようとしてもおかしくないはずだ。
「しらばっくれるんじゃねえよ。フィリーがあんたに惚れ込んでいるのは、一目瞭然。知らねーのは、可哀そうな巫女の嬢ちゃんくらいか?アイツも全く罪な野郎だ。おかげで周りの俺たちがどれだけ苦々しく思っている事か。」
「………」
その言葉には咄嗟に声が出なくなった私である。
どうやら、レグナはとんでもない勘違いをしているらしい。
(フィリーが私に惚れ込んでいる?)
一瞬、違う言語を聞いているのかと思う程、意味が理解できなかった。
だけど、その一方で私とフィリーの契約を知らなのであれば、それも致し方ないのかと思い至る。
そして、同時にフィリーが私にそんなことまで気を遣ってしまうほど罪悪感を感じている事を思い知る。
そうなるように契約を仕向けたのは私だけれど、今更にそれが苦くて、辛くて、自分で自分を笑うしかない。
彼にとって私は罪悪感の塊だ。
それについてフィリーだけが悪いわけじゃない。だけど、フィリーさえいなければ、私はあれほど傷つかなくても、苦しまなくても、悲しまなくても良かった。
彼もそれを理解している。
だからこそ、彼は私を世界王妃にしたんだ。
だからこそ、彼は私に気を遣う。
だからこそ、愛してもいない私に愛を囁く。
きっと、これまで可哀そうな私に彼は私の知らない所でいくつも気を遣ったんだろう。
それが、レグナにフィリーが私に惚れこんでいると思わせた。
―――本当はただ憐れんでいるだけなのに
沈む思考に伴って、落ちる視線。
時は経ち夕日は燃えるように赤くなり、白磁のカップは同じ色に染まり、その中に笑いも泣きもできない、あまりにみっともない顔をしている自分がいる。
「さっきも見ただろう?アイ―――」
もはやレグナの言葉を右から左に聞き流しつつ、自分のそんな感情を整理しようとしていると、テーブルの上が不意に陰った。
―――ガシャンッ
先程、レグナがテーブルをたたいた時より、はるかに大きくて激しい音が、静かな後宮に響く。
咄嗟にテーブルから離れていた私は、その音源に目を細める。
レグナも同様に音とともに、もはや原形を留めていない煙を上げて半分溶けているテーブルから離れている。
「キャー!!」
甲高い侍女の悲鳴がいくつも上がる中で、ルッティが私を守ろうとして近寄ってくるのを制した。
彼女に何かあってはいけない。
私は行儀悪くもテーブルの上に仁王立ちになる人影を睨みつけた。
アイルフィーダは普通の一般市民でしたが、オルロック・ファシズの最高行政機関<自治議会>議長という、総理大臣とか大統領のような人の娘として嫁いでます。というか、嫁ぐためにその人と養子縁組をした訳です。