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長い話になるという言葉に、私はお茶のお変わりと上に羽織るものを侍女に頼む。
私たちが今お茶を囲んでいるのは、後宮の庭園だ。
気が付けば太陽も次第に傾きかける夕刻。
長い時間とはいえ何時間もかからないだろうが、現在の初夏の陽気ではワンピース一枚では少々肌寒かった。
そんな私にレグナは中に入って話を続けようかと提案してくれたが、私はそれに首を横に振った。
何度も言うけれど、後宮は基本的に男子禁制なのだ。
もうレグナが後宮にいるという事実は消せないけど、せめて室内ではなく屋外で、更にルッティ他たくさんの侍女の目のあるところで、レグナとの対面は済ませておきたかった。
フィリーがこの事を気にするとは思えない。
だけど、後々レグナと後宮で会っていたことを重箱の隅をつつくように誰かに追及された時、その逃げ道を念のために用意しておきたかった。
かくして、レグナの長いような短い話が始まった。
「まず、王妃さんの警護が厳重な理由には、一つあんたがオルロック・ファシズであること。そして、現在のレディール・ファシズが一枚岩じゃないことが大きな要因だろうな。」
ルッティがレグナの空になったカップに静かにお茶を再び注ぐ。
それを再び口元に運びながら、レグナは私を見て少し目を細める。
「まあ、面倒な話は省略するぜ?30年前の<バルバトスの箱舟>事件以降、陣営は表面的には神の権威を笠にのさばる教会によって支配されていたが、その教会から神を救い出そうっつう反教会組織・名もなき十字軍が結成され、テロやデモが頻発するようになった。対する教会もそれを鎮圧しようと武装化を進めていって、正直、フィリーが世界王になるまで<神を信仰する陣営>は本当にひどい有様だったよ。」
その時のことを思い出しているのか、にやけた顔に影が落ちる。
すると意外に顔の皺が深いことに気が付き、レグナの顔が急に年相応に老け込んだ。
それを見つめながら、私は省略された部分を補いつつレグナの話を咀嚼する。
そもそも成り立ちが相容れないため、反発せざるを得ないレディール・ファシズとオルロック・ファシズだけれど、両者の領域は重なり合うどころか、距離としてかなり離れているために無関心と不干渉が長きにわたる不文律だった。
更に両陣営の領域は共に<不入の荒地>と呼ばれる不毛の大地に囲まれていたため、不文律はより確かなものになっていた。
私も厳重警護に守れつつアッパー・ヤードに到着するまで、丸一週間ほどかかったし、食糧や飲み水もなく、天候も昼は灼熱、夜は極寒、更に人知の至らぬ魔物も出没するとなれば、よほどの準備と覚悟がなければ荒地を越えることは不可能だと分かる。
そんな感じで行き来自体が限りなく難しい故に、互いの存在を憎々しく思っていても、連絡を取り合う事すらなく均衡状態がずっと続いていたのだ。
―――<バルバトスの箱舟>事件、それがおこるまでは
レグナの話を訂正すると、それがおこったのは正確には29年前になる。
今説明した通り、互いの存在を認識していても、交流がほとんどなかった二つの陣営にその事件は大きな衝撃をもたらした。
それは大規模な亡命。
レディール・ファシズの人間が何百人単位で暴徒と化し、<バスバトスの箱舟>と呼ばれる完成間近だった世界初の巨大空中戦艦を奪取し、オルロック・ファシズへと亡命したのだ。
その暴挙に至った理由は神の教えを説き、守るために存在する教会への不信。
彼らは教会の独裁政権下で神の教えは守られないと主張し、オルロック・ファシズに亡命を果たす。
オルロック・ファシズは教会の教えや神を信じていないが、だからと言って基本的に神とその教えを排除するという差別意識はなく、寧ろ政治的思惑を有して亡命者たちを好意的に受け入れた。
ちなみに教会について説明不足だと思うから補足させてもらうと、レディール・ファシズは神を頂点として世界王と巫女が次点に並び立っている。
世界王は主に執政により民衆を導く立場であり、政治的実権を握る議会と軍事的実権を握る騎士団の長だ。
対して巫女は世界王を補佐する他に、民衆を宗教的立場から導く立場として、教会という唯一神の教えを説き、守る存在の長として存在していた。
だけど、いつしかこの教会という存在は本来の役割だけに収まりきらず、騎士団とは別に独自の武力集団を持ち、執政などにも強く影響力を持つようになっていった。
それに伴って世界王や巫女はいつしかお飾りの存在となり、教会によって次代の世界王と巫女が選ばれることが慣習となり、教会の権力はレディール・ファシズにおいて絶対的なものとなり、民衆を蔑にする腐敗した政治が行われるようになった。
それだけの力を持つ教会である。
<バルバトスの箱舟>事件も大規模な亡命という前代未聞な大事件とはいえ、それらを反逆者として扱い、徹底的な情報操作や弾圧を用いて事件後に、反教会派である名もなき十字軍を生み出さないことも難しいことではなかったはずだ。
実際、情報は様々に操作され、教会の武装集団による武力弾圧も何度もあったらしい。
だけど、この事件がただの大規模な亡命という事実に留まらないことが、名もなき十字軍が今日まで教会に屈しない大きな存在になる要因だった。
―――何しろ、その亡命には当時の世界王と巫女が含まれていたのだ
これには教会も二の句が告げないというか、完全にお手上げとしか言いようがなかった。
世界王と巫女、権威の象徴である二人がそろって教会に反旗を翻し、オルロック・ファシズに亡命した。
民衆の教会に対する尊敬や信頼は地に落ち、反教会勢力によるテロやデモは武力弾圧にも屈することなく続いていく。
更に教会にとって苦しかったのは、次に世界王になれる血筋が亡命した世界王以外にはあらず、世界王がいない以上、巫女を選定することができなかったのだ。
よって、レディール・ファシズ史上初の世界王不在の期間が生まれてしまった。
―――その期間、およそ21年
「崇めるべき神の代弁者を喪失した21年は長すぎたってことだ。教会は世界王と巫女の権威を利用しまくっていた以上、世界王不在を埋める絶対者を作る理由を考えらえず、結果、30年くらいまでは強固な団結力があったレディール・ファシズも今はバラバラ。」
レグナの話はあまりに端折りすぎの感はあるけれど、予備知識があるおかげで私は特段困ることなく彼の話を聞けた。
むしろ、私が聞きたい話はここから先だ。
「表面上は八年前、正当な王位を継ぐ者フィリーが現れたことでテロやデモは一定の鎮静化を見せている。長きにわたる内戦状態の中で空位だった世界王という存在は、教会を信じられなくても縋り付きたくなる希望だ。」
城の中に、更に後宮に押しこめられてる私には全く分からないけど、中心地であるアッパー・ヤードでさえその治安は悪いと聞く。
長い内戦はレディール・ファシズに大きな傷跡を残し、未だにその傷は膿を孕んだままなのだ。
「フィリーや巫女の嬢ちゃんが、教会の独裁に異議を唱えて、民衆のための政治をしようとしていることも反教会派の鎮静化の大きな要因だ。それでも教会の堅物共は二人の邪魔をしまくっていて、八年経ってもあまり状況が好転したわけじゃないけどな。それでも…前進はしているんだ。」
離宮でのリリナカナイの言葉が思い出された。
彼女が言っていた頑固爺もとい【重臣】というのが、多分レグナが言うところの【教会の堅物共】なんだろう。
それらに対抗し、現状を良くするためにフィリーやリリナカナイはオルロック・ファシズの王妃を欲した。
その真意は分からない。
分からない以上、簡単に協力はできないと思うけれど、私だってこちらの事情をある程度理解していて嫁いできた。
こんな風に何もかもから隔離されて、弾きだされさえしなければ、王妃としての役割くらいは果たすつもりだった。
辛くてもフィリーが求めてくれるなら本望だった。
なのにリリナカナイから王妃として求められ、フィリーからは無視されて、一体彼らが私に何を求めているのか分からずに振り回されては、私はあまりに辛い。
そんな風に先ほどまでの離宮での出来事を思い出して苛ついていると、レグナがふと言葉を切って私の顔をまじまじと見ている。
「?」
それを不思議に思って見返していると、適当感たっぷりのレグナが不意に真剣な顔をしてこちらを睨み付ける。
さすがに近衛騎士団団長の役職を賜っているだけあってその迫力に、私の後ろに控えている侍女が息の飲むのが分かった。
「……とここまの話はオルロック・ファシズの人間であるあんたが知るはずのない情報だ。だけど、あんたは嫁ぐ前から全部知っていただろう?でなきゃ、今の話が全部理解できはずがない。それとも、意味も分からず訳知り顔をしているだけか?」
カップを音を立てて乱暴に置いてこちらを威嚇するレグナ。
急に人が変わった彼にルッティが抗議しようとするのを私は静止して、代わりにのんびりと答えた。
「答えを知っているのに、わざわざ私の答えさせるんですか?」
そのまま冷めてしまったお茶を啜り、あまりの不味さに入れなおしてもらうようにお願いする。
「とぼけるのもいい加減にしてもらおうか?」
対するレグナは私のそんな態度に業を煮やして、今度はテーブルを叩いて私に詰め寄る。
そのまま鬼の形相で息がかかるほどの距離で私を下から上に睨み付けた。
(まるで取り調べみたい)
だけど、それに負けたくなくて、私は平然としたままその目を見つめ返す。
「腹の探り合いは面倒だからやめにしようぜ?オルロック・ファシズ軍、情報部アイルフィーダ・ファシズ少尉。軍人だってネタは上がってるんだ。あんたの警備が厳重なんじゃない、警備は軍人であるあんたが変な行動をしないか監視するためのものなんだよ。」
告げられた言葉は真実。
確かに私はこちらに嫁ぐまで、オルロック・ファシズ軍に在籍する軍人であった。