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―――メルト・ファウンド
それはメルト・ファスト最大の多目的娯楽施設の名前だ。
買い物、食事、遊園地、舞台、映画など細分化すればするほど数限りない、人間が遊ぶための要素が詰め込まれたその場所は、5年前オープンした。
娯楽施設というものがなかった訳ではなかったけど、細々としたパッとしないものばかりしかなかったため、メルト・ファウンドができた直後は毎日人が入りきれないくらい溢れ、社会現象まで引き起こしたことが記憶に残っている。
ミーハーな女学生たちに紛れて、私も何度も遊びに行った。
5年たった現在でもその人気は健在で、様々に趣向を凝らしたエンターテイメントは行く度に違う楽しさを客に与えてくれている。
『私はこの場所で全ての人に夢と希望が与えられればいいと思っています。束の間、つらい現実を忘れられる場所…人にはそんな場所が必要なのですから。』
インタビューでそう答えていたのは、メルト・ファウンドの創始者にして、自治役員の一人ケルヴィン・ヘインズ。
彼の名はメルト・ファウンドができたことにより一躍有名になった。
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(なんて堅苦しいことをいくら考えても、全然落ち着かないわね)
ぶつぶつと頭の中でこの場所について難しく考えてみたものの、全然落ち着かず、私は大きく肩を落とす。
一週間も経てば、自分の中の感情を整理して落ち着けるかと思いきや、約束の日が近づくにつれて私の落ち着きのなさには拍車がかかった。
あまりの挙動不審ぶりに周囲は心配し、自分でも制御できない感情に私も戸惑った。
それも今日で終わりかと思えば気が楽に…なすはずもなく(だって今日が本番だし)、私は現在一人でメルト・ファウンド入口付近で往生際も悪くキョロキョロ・そわそわしていた。
ちなみに時刻は9時30分…実はその30分前からここでスタンバイしていたりするのだけど、何度時計を見てもなかなか時計の針は進まない。
(何か…早く来てほしいような。来てほしくないような)
気持ち的には一人でアタフタするのも疲れたし、さっさと済ませてしまいたいという気持ちもある。
だけど、そうそうあるはずもないフィリーとの二人っきりで出かけるというイベントが、終わらなければいいとも思っている。
相反する二つの感情の狭間、まさに複雑な女心を実感して唸っていると、人混みの中に彼というか彼女を見つけて、その全てがどっかにいってしまう。
「アイル!早いな、待たせたか?」
「う、ううん!今来たところだよ?」
なんて、会話…ああ、本当にデートみたいだと、緩む頬を無理やり引き締める。
(いかんいかん)
首を振る振って、改めてフィリーに向き合う。
彼の美少女ぶりは今日も素晴らしい。
長い髪はシュシュで一つに結ばれ、珍しく活動的に7分丈のズボンは薄桃色。可愛らしいけど決して下品ではないシフォンのカットソーはオフホワイト。その上にモカ色のカーディガンと綺麗なコサージュをつけている。
夏っぽさを残しつつ、もう秋先取りですか?と言いたくなるような、ファッション誌から飛び出てきた感じの服装には降参するしかない。
そして、フィリー越しにぶつかるいくつかの視線。
私一人のときは感じなかった視線が、フィリーと合流した途端に四方八方からビシバシ感じられる。
いつもは子供か老人しかいない中でしかフィリーとは会ったことはなかったので実感しないけど、こうして街中で会ってみると彼の美少女ぶりは凄まじいんだと笑えてくる。
(誰もフィリーが男だなんて分かんないよねぇ)
そんな中で自分だけ彼が男だと知っていることに、妙な優越感を感じつつ、一方、私の服装はといえば昨夜も数少ない洋服たちと戦った結果、今回は辛くも勝利を収めたような気がする。
何しろ唯一の外行き用のワンピースを投入したのだ。これで負けてはどうしようもない。(…そもそも誰が勝ち負けを決める訳ではないのだけど)
「じゃあ、チケット買って中に入ろうか?」
メルト・ファウンドは様々な娯楽施設が一堂に介していて、来る人は皆それぞれ目的は違うだろうけど、とりあえず中に入るチケットが必要なのだ。
買い物するだけで必要なのかと憤慨する人もいるだろうけど、ここはいるだけで何もしなくても十分楽しめるテーマパーク。
チケットさえあれば、アトラクションには乗れずともショーやパレードは見放題だし、入場チケット代と言ってもジュース一個買うくらいの値段だから、これらを見に来るためだけに入場する人も少なくない。
ここは買い物をするために来るというよりは、雰囲気を楽しむための場所と言って良かった。(店の品揃えは確かだけど)
「それなら私が持ってる。」
「え?ありがとう、先に用意してくれたの?お金払うよ。」
チケットブースを見れば人がたくさん並んでいるので、並んでいては時間もかかっただろう。
「何言ってるんだよ。別にいいよ、父親からくすねてきただけだし。」
「ええ?駄目だよ!」
「…なあ、アイル。ひょっとして気が付いてないのか?」
「何を?」
本気で何に気が付いていないのか分からないので首を傾げると、笑ってフィリーは首を横に振った。
「ねえねえ、私、何を分かっていないの?」
この話の流れで何を分かれというのか全然見当もつかないけど、何だか分からないことが恥ずかしいような気がして、笑うフィリーに問い詰める。
「いやいや。別に?ほら、行こうか?」
「ちょっ!」
だけど、フィリーはそれ以上何も教えてくれず、私の背を押してメルト・ファウンドの中に入った。
その時、私たちを見つめる目があることにも気が付かず。
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「………」
フィリーが絶対私に似合う服があるといって連れてこられた店の中で、私は沈黙していた。
「これなんかどうだ?…これも絶対似合いそうだ。」
次々とフィリーの手によって服が当てられるけど、彼の言葉に私は絶対にそれはないと声を大にして言いたかった。
俯いた視線を僅かに上げれば、きらきらと光る安っぽそうなガラスのシャンデリアが、店内のこれでもかというほどキラキラして、可愛らしい感じの洋服たちを照らしている。
(可愛い…うん可愛いとは思うのよ)
店内には私たちを始め、数人の女性客と店員がいて、その全てが明らかに私とは違う種類の服を可愛らしく着こなしている。
その全てにはフリルやら、レースやらがたくさん使われていて、そういう洋服のジャンルがあるのは知っていたし、友達にもそういうのが好きな子もいるから別に偏見を持っている訳じゃないけど…自分では絶対に着ないと思っているジャンルの服に囲まれて、私は心底居たたまれなかった。
私がそんな状態なのに彼は全く気にした様子もなく、嬉々として私の洋服を選び続けている。明らかに二人は浮いていた。
「ね、ねえ?」
「何?…あ、これもいいな。ちょっと試着してみたら?」
「ええ!しないしない…っていうか、ニーアは私にこれが似合うって本気で思っているの?」
むしろ、冗談だと笑ってくれた方が嬉しかったのに、彼はあっさり頷いた。
「アイルは割と幼くて可愛い顔立ちだし、華奢だろ?髪も長くて、目も大きい、絶対こういう服が似合うと常々思ってたんだ。」
「えええ?!いや、そんな風に言われても」
少しでも照れながら言ってくれでもしたら、その言葉にも信憑性があったかもしれないが、あまりにさらりと言われた上に、こんな美少女相手に言われても信じられない…っていうか、それは寧ろフィリーの方がその言葉通りだ。
「気に入らないか?」
「気に入らないっていうか…趣味じゃないっていうか。」
買ったところで絶対に着ない。
「似合う服と好きな服は別物だ。ともかく着るだけはただだし、一度試着してみなよ。」
言いながらグイグイ引っ張っていくフィリーに抗うこともできただろうけど、あまり意地を張って折角のデートを台無しにしたくない。
(まあ、似合わないに決まっているし。試着してさっさと脱ごう)
そんな風に思いつつフィリーに引っ張られるままだった所、前を見ていなくて誰かにぶつかる。
「ごめんなさい!」
相手はだいぶ小さな背丈の人だったようで、よろめいて尻餅をついてしまっていて私は慌てた。
「イタタ…ううん。私も人を探しててキョロキョロしてたか―――ああ!!」
顔を上げた瞬間に交わった視線の先の瞳の色に、思わず息を飲む。
(アカ)
宝石のように煌めく赤い瞳、短くてもサラサラな銀色の髪、天使のように美しい少女…私は彼女を知っていた。
(どうしてここに?)
混乱する私だけど答えはすぐに分かった。
「リリナ、どうしてここにいるの?」
「フィリー…あは、見つかっちゃった?」
私の背後から彼女を呼ぶフィリー。
そのフィリーに対してバツの悪そうな顔をする彼女。それが全ての答えだった。嫌な予感に頭が真っ白になった。
「外ではその名は呼ばない約束でしょう?ごめん、アイル。この子は私の幼馴染で…」
「リリナカナイ・デュヒエといいます。初めまして!!!」
私の胸くらいの背丈の彼女が、可愛らしく頭を下げながら自己紹介をする。
「それで?どうしてここにいるの?」
「だって、フィ…じゃなかったニーアったら最近、全然遊んでくれないんだもん。だから、今日こそはと思って家に遊びに行ったら、もう出かけたって聞いて。」
しゅんと萎れた花のように俯くリリナカナイ。
それまで少しだけ怒ったような顔をしていたフィリーも、そんな彼女に仕方がないなぁといったように彼女の頭をポンと叩く。
そして、笑う。
(…ヤメテ)
呆然と立ち尽くしたままの私は心の中で呟いた。
そんな顔で笑わないで、優しくて、愛おしくて仕方ないという笑顔…アイルフィーダさんにも見せたことないじゃない。
フィリーは17歳。リリナカナイは13歳。
この年頃の4歳差は大きい。
フィリーにとって彼女はまだ妹のような存在かもしれないけど、リリナカナイにとってフィリーはすでに恋する相手だと一目で分かった。
頬を染め、大きな瞳に好きだという感情を隠すことなく彼を見つめる表情は、少女ながらに一端の女でもあった。
そして、フィリーがそれに気が付いているか否かはともかくとして、その視線に誰にも見せない優しい微笑みを返している。
数年後の二人が恋人になっているだろうことを想像するのは、ありふれた恋物語の結末を予想するのと同じくらい容易い。
(お願い『彼女』だけはヤメテ)
「それで追いかけてきたの?まったくリリナの行動力には驚かされるわ。…よくここが分かったわね?」
「だって、ケルヴィンおじ様がニーアにチケットをせびられたって珍しがってたから。」
「っち、くそ親父め。」
小さくつぶやかれた言葉は私にもリリナカナイにも聞こえなかったけど、萎れていた彼女も、フィリーの声音が怒っていないことを感じ取ったのか、にこりと天使のような笑顔で彼を見返す。
美少女二人の競演に店内も何事かと、こちらを遠巻きに窺っている。
リリナカナイの登場に呆然自失となっていた私も、正気に戻りとりあえずはここを離れなければと思う一方で一つ気になった。
「ケルヴィンおじ様?」
まさかという気持ちで問いかける。
確かフィリーの正式な名前は、フィリー・ヘインズ。ヘインズなんてありふれた名前だったから、気に留めていなかったど、父親がケルヴィン・ヘインズ?
「ああ…ばれた?そうなの。」
それが答えだった。
フィリーはこのメルト・ファウンドの創始者ケルヴィン・ヘインズの息子……あの『ヘインズ』の子供。
それを理解した途端に、色々なことが私の頭の中で駆け巡った。
フィリー、リリナカナイ、ケルヴィン・ヘインズ…その三人によって導き出された結論は、私にとってあまりに残酷だった。
「アイル?どうかした?ごめん、隠しているつもりはなかったんだけど、チケットをくすねたって言っても気が付かないし、わざわざ言うのもどうかと思って。」
沈黙に沈む私が怒っていると思ったらしく、謝るフィリー。
「何でもない。別に怒っていない。それより、一旦店を出よう?」
「でも、まだ試着が…」
その声は聞こえないふりをして、私は試着するはずだった服をてきぱきと元にあった場所に戻すと一人で店を出た。
「アイル!どうしたんだよ!?」
振り返らず歩き続ける私は、店のすぐ外で手を取られる。
向かい合ったフィリーと目が合わせられない。
(だって、こんなの酷すぎる!!)
心はまるで嵐のようにざわめき、ここが町中じゃなかったら正直泣き叫びたい気持ちだった。
だけど、私は笑った。
「どうもしないって、ほら彼女がそんな大きな声を出すから驚いているわよ?」
「あ…」
何だか怯えたような表情で固まっているリリナカナイに、私はしゃがみこむと張り付いた笑みを向ける。
それぶ僅かに安心したように息を吐くリリナカナイに、私の心はどんどん冷たくなっていくのを感じた。
「リリナカナイちゃんはニーアと遊びたかたんだよね?私も一緒で申し訳ないけど、それでいい?」
「はい!あ、私のことはリリナって呼んで!私もお姉さんのことアイルって呼んでいい?」
彼女は昔から物怖じしない、誰にでも愛される少女だった。
13歳の彼女からしたら、17歳の私は大きなお姉さんだったに違いないのに、全く人見知りもなく笑いかける。
その彼女を邪険にできるはずがない。そんなこと誰も許さないだろう。
それから、私たちはわずかな時間だったけど一緒にメルト・ファウンドで遊ぶこととなり、私もフィリーも洋服を一着も買わずに、リリナカナイに付き合ってパレードやショーを見た。
その後、ローズハウスに行く時間になって、リリナカナイがまだフィリーと遊び足りないと駄々をこねたので、午後になってからは私だけがローズハウスへと行くこととなり、二人とは別れた。
だけど、結局私はその日、ローズハウスへはいかなかった。
そのまま寮へ帰り、自室へ直行するとベッドの中にもぐりこむと、大声で泣いた。
「どうして?どうして?!」
出てしまった決して覆らない結論。
せめて、フィリーがヘインズの息子でなければ、フィリーを好きなのがリリナカナイでなければ良かった。
それだったら、例えフィリーへの思いが報われなくても、私がこんな風に悲しむことはなかった。苦しむことはなかった。
「ううううっ」
泣きすぎて苦しくなった呼吸すらも無視して私はただ泣いた。
泣いたって、何も現実は変わらないと分かっていたも、制御できない感情は泣かずにはいられなかった。
せめて、彼と彼女の前で感情を爆発させなかったのが、私のせめてものプライドだった。
そして、私はその日からローズハウスへはいかなくなった。
泣き腫らした後、全てから逃げ出すことを私は選んだ。