第三章 過去3-1
―――恋だと気が付く前に砕け散った感情は、歪な形となって永遠に消えない傷になった
貴方を思う気持ちを恋なんて言わない。
それはきっと恋よりも深く、重く、醜い感情。
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【八年前】
―――私は今恋をしている
そう自分で心の中で呟いて恥ずかしさのあまり悶絶し、手に持っていたTシャツに顔を埋めた。
「一人で何をやっている?」
てっきり一人だと思っていたのに誰かの声が聞こえて、飛び上るほど驚いた。
「エリー!いきなり吃驚するじゃない!」
振り向けば、同い年の姉エリーが間近に立っている。
床に座り込んでいた私を見下ろす彼女は、いかにも私を馬鹿にしたようにため息をついた。
「『吃驚するじゃない』はこっちのセリフだ。何回も部屋をノックしても気が付かない。部屋の鍵はあいている。こんなに近くに来ても気が付かない……いつものアイルだったら考えられない。」
「え、嘘?」
私が今いるのは寮の自室。
各自に一人部屋が与えられているけど、中は狭くベッドと箪笥と勉強用の机と椅子を入れたら、後は何も入らない。
その部屋で私は箪笥の中の洋服を全てひっくり返すくらいの勢いで並べて、ああでもないこうでもないと唸っていた所だった。
自室ということもあり油断していたところもあるだろうけど、ノックされて更に部屋に入ってこられても人の気配に気が付かないなんて、エリーの言う通りいつもの私だったら考えられない醜態だ。でも、
「まあ、いつもの私じゃないってことか。」
「?どういう意味だ?」
エリーは眉を顰め、そんな彼女を見てにんまり笑う私に、眉間の皺を更に深めた。
「私ね、恋をしていると思うの。」
そして、自分でも阿呆なことを言っているなと思いつつも告げた言葉に、エリーがあまり見せない間抜け顔を披露する。
「………はあ?」
きりりとした美少年真っ青の凛々しい姉の顔が、笑ってしまうくらい呆けたものになった。
それに笑いながら、私は繰り返す。
「恋をしているって言ったのよ。だから、色々注意力も散漫なんだと思う。それについてはごめん。謝るけど…それよりも何着て行ったらいいと思う?」
謝意のない謝り方をして、それでも全く話についていけていないエリーに広げていた洋服の一つをあせながら見せる。
明日は『ローズハウス』への奉仕活動の日。
奉仕活動を始めて春が過ぎ、今は夏も終わる頃。
マリア教師からは奉仕活動は終わっていいと言われていたが、授業があるときは毎休みに、夏休みに入ってからも怪しまれない程度に頻繁に通っている。
それは理由として『ローズハウス』で色々勉強になると思うことも多く(実際、最近では将来老人や子供の世話ができる仕事に興味がある)、それも大きな一因ではあるのだけれど、そこに大きな不純な動機もある。
『ローズハウス』で私は恋をした。
それも青春真っ只中って感じの、自分でも妙に照れるほどの淡い片思い。
「こ・『こい』って、まさか恋愛の『恋』か!?」
「そうだけど?」
やっと、私の言葉の意味を正確に理解したらしいけど、まだ受け入れられないのか問いかけてくるエリーに顔はむけず、私は答えた。
「冗談だろう!?」
「冗談でこんなこという訳ないでしょ?」
その言いぐさには少しむっとした。
怒った顔をしてエリーを見ると、彼女も自分の失言に気が付いたらしく顔を顰める。だけど、言い訳を続けた。
「だって、アイルは昔言ってたじゃないか!!周りにどんないい男がいようと、自分は恋愛感情を持てないって。」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたね。」
「だろう?」
よくそんな事を覚えているなと思いつつ、確かに言ったことなので頷いて見せる。
「だけど、それは『あの中』でっていう話だったでしょ?実際、未だにあの人たちの中で誰かと恋をするなんて考えただけで鳥肌ものだよ。」
思い浮かぶいくつかの顔と自分が熱く見つめあっているのを想像しただけで、ぶるりと悪寒が走る。
「…彼らじゃないのか?」
「うん。むしろ何でそこにエリーの考えが辿り着いたか聞きたいよ。」
「それは夏休みを利用して、アイルは彼らに会いに行ったばかりだったし。」
言われてそういえば、夏休み実家に帰る人ごみに紛れて『彼ら』がいる場所に戻った。だけど、それは
「あの人たちに会いに行ったっていうよりは、ストレス解消に行ってきたって感じだし。」
「だけど!アイルはいつだってここよりも彼らと一緒の方が生き生きしているじゃないか。私は怖いんだ。アイルがいつか向こうに帰ってしまうんじゃないかって。」
なるほど、だから私の恋をした相手が『向こう』の誰だと思って過剰反応した訳か。
いつもは妙にしっかりしていて同い年とは思えないほど大人びているエリーが、しゃがみこんで項垂れている姿は何だか可愛らしい。
しかも、私の事をこんなに思ってくれている彼女の姿に、嬉しさが溢れてきて私は腕を伸ばして頭を撫でた。
「アイル?」
「私はずっとここにいる。そう決めたし、その事を後悔してもいない。」
「うん。」
いつもだったら、こんな子供にするようなことをすれば逆上するに違いないのに、妙におとなしく『うん』と返事をするエリーに私は笑った。
「それに恋をした相手はこのメルト・ファウストの人なんだし、そんな心配はご無用よ!」
そして、彼女を安心させるためにと明るくそういうと、エリーがずいっと顔を私に近づけた。
「そうだ。彼らではないなら、恋の相手は誰なんだ?女子高で、最近は遊びにも行かないアイルにそんな出会いがあるわけないだろう?」
可愛らしい子供返りしたエリーは霧散して、妙に据わった目が眼前に迫る。
目を逸らすことすら許されない気配に、話は誤魔化せそうにもない。
ただ別に隠すことでもないかと考えていると、エリーとはまた別の趣がある美少女が私の頭の中で怖い顔をした。
『言っておくが、俺が男だと誰か一人にでもばらせば、それ相応の報復を覚悟してもらう。』
どうみても自分より愛らしく、儚げな美少女が眼光鋭くドスを聞かせてそう言い放った姿は滑稽で、だけどそれが自分の好きな相手かと思うと複雑のような笑えるような。
(まあ、別にニーアの事を好きだというのと、彼が女装した男だっていうのは全く別の事だもの。言ってもいいよね。)
心の中でそう言い訳して、私は『ローズハウス』で出会った同じ年頃の『少年』に恋したことをエリーに告げた。(実際、女装した姿しか見たことはないけど、ニーアは身も心も男らしいから間違ってはいない)
だが、彼女の追及はそこに留まらなかった。
「そいつのどんな所が好きになったんだ?」
「うーん、まずは『外見』かなぁ?」
「顔だけの男のどこがいい!?」
まあ、『外見』といった私の言葉を聞いたら、そういう反応があってもいいだろう。
エリーが思っている『外見』と私の思う『外見』には大きく隔たりがあるし、私も別に美少女が好きなわけでは断じてない。
それに本当の所は『外見』が良いということには、さして魅力は感じていないと思う。
だけど、初めてニーアを見たときに、彼を(あの時は彼女だと思っていたけど)綺麗だと純粋に思った。
だからこそ、ニーアの事が心に残ったし、声をかけようと思った。
彼が醜くても好きになるような気もするけど、でも、人間って結局体と心があって一つの存在なのだから、それを切り離して考えるのも変な話だ。
だから、やっぱり彼の外見も好きなんだと思う。
「まあ、でもね?私も一時は悩んだんだよ?この感情が恋かどうかって。」
初恋ではないけど、それまでの恋とニーアへの感情は大きく違った。
「始めはね…同情かとも思ったの。」
「同情?」
「うん。彼は昔の私ととてもよく似た境遇にいて、それに同情しているんだって思った。そう考えた方が楽だとは思うけど…やっぱり恋なんだって諦めた。」
ニーアへの感情はすごい単純なような気もするけど、複雑に入り組んでいるような気もして、他人に説明するのは難しい。
そもそも…と考えて、私はちらりとベッド近くの時計を見て話を切る。
「ま、この話はもうやめよう!ぼちぼち消灯時間だよ?」
「あ、そうか。ごめん。」
「うん。別に謝ることじゃないでしょ?」
「違う。家族といえど、今の私はアイルの感情に立ち入りすぎた気がして…昔の事や向こうの事は言わない約束だった。」
こうやって例え家族であっても、悪いと思ったら素直に謝ることができるのはエリーの美徳だと思う。
私もそんな彼女の潔さが心地いいと感じる。
「別に気にしていないよ。私はどこにでもいる普通の女子高生だもん。恋バナの一つや二つバンバンするって。また、聞いてね?」
だから、エリーが気に病まないよう笑って、左手をヒラヒラさせる。
「うん。ありがとう。おやすみ。」
「おやすみー」
彼女を見送った後、結構長く話していたのに洋服が決まっていないことに気が付いて、消灯までの短い時間に私は慌ててそれを決めなくてはならなかった。