2-6
リリナカナイのことを心底嫌いになれないと思う。だけど、やっぱり嫌い。
でも、それは彼女自身が嫌いというわけじゃない。
私にはない全てを持っている彼女、フィリーに本当に愛されている彼女、そんな彼女を妬ましいと思う卑屈な自分が嫌い。
だって、それは戦わずして負けていることと同じ。
何だかんだで結構負けず嫌いな私は、彼女から逃げたくないと、こうして性懲りもなく彼女に立ち向かったりするのだけれど、やっぱり一度だって彼女に勝てた試しはない。
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時間がないという割には、リリナカナイは優雅に私を午後のお茶に誘った。
離宮の一室、多分こうして来客などがあるときに使う場所は、明るい日差しが差し込んで、とても気持ちいい。
そこで私は同じテーブルで、お茶とお菓子をリリナカナイと囲んでいる。
私の背後にはルッティが、彼女の後ろには年配の侍女と反対にとても若い侍女の二人が並んでいる。
侍女二人、特に年配の侍女はにこやかに給仕してくれたが、その目がリリナカナイを傷つけたら許さないと如実に語っていて、少々笑えた。
昔から彼女は老若男女問わず好かれていた。
「それにしてもこの前見た時にも思ったんだけど、随分髪が伸びたのね。昔、最後に会った時と全然印象が違ってびっくりしたわ。」
話があると言ったきり何も切り出してこないリリナカナイに、私はとりあえず無難な世間話を持ち掛けた。
今は長い髪だけど、昔の彼女はショートカットだったはずだ。
私と彼女は昔に何度か面識はあっても、深い関わりがあったわけじゃないので、共通の話題が大してないけれど、この話題にリリナカナイも笑った。
「うん。この髪と目は巫女の証みたいなものだから、周りが五月蠅いの。」
そう言って、彼女は陽の光にキラキラと光る銀の糸のように艶のある髪を摘まんだ。長さは彼女の腰ほどはある。ちなみに瞳の色は薔薇のような赤。
一般的には髪も目も黒や茶が大多数な世界分布率から言って、この組み合わせは非常に珍しい。
そして、それは巫女に選ばれるための必須条件でもある。
「だけど、本当は私の髪、すごい癖があるから伸ばすと面倒なの。寝癖もすごいし。侍女の皆がものすごい気合い入れて手入れしてくれているから何とか見れるけど、私一人だったら大爆発してる。」
「そうなの?」
私も髪は比較的長いほうだけど、そんな悩みは持ったことはない。(嫁ぐ前は基本的にいつも一つに結んでいただけだった)
「私、結構面倒くさがりなの。基本的にお洒落とかにもあまり興味ないし。髪を伸ばし始めて結構経つけど、やっぱり昔みたいなショートカットが一番楽だったと今でも思う。」
「まあ!何を仰いますか!!リリナカナイ様がお持ちのような美しい髪を伸ばさないだなんて、もったいないですわ!」
「え~?でも、やっぱり色々面倒だもん。」
年配の侍女が窘めるように言った言葉に、頬を膨らませるリリナカナイ。
私より四つ年下だった彼女も立派に成人したはずだけど、美形というのは大人になってもこんな表情が様になるから恐ろしい。
そこから話はしばらくリリナカナイの意外な一面とでも言おうか、愛らしく可憐な容貌とは裏腹によく言えば活動的、悪く言えばじゃじゃ馬だという事実に終始した。
「でも、フィリーが髪が長いほうが好きだっていうから…長くてもいいかな?って…ふふ、なんか恥ずかしい!」
「ええ、よく似合っているもの。」
なのに惚気に行き着いた話の結末を苦々しく思いながら、顔を赤らめてはにかむリリナカナイに笑顔でいれる自分に拍手を送りたい。
それにしても、フィリーが髪が長いほうが好みだとは意外だ。
昔はショートカットの女の子の項が大好きだとか、私にさんざん持論を展開していたというのに、好みが大人になって変わったのだろうか?
「どうかした?」
ふと、そんなどうでもいいことに気を取られて黙り込んだ私を、リリナカナイがテーブルを乗り出して覗き込む。
間近まで迫った珍しい赤い瞳にぎょっとする。
実はいろいろと思い出すことがあって、私はこの赤い瞳が好きじゃない。
「なんでもないわ。それより、今日は時間がないって聞いたわよ?話があるって言っていたけど、何だった?」
「あっ!うん…あのね?」
本題に話を進めた途端に妙に歯切れの悪くなるリリナカナイ。
その表情に僅かに暗い影が落ちることが気になった。
「何か言いづらいことなの?」
とはいえ、彼女と私の共通点はフィリーしかない。多分、その関係の話だとは思うのだけど、私には全く彼女が何を話したいか見当がつかない。
かくして、僅かに逡巡した後、彼女はドンと机に手をついて私に言い放った。
「ごめんなさい!!!」
「……へ?」
いきなり謝られて訳が分からない。
背後の侍女たちも、何が始まったのかと驚いた表情を浮かべている。
「明後日のフィリーの誕生祭なんだけど…その夜には舞踏会があるの。そこでは本当は王と王妃、フィリーとアイルが躍るはずだったのに、頭の固いお爺さん達が―――」
「私じゃなくてリリナに躍るようにお願いしたんでしょ?」
何か酷く申し訳なさそうに謝る彼女に、それ以上言わせたくなくて私が彼女の言葉を変わった。
それをどうして知っているの?と言わんばかりに目を大きく開けて、リリナカナイが私を凝視した。
「知っている。陛下からこの前言われていたから。」
それを聞いて大きな目を更に見開いた後、彼女は大きく息を吐く。
しゃべり方や仕草など色々と幼い印象を受けるリリナカナイだけれど、こうして大人びた表情を見ると彼女もこの数年の間に大人になったのだと実感させられた。
「そう。私から話すっていったんだけど、フィリーは自分が悪者になってくれたんだね。」
「リリナ?」
「私とフィリーは、本当はアイルに舞踏会に出てもらうつもりだった。ううん、明後日の誕生祭はアイルを王妃としてきちんと周知させる絶好の機会だもん。私たち二人で貴方をオルロック・ファシズの世界王妃としてきちんと認めさせる予定だった。」
言いながら頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、綺麗にセットされた髪をぼさぼさにする。
「なのに!頭の固いお爺さん達が!!私達の予定を悉く潰したの…ごめんなさい。私もフィリーもこっちに来てもう七年も経つのにまだあの人たちに対抗できないでいるの。」
「いやっ、そんな謝ってもらうことじゃ…?」
しゅんと萎れた花のように項垂れるリリナカナイに私が慌ている。
背後の侍女たちの視線は怖いし、何より彼女の告げた事実に混乱する。
「えっと、要するに本当は私が舞踏会にも出る予定だったけど、それを重臣の方々が反対したってことでいいのかしら?」
「重臣じゃなくて、あんなの頑固爺どもでいいのよ!!」
子供のように反論された言葉はとりあえず無視して、そこではてと思い至る。
「だけど、陛下はそんなこと一言も仰らなかったけど。去年まで貴方が出ていたから、今年もそれで行くみたいな言い方だったわ。」
「フィリーの悪い癖ね。自分が悪者になっても、貴方に余計な心配をかけないようにしたんだと思う。アイツってば昔からそうなのよ、自分よりもいつも他人ばかりを心配する。」
そう言って仕方がないなというように苦笑する彼女の表情は慈愛に溢れ、二人の二人にしか分からない絆を見せつけられる。
少なくとも私は彼のことをこんな風には言えない。
「でも、私はね、アイルに全部話したほうがいいって言ったの。重臣がアイルを王妃として認めたくないと思っていたり、色々な人が貴方を傷つけようとしているって知っていたほうが良いと思ったから。どんなに私たちが庇っても庇いきれいない部分はある。それだったら、アイルにも全部了解の上で一緒に頑張りたいと思ったから。」
それはそうだろうなと思う。
後宮に閉じ込められていようとも、やっぱり周囲の私に対する偏見や風当たりは感じざるを得ない。
「だから、私から話すって言ったのよ。フィリーが言ったのではアイルだって頷かないわけにはいかないでしょ?私から事情を聞いたらアイルは嫌な気持ちになるかもしれない。だけど、アイルが嫌だと感じたら、私相手だったら怒ったり断ったりしやすいでしょう?」
リリナカナイは私が反発するかもしれないと分かった上で、この話を自分から言おうと決めていたらしい。
潔癖で優しい彼女らしいと思ったけれど、私は自分の気持ちが塞ぎ込んでいくのを感じた。
(フィリーから言われようが、リリナカナイから言われようが、私に否だといえると思っているの?…思っているのよね、彼女は『何も知らない』んだから)
心の中でそう呟いて、私は膝の上に置いた拳を握りしめた。
「でも、怒られたって、断られたって…私は最終的に私とアイル、二人でフィリーを支えていきたいって思っている。」
「え?」
思わぬ言葉に私は声を漏らす。
「オルロック・ファシズを離れる時、話したよね?フィリーと私は、二つの陣営をいつか手を取り合っていける存在にしたい。その一つの手段として、レディール・ファシズを中から変えるために私たちは世界王と巫女になった。」
二人は歩み寄ることない両陣営を、強いては世界を一つにするために自ら苦行を選んだ。
その決断を知っている私は、彼女の言葉に頷く。
「でもね、それは私たちが思っている以上に大変で、もうあれから七年も経ったのに私たちは重臣の意見一つ変えられない。自分の無力を実感するばかりの数年だった。今のアイルみたいに風当たりも強かったしね。でも、やっとここまで来た。」
まっすぐに赤い瞳に射抜かれて、私はどきりとした。
彼女の穢れのない瞳は何もかもを見透かしてしまいそうで、見つめ返すのが怖いくらいだった。
「私やフィリーはオルロック・ファシズの人間じゃない事になっているから、私達を通してオルロック・ファシズを理解してもらうには限界がある。それを公表するのは現状では難しいしね。でも、とりあえずオルロック・ファシズの人間だって人間だと思ってもらうところから始めなくちゃいけない以上、実物を用意する必要があったの。」
「それがオルロック・ファシズの王妃ということか。だけど、私一人が来たところで何が変わるっていうの?」
「分かってる。だからこそ、私もフィリーもアイルを大々的に発表して、これから色々な公式行事にも参加してもらうつもりだったの…なのに」
まあ、世の中そう上手くはいかないものだろう。
フィリーからは全く聞いていなかった、彼らの事情というものを目の当たりにして私もなるほどと納得する部分が大きい。
オルロック・ファシズから押し付けられた私に対して、妙に厚遇されている(警備が厳重だったり、侍女の質が良かったり)と思ってはいたけど、それにはそれなりの彼らの思惑があったというわけだ。
「でも、今後はアイルにも表舞台に立ってもらいたいの。……辛いかもしれないけど、二人で守るから!お願いよ、私とフィリーに協力して?一緒にレディール・ファシズを変えていきましょう?」
そう言って私の手を握りしめると彼女は懇願する。
普通の人間なら、その言葉に、心根に、信念に感銘を受けて、心から頷く場面なのかもしれない。
(どうして、私にそんなこと言えるの?)
心がそう叫びをあげて、強く苛立ちを感じた。
分かっている。彼女は『何も知らない』。
知っていたら、私にそんな事をいえる娘じゃないことは分かっている。だけど、それが何だというの?
知っているからこそフィリーは私に何も告げなかったというのに、彼女はそれを察しないの?
「わ・私は…私は」
声が震えた。
怒りとも悲しみとも分からぬ、だけど大きな感情の揺れが私の中で震えていた。
「アイル?」
それを不思議に思ったんだろう、私が賛成することを微塵も疑っていないリリナカナイが小首を傾げて私を覗き込む。
「私はっ!!!」