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私の身長の三倍はある大きな扉が開いた瞬間、光が溢れた。
眩しいと細めた瞳で扉の向こうの景色を認識して、ここが自分が今までいた城の中と同じ場所とは思えなかった。
広がるのは植物の緑と、空の青の美しいコントラスト。私が今立っているのは、さながら空中庭園。
城の高い位置に建てられている離宮は、その大半が美しい庭園で、遮るもののない空はただ只管に青く果てしない。
沢山の側室たちの部屋を一堂に集めるべく存在する後宮は、広い敷地でも部屋の数が多く、ぎゅっと詰めこまれたような閉塞感を覚えるが、さすが巫女一人のために用意された離宮は大した広さはなくても後宮にはない解放感があった。
庭園を道なりに歩けば、見たことも無い色取り取りの花々、鳥や蝶、せせらぎを奏でる小川まである。
それを横目にたどり着いた先には、こじんまりとしているが贅を尽くされたと分かる美しい離宮が鎮座している。
多分、何とか様式みたいな伝統ある造り方で建てられているのだろうが、生憎そういったことに疎い私には綺麗な建物だなぁぐらいの感想しか抱けない。
「王妃アイルフィーダ様をお連れいたしました。」
離宮の前でランスロットが高々にそう告げると、離宮の扉が開き、そこから続く廊下に十数人ほどの侍女がずらりと並んで頭を垂れ、私たちを出迎える。
頭を下げる角度は直角で、彼女らの表情は私からは全く窺い知ることはできないが、なるほどここまで来る間に出会った城仕えの人たちよりは『教育が行き届いている』訳だ。
(本心はどうだか分からないけど?)
そんな意地の悪いことを心の内で考えながら、嫁いできて私も疑り深くなったものだと自分で自分が悲しくなる。
故郷を離れ、誰一人味方がいないとわかっていて嫁いだつもりだったけれど、想像と現実はやはり違うものだと痛感させられたこの数か月。
誰も頼ることができない孤独感、明らかに異分子と認識せざるを得ない環境、隠されることのない嫌悪と侮蔑。
それに対する自分の感情の動きが、嫁いだ当初とは明らかに違うと気が付いた。
少し前は自分が変われば周囲も変わるのではないかと色々試してみたりもしたけれど、やはり<神>という存在を隔てた私と彼らの溝は、私の努力程度では埋まるものではないのだと実感させられた。
結果として私は少し変わった。
人を始めから疑っていれば、何か言われても傷は浅い。
自分のことを他人事のように考えておけば、自分の傷と向き合わずに済む。
多分、無意識下で私はそういう風に感じて、それを実行している。
人間というのは気が付かぬうちに、こんな風に自分の心を守るように防衛手段をとっているのだと、自分のことながら感心してしまう。
(まあ、そういう自覚があるうちは、まだ大丈夫よね。さて…今日のメインイベントよ)
前を先導していたランスロットが膝をつき、斜め後ろを歩いていたルッティが大きく頭を下げる。
私もファイリーンに教えられた最大級の礼をとって、頭を僅かに下げ、スカートの裾を持ち、腰を少し折って、彼女から話しかけられるのを待つ。だけど、膝はつかない。
「頭を上げて、アイルフィーダ。」
高くもなければ低くもない、聞き心地のいい声が私の名を呼ぶ。
「急に呼んだりして、ごめんなさい。でも、どうしても貴方に話しておきたいことがあって。」
巫女様と崇め奉られていようと、昔から飾り気のない気さくな彼女の気性は変わらないらしい。
自分が悪いと思ったことはきちんと謝る様子に、ランスロットのような嘘は感じられない。
だけど、だからこそ彼女という存在は厄介なのだ。そう思いながら、私は頭を上げ彼女の顔を見て笑って、考えてきた挨拶の言葉を述べる。
「こちらこそ、ずっとご挨拶もしないまま本日に至りまして申し訳ありませんでした。リリナカナイ様。」
―――巫女リリナカナイ・デュヒエ
彼女という人物を的確に表すと、清く正しく美しい完全無欠の聖女様。
言っていて非常に嘘っぽい言葉に聞こえるかもしれないけれど、彼女は実際に容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群と、本当に非の打ち所がない。
更に言えばこれだけ色々な天賦の才的なものがあれば、それを鼻にかけて性格の一つや二つ悪くなりそうだけれど、彼女に至ってはそれもない。
「様付で呼んだりしないで!昔みたいにリリナって呼んで?」
大人の女性のように強く正義感に溢れ、明るく優しく、それでいて子供のように無邪気で天真爛漫。
せめて、物語の恋のライバルのように鼻持ちならない高飛車なお嬢様(例えばファイリーン)みたいだったら、彼女を憎むことは簡単だった。
「ですが……」
「確かに私と貴方は、フィリーの巫女と王妃っていう関係になってしまったけど、それは政略上仕方のないことだもの。むしろ、貴方を巻き込んで私もフィリーもとても心を痛めているのよ?だから、ね?私とフィリーだけは貴方の味方だから、そんな他人行儀にならないで!!」
せめて、彼女が私を傷つけようとしているのなら、反撃することは簡単だ。
だけど、彼女は昔に少しだけ付き合いがあっただけの私を守ろうと、助けようとしてくれるから、私は何もできない。
(だって、これで私が嫌味の一つでも返そうものなら、私が悪役じゃない?)
いや、実際にはそうなんだろうなと思う。
これが巷に溢れる夢物語なら、主人公は何もできない根暗王妃じゃなくて、綺麗で優しい巫女様だ。
背後で巫女に使える人たちもそう思っているに違いない。
振り返らなくてもビシバシと感じる、警戒するように私たちのやり取りを見つめる視線がそれを物語っている。
それに気づかずに私を気遣うリリナカナイにヤキモキしつつ、彼らはそんな彼女に心酔し、私を悪役に仕立てたくてたまらない。
だけど、それも無理のないことなのだと諦める。
悪役になるのは簡単だったけど、私だってこんな風に無条件で私を心配してくれる彼女を昔から苦手とは思っていても、心底嫌いにはなれない。
だから、苦しくても笑う。
「うん。リリナ、分かったわ。」
「良かった!私も昔みたいにアイルって呼んでいいよね!」
そう言って輝かんばかりの笑顔を見せる彼女に、Noといえる人間がいたら是非お目にかかりたい。