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ファイリーンは講義が終わった後、すぐにお願いした本を手配してくれたらしく、ルッティから寝る前に本を渡された。
古く使い込まれているが立派な造りで分厚い本は、綺麗な挿絵も多く、ぱらぱらとめくった印象では神に纏わる伝説などを集めたもののようだ。
あまり堅苦しい内容ばかりでなく、これならば私にも読めそうだ。
時計を確認するとフィリーがいつも来る時間よりまだ大分早いので、行儀が悪いとは思いつつもベッドに寝転がりながら本を読みだして数分後、
「アイルフィーダ様。陛下がお渡りでございます。」
ルッティからそんな声がかかって慌てる。
最近、特にこちらに来るのが遅いと思っていたから油断していた。
急いでベッドから飛び出ると本を片づけて、シーツの皺を伸ばし、鏡を覗きこんで変なところがないか確認する。
最後に深呼吸一つして、数十秒後、ドアが音を立てて開くと同時に頭を下げる。
「おかえりなさいませ」
まあ、どんなに慌てて色々整えたところで、何かが変わる訳じゃない。
後は彼が私を抱きしめて、あの言葉を言って寝るだけ。
この間までは辛くてもまだ、その辛さに甘さが伴っていたことが、今となってはただの苦痛に過ぎなくて私はさっさとすんでくれればいいと、立ち上がったまま動かない。
だけど、今日は彼の方から、いつもとは違うアクションが起こる。
「今日はこれを君に。」
そういって机に結構大きい箱を置く。
白い箱に金色の豪華なリボンが掛けられたそれは、見るからにプレゼントだ。
『君に』と言われたことから、私宛のプレゼントと言うことになるのだろうけど、そんなものを貰うとは予想したことがなかったので驚く。
そのままどうにも現実を受け入れられない私に、フィリーの方がしびれを切らして、机に置いた箱を私に直接押し付けてくる。
「ほら」
「あ、はい。えっと、ありがとうございます。」
中身が何かは分からないけれど、大きい箱を両手に抱えてとりあえずお礼を言う。
箱は大きさの割に軽い。
(???)
私は疑問符を頭の上に何個も飛ばす。
プレゼントを貰う理由と状況が分からない。
更にはそもそも実はこれがフィリーから貰う初めてプレゼントであると思い至って、嬉しいやら戸惑うやら、どうも反応に困る。
そのまま固まっていると、フィリーがまだこちらをじっと見つめたままなのに気がつく。目が合うと、不機嫌そうな顔で一言。
「開けないのか?」
「あ、はい!」
なるほど、わざわざ手渡しでくれたプレゼントをすぐに開けないというのは、失礼というものかもしれない。
慌てて抱えたままだった箱を机に置いて、光沢のある高級そうなリボンに手をかけて、自分の手が震えているのに気がつく。
(えええ?私、嬉しすぎて震えてる?)
咄嗟に気が付けていない感情を体は正直に表しているようで、顔の表情筋も笑いたいのに笑えないらしく、微妙にひくついているのに気が付く。
震えるくらい嬉しいのだけれど、照れているのと、その感情をフィリーに知られてドン引きされるのが怖くて、理性が色々なことを制御しようとしているのに制御しきれていない…そんな感じ。
そんな自分でも呆れるくらい面倒くさい感情に閉口しつつ、ともかく、何でもないふりをしてどうにか箱を開けた。
「……ドレスですか?」
かくして、箱の中から出てきたのは、光沢のある柔らかそうな素材の布地。
見るからに高級そうで、箱を開いたはいいけれど触れるのにも躊躇してしまう。
後宮に入ってから、ドレスと言われる類の服を日常着として着せられてきているが、着慣れていない上に、平凡な容貌にドレスが似合わないのも十二分に理解しているので、私はドレスと言うよりはなるべくワンピースに近いものを好んで着ている。
そもそもオルロック・ファシズで一般的な服装は、基本的にシンプルで簡素、更に女性もズボンを履くことが当たり前なのに対し、レディール・ファシズにおいてはそれは野蛮とされる。
ここでは上層階級の女性ならばドレスを着ることが当たり前で、それが豪華であればあるほどステータスであるとされている。
私も王妃として様々なドレスを用意されているけれど、そのどれもフリルやレースをこれでもかという程使用され、輝く宝石やビーズがそこかしこに付けられている。
正直、全く趣味でないというのが本当の所で、確かに綺麗だと思うけれど、それが似合う似合わないは別問題。
平凡で貧相な私には、そういった飾り立てられたドレスは基本的に似合わないと誰もが分かりそうなものを、これが王妃として正しいドレスだと押しつけられる。
でも、やっぱり似合わないから着たくなくて、結局は実家から用意してきたワンピースばかりを着てきた。(その度にファイリーンには馬鹿にされたけれど)
だから、フィリーがプレゼントしてくれたのがドレスだと察して、嬉しいと思う反面、それを着こなせるか全体像を見る前から非常に自信がなく、心が萎えた。
おかげでドレスが入った箱を前に、私は再び立ちつくす。
「出さないのか?」
「は、はい、いえ、すぐ!!」
そんな私にじれったさを感じたのか、再びフィリーが口を開く。
それは敢て疑問形にするのも不自然なほど、明確な命令形で、私は急かされるようにドレスを箱から取り出す。
さらりとした涼やかな布が音を立てて、寝室の柔らかな光の中に金ともベージュとも言えぬ色が煌めいた。
全貌が明らかになったドレスを見て私は一瞬息をのむ。
(綺麗…)
そのドレスは私がここにきてからイメージしてきたドレスとは違った。
細身のAラインのドレスは、スカートの部分はフワリとしているが、だけれどフリルやレースではなく、絶妙なバランスで布をまるで花弁のように縫い合わせており、更に細かな刺繍によって派手ではないが繊細で美しい模様が描かれている。
シンプルで露出が少なく、更に気品があって美しいドレスに、あまり洋服に興味のない私も胸が高鳴った。
思わず声が出ないくらい見とれていた私だけれど、フィリーはそれを悪い方にとったらしい。
「気に入らないのか?」
その言葉にはっとして、とりあえず首を横にブンブンふる。
「いいえっ…あのとても素敵なドレスで気に入りました。」
本当ならばもっと感情をこめて喜びをアピールする所かもしれないけれど、どうにも照れが先行してしまい言葉は酷く他人行儀なものになった。
あまり喜びすぎてフィリーに引かれるのもやはり怖い。
幸いに私の不器用な喜び方でも、彼は幾分か不機嫌な顔を緩めてくれる。
「なら良かった。こっちのドレスはメルト・ファウスト育ちのお前の感覚では抵抗あるだろうから、そういうドレスなら気に入ると思った。」
「えら・んでくれたの?」
フィリーの言葉に信じられないような気持で問うと、彼は顔を歪めた。
「昔からお前の服のセンスは正直言って質素すぎるんだ。今度の誕生祭であんまり貧相なものを着られても困るからな。」
そういって悪態をつかれても、今日は堪えない。
だって、それって要するにこのドレスを選んだのがフィリーだと認めたということ。
ただでさえ綺麗だと思ったドレスが、ことさらに大切に思えて私は言葉詰まらせた。
こんなことでこんなに喜んでしまうなんて、今の自分の弱さと言うか、妙な感受性の強さに、馬鹿だなと思う。
更にさっきまでは単語だけでまるでロボットの様に言葉を発していた彼が、昔までとは言わないけれど私と会話をしてくれることも嬉しかった。
フィリーの行動や言動に、こんなに一喜一憂するなんて大人にでもなって、学生の頃と私は何一つ変わりない。
だけど、今はその言葉に喜びを感じていたかった。
「ありがとうございます。」
でも、それはフィリーにとってはきっと重荷にしかならないだろうけど、せめて感謝だけはちゃんと伝えたいと、久しぶりに彼の眼を見てお礼を言った。
それが多分、珍しかったのだろう。
フィリーはただでさえ大きな瞳を更に大きくさせて驚いた表情を浮かべる。
(こういう顔をすると、昔と変わらない。)
今となっては美青年と言っても差支えないだろうけど、私から言わせると美少女だったころの面影が消えないままだ。
今だって女装させたら、体格的な所はどうしようもないけれど、少なくとも私よりは美女になるに違いないと確信している。
そう思うと何だか笑えてしまって、気が付くと小さく吹き出してしまった私を見て、何か不機嫌にさせてしまったのだろう。フィリーが何かを我慢するように顔を背ける。
(あ…)
それを見て、嬉しくて高揚していた気分が急速に萎んでいく。
何が気に障ったのか分からないけれど、それまであった和やかな雰囲気が一気に霧散して、いつもの重い沈黙が私たちの間に戻る。
そして、沈黙に耐えがたさを感じたのか、フィリーは何の脈絡もなく唐突に
「愛している」
そう言って、いつも通りドレスを持ったままの私を抱きしめてベッドに入っていく。
それをいつも通り何も言えないまま私は見送る。
(私は何を間違ったのかな?)
そう心の中で問いかけても、あたりまえだけど誰も答えてはくれない。
私が今できるのは、せめて先程の楽しい名残を抱きしめるように、もらったドレスを抱きしめることだけだった。