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【第十四章 虚ろ】<フィリー視点>
目が覚めた時、自分の頬が濡れていると気が付いた。
深夜から続く会議の合間の仮眠だったから、あんな夢を見たのだろうか?
時計を見れば、明け方前。まだ、少し眠ることはできたが、妙に頭が冴えていて眠れそうもないので、ベッドから出て身支度を整える。
夢はあまり見ない方だと思っていた。見ても、内容はおぼろげにしか覚えていないことがほとんだ。
だが、先ほどまで見ていた夢は鮮明だった。大地をかける感覚、倒れた時の苦しさ、求めていた者に会えた時の喜び、全てがリアルだった。
だからだろうか?
鏡に映る自分は、見慣れた人の形をとっている。それが当たり前なのに、獣の姿ではない姿に違和感を覚えた。
(いやいや、馬鹿なことを考えるな。今はそれどころじゃないだろう)
頭を振って意識を切り替える。そのまま仮眠室を出れば、レグナが警護のために部屋に詰めていた。
「もう、お目覚めか。少し早いんじゃねーか?」
「何となく目が覚めた…レグナも仮眠の間、警護をありがとう。どこかで仮眠はとってくれ」
「心配すんな。近衛は、世界王と違って何人でも交代要員がいるんだ。交代で休憩はとれている」
明るい言葉と共に笑みを浮かべるレグナだが、表情は疲れをにじませている。
昨日からのありえない事態の数々。後宮で人が攫われ、巫女が倒れた。更に世界塔で起こった、正体不明の女たちの出現。
何一つ解決もしていなければ、原因もわかっていない。
近衛や警備関係の人間には無理をさせている。特にレグナは立場上、責任も感じているだろう。
主として、そんなレグナにかけてやりたい言葉はいくつもあった。だが、そのどれもが彼のプライドを傷つけてしまいそうな気がして、何も言えずに普段通りにすることくらいしか俺にはできない。
そんな風に、昔から答えの出ないことを悶々と考えてしまう癖があるとは自覚していて、だけど、それを改善できないでいた。
だが、最近はアイルならこんな時どんな風にするだろう?と考えるようになった。
『中年のおっさんに頭を悩ませている暇があるなら、まずは目の前の問題を片付ける!』
見た目とは違って、猪突猛進という言葉がぴったりなアイルなら、きっとこんな風に言うだろう。
まあ、俺の妄想で、実際に彼女がそう言ってくれたわけじゃないけど、こんな風に考えることで、最近自分の思考がすっきりとするような気がしている。
(確かにこんな状況で気遣われても逆に辛いか…俺が今すべきは、前に進むことだけだ)
だが、しかし…と眉間にしわが寄った。
何しろ深夜に召集された会議は、お偉方の責任の擦り付け合いに終始。まったくもって生産性のない会議となり、問題は何一つ解決へと近づきもしなかった。
今日も朝から、同じような繰り返しとなるだろう。正直、付き合いたくはなかいし、口出しをして会議の方向性を変えてやろうと思わないでもない。
だが、傀儡の王でいつづけるためには、会議に黙ったまま参加しなくてはならない。ならば―――と昨晩、一つの手は打った。
「レグナ。エメロードから連絡は来たか?」
「ああ、さっき連絡が付いちまって…すぐに来るってよ」
「なら、俺もすぐに彼女と会えるように支度しないと…軽く食事を準備してもらえるか?」
「了解」
それから一時間ほど後。
出された朝食を食べ終えた頃、俺の食事の間に休憩に入ったレグナが戻り、警備していた近衛が部屋から退出した瞬間だった。
「相変わらず、いい男」
婀娜っぽい声と同時に、天井から人影が現れる。
その数センチ間近に、真っ赤な口紅に、紫色のアイシャドウ、薄ピンクの巻き毛の女の逆さ顔。
「近い」
「うふ。そんなクールなことろが素敵よ。フィリー」
長く整えられた爪で顎を撫でられて、ゾゾゾとした何かが背中を這い上がる。
うっとりとして顔を近づけてくる女と、思考が停止状態で避けられない俺の間に割って入ってくれたのはレグナだった。
「おいおい、いい加減にしろよ。エメロード!お前!いい年したオバサンが、嫌がる若い男に手を出すな」
「んまあ!」
レグナの言葉に、細く整えられた眉がピンとはねさせ、女性は魔導で張り付いていた天井を蹴ると、回転して床に着地した。
「レディに何て言い草なのかしら?!この頭まで筋肉男が!」
「うるさい。俺と同じ年の中年のくせに、何がレディだ。身の程を知れ」
そうなのだ。俺が呼んだこのエメロードという女性。彼女を形作る要素は、若い美女を彷彿とさせるものばかりなのだが、彼女はレグナと同じく四十代前半で、見た目も年相応。
口には出せないが、まあ、何というか…非常に厚い化粧が印象深い女性なのだ。ちなみに独身。
レグナとは相性が悪く。会うたびに口喧嘩が始まるのが難点ではあるが、非常に仕事は迅速で正確だ。
何しろ彼女は―――
「名もなき十字軍総帥・エメロード。貴方を呼んだのは、レグナと遊ばせるためではないのだが?」
時間も押し迫っており、喧嘩を止めるために努めて冷静に言葉を選んだ俺に、何故だかエメロードは目を輝かせた。
「粗雑な脳筋男のせいで騒がせてしまい、申し訳ありません!このエメロード、フィリーのためなら、なんだってやらせてもらいます」
騒ぐレグナの顔を押しやって間近に迫られて、ぎょっとするが、口元をひきつらせつつ何とか笑顔を浮かべた。
「あ、ありがとう。助かる」
『名もなき十字軍』とは元々、反教会派レジスタンスだった集まりだ。
二十年以上の世界王の不在により荒れたレディール・ファシズの中で、教会への反発が強くなりできた武力集団。当時は彼らを中心とした内乱も起こり、エメロードはその時から軍のトップだったらしい。
それが現在は形を変え、今は教会がカバーしきれない民衆の依頼をうけて解決する何でも屋的な存在になっていた。
ただ、現在でも教会との確執は深い。だが、民衆に信頼され、大きな組織と化した軍を、教会ももはや黙認せざるを得ない状況になっている。
そこに目をつけて接触を図ったのが五年前ほど。
もともとレグナとエメロードが、知人?だったこともあり、教会に敵対するという利害関係の一致から、世界王と名もなき十字軍は繋がった。
それから、持ちつ持たれつで情報交換や、さまざまに便宜をはかったり、こうして内密の依頼を受けてもらったりしている。
「昨日の事は既に知っているだろうが、それに伴い十字軍に動いてもらいたい案件がある」
何を優先すべきか。何の情報もない今は、その判断材料すらない。
だが、十字軍に頼むことに関して、悩む必要はなかった。
「マリア・アルスデン及びファイリーン・アルマの救出及び、その犯人の捕縛だ」
「それは既に教会から僧兵が出ていると聞いてるけど?」
「教会はこの件に関しては、さほど重きを置いていない。だが、俺はこの件に関して、一刻も早い解決が必要だと思っている」
「まあ…それはどうしてかしら?」
エメロードの瞳が、猫の目のように光った。
俺のために何でする…などと言いつつ、エメロードは自身に興味がないことは、やんわりと断って、頑として受け入れない。
だから、依頼をするときは、いつもそのあたりに気を使わなければならない。
「二人を攫ったのは『偽王』だ」
アイルがもたらしたこの情報を、教会は持ちえない。だからこそ、彼らはファイリーンを攫った人物の捜索に、あまり人員を割いていないのだ。
「どこまでかは分からないが、<第三の箱庭>が一連の騒動に関わっていると俺は考えている。それをはっきりさせ、その思惑を確かめたいんだ。偽王はおそらく、まだアッパー・ヤードにいるはずだ。この都市について、僧兵たちよりはるかに詳しい十字軍なら探せるはずだろう?」
「…どうしてまだアッパー・ヤードにいると?」
「根拠はない。俺の勘といってしまえば、それまでなんだが…偽王は巫女に何かをしたらしい。何となく、それがまだ完成していないんじゃないかと思うんだ」
アイルの話。目覚めないリリナカナイ―――理由はないけれど、もう一度、偽王がリリナカナイに接触してくるような気がしてならなかった。
「巫女にも見張りをつけてある。だが、できたら巫女に接触する前に、偽王を捕まえたい。それには貴方たちの力が必要だ」
頼むと頭を下げる。
相当な無茶ぶりをしているという自覚はある。
彼らがアッパー・ヤードを詳しいとはいえ、潜伏しているとも限らない、その姿も判然としない人物を探せというのは至難の業だ。
はっきりいって、無駄骨を折らせる可能性は非常に高い。それでも、打てる手はすべて打っておきたかった。
「……」
エメロードは頭を下げ続ける俺に、しばし無言を続けた後に、ポンと手を一つ叩く。
「フィリーの頼みを、私が断るわけがないでしょう?全力でやらせてもらうわ」
「恩に着る」
「その代わり依頼料は勿論。フィリーにも一肌ぬいで―――」
「んなこと、させるかぁ!」
追いやられていたレグナが、再びエメロードとの間に割って入ってくる。
助かりはするのだが、こうなると話が進まない。二人が言い合いを始める前に口をはさんだ。
「昨日、偽王を目撃した人間をすぐに呼ばせるから、エメロードは話を聞いてくれ。レグナ頼む」
渋々といった感じだが、エメロードが城内にいることを知られるわけにはいかないので、レグナはすぐに部屋を出て行く。
エメロードが年甲斐もなく、舌を出してそれを見送るのを見ながら、息を一つ吐く。
後は…と、考えを巡らせようとすると視線を感じた。エメロードの瞳には興味深そうというか、からかいのような色が見て取れて首をかしげた。
「どうかしたか?」
「うーん。そうねぇ…暫く会わないうちにフィリーが変わったような気がして?」
「そうか?」
そんな自覚はなかったので、俺は疑問に疑問を返す。
「ふーん。なるほどねぇ…元々、会ってみたいとは思っていたけど、これでいっそう興味がわいたわ。ねえ、いつ会わせてくれるのかしら?」
「誰に?」
本気で分からなくて聞き返せば、エメロードは更に笑みを深くした。
「誰って?もちろん、フィリーの奥さんよ!最初はどの馬の骨が私のフィリーを!って、締めてやろうかと思っていたけど…これは中々に期待できそう」
「そんな物騒なこと言われて会わせられるか…まあ、おいおい?」
『絶対よ』とハートマークでも付いていそうなほどに愛想を振りまかれつつ、俺はやんわりと断ったつもりだった。
この手の女性は、そんなやんわりな断り方では意味がないことを、俺はのちに知ることになる。