第二章 現在2-1
昔々、大地は命が育まれることのない死の大地だった。
その大地に神が恵みを与え、動植物が息づき、人間が生まれた。
人間は神を敬い、神もまた人間を慈しみ、その中で一人の女性に神の血を引く子供を授けた。
―――神と人間の血を引く子供、それが初代世界王レインバック・ヴァトル
彼は神と同じ、金の髪に青にも緑にも見える澄んだ瞳、そして、その左胸には神の子の証である太陽の紋章が刻まれていたという。
以後、彼の血を引く世界王は代々、同じ髪と瞳の色を有し、そして必ず太陽の紋章がその左胸に刻まれている。
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「太陽は私たちの神の本当の姿だと言われ、光と命を象徴していますの。太陽の紋章が刻まれているという事は、世界王が神の力を身に宿している証拠とされいます。」
(左胸…そういえば何か紋章みたいなものがあった気がする)
とはいっても、夫…もとい世界王フィリーの紋章を見たのは、彼がまだニーアと言う名の少女の皮を被っていた頃。
彼を女の子だと思いこみ服を脱がせたあの時だけだ。
最近、昔の事ばかり考えているので、もう十年くらいの前のことだけどすぐに思い出せた。
(まあ、あんな強烈な事そうそう忘れられないし)
男性に対して免疫がない訳では無かったけれど、女の子だと思い込んでいた相手が男だったのだ。驚くなという方が無理。
(あの後も大変だったんだよねぇ)
「オホン!聞いていらっしゃいますか?」
更に過去に意識を飛ばそうとしていると、ずいっとファイリーンの化粧の濃い顔が目前に迫って、私は咄嗟に体を引く。
「は…はい」
目つきが怖い彼女相手に、大人しく返事をすると大きくため息をつかれる。
私は今、ファイリーンから神のことについて講義を受けていた。
オルロック・ファシズの私は当然神の事など大して知らずに育っているけれど、世界王の妻となったからにはそう言ってはいられない
詳しく知らなくとも一般教養くらいの知識は身につけろと、ファイリーンから今日も今日とてスパルタを受けていた。
とはいいつつも、ここ数日はこんな風に過去に思いをはせることが多くなり、講義にも丸っきり身が入っていないので、彼女がどんなにスパルタだろうと何一つ知識として実になるものはない。
その事を申し訳なく思っていても、やはり、暗にでるなと言われた舞踏会のために必死で練習することなどできず、フィリーの様子から考えてもこれからずっと何を勉強しようとも、それが役立つ日が来るとは思えない。
結果として本当にやる気のない私が完成してしまったのだ。
最初はそんな様子の私に口酸っぱく小言を言ったファイリーンも、何を言われても平然としている私に何も言わなくなった。
ただし、彼女もここで講義をするのが仕事なのでその役割は果たしてくれているし、私もそれを放棄することはしなかった。
何しろファイリーンの講義がなくては、私は日がな一日、何もすることがなく後宮に引き篭もっているだけになってしまうから。
例えそれが昔から苦手な勉強や、身につかない礼儀作法であったとしても…どんな形でも他人と関わらず自分の殻に永遠に閉じこもっていては、私は生きながらに死んでしまうだろう。
そんな暗い考えを頭の中で何度も繰り返しては、鬱々とする日々が日常となりつつあった。
「えっと、一つ疑問に思ったのだけれど聞いてもいいですか?」
小言を続けるファイリーンを気にすることなく、私はふと今の講義で気になった事を口にした。
「あら、質問なんて珍しいですわね。どうぞ?」
「神、神っていうけど、貴方達の神の名前はないの?」
彼らの信じているのが唯一神であり、その他に登場する神がいないから、神と言えば『神』しかないのだろうけど、神にだって名前くらいあるだろう。
そう思っての質問だったけど、私の問いにファイリーンはきょとんとして首を傾げた。
「名前…ですか?私は知りません。というか、恐らく神に名前はないように思いますわ。神は神ですもの。」
貴族のお嬢様然としているファイリーンだけど、その知識はそこらの博士を名乗る人より上だと聞いている。(自称だけれど)
それもかなりの書痴で、様々な知識に精通しているらしい彼女がこういうのだから、実際に神に名前はないのだろう。
別に元々大して興味がないことなので、ふーんとしか思いようがなかったけど、何となく気になる。
「では、神についてはここまでにして、次はダンスの練習に入りますわよ!!」
何故だか私のやる気の無さを感じ取っているはずなのに、それに比例してダンスに対してだけは彼女のやる気は上昇する一方だ。
前はそれに反発したり、対抗意識を燃やしていたけど、最近の私は本当に何も感じなくなりつつあった。
「ダンスはいいです。それより神の話をもう少し聞かせてもらえないでしょうか?それともし神について私でも読める本があったら貸してもらいたいのですが。」
「どうしてですの!?」
とたんに目を吊り上げるファイリーンに、私はぼんやり笑って見せた。
「ファイリーンの話がとても興味深かったから、もっと知りたいと思って。それに私、オルロック・ファシズの人間じゃないですか?早くここに慣れるためにも、色々知りたいんです。お願いします。」
ファイリーンは傲慢なお嬢様っぽいけど、勉強しようという意欲を見せると、それがどうやら嬉しいらしいと知ったのはここ数日。
「…まあ、それならば仕方ないですわね。」
怒ったような素振りを見せつつも、顔は微妙に笑っている彼女が微笑ましい。
多分、彼女は師として仰ぐのには十分な人物なのだと、彼女の見方が私の中ではかなり変わりつつある。
嫌みや挑発の応酬さえないように私が心掛ければ(ファイリーンからあっても、それを返す気力が今の私にはない)、彼女と付き合うことは大きな苦痛となる事はなかった。
「ですが、分かっているのですか?誕生祭は3日後、もう時間がないのですのよ?」
その言葉には答えない。否、答えられない。
本当は言ってしまえばいいのに。
『陛下から舞踏会には巫女様をパートナーとすると言われた』
そう言えば、ファイリーンだってこんな風にダンスダンスと言わなくなる。
だけど、私はまだそれを告げれずにいる。
言ってしまえばそれを認めることになる…往生際悪く、私はまだ自分が王妃としてすら認められていない事実を受け入れられていないんだ。
そんな自分の諦め悪さが、底意地の悪さが憎い。
いつかは認めなくてはならない、いや、それより先に現実がそれを認めざるを得ないように私を追い詰める。
だけど、そうなった時、私は自分が大きく壊れてしまうような気がして、怖くて自分でそれを認められないのだ。
妻としての存在が疎まれているのは分かっていたから、せめて、王妃としてこの場所にいる意味が私の支えだったのだから。