1-6
驚いた私をニーアは無言のまま、雨を避けるため民家の軒下に引っ張っていく。
無言の背中が怒っているのは間違いなく、私はどうしたものかと途方に暮れる。
(バカヤロウ…って初めて言われた)
元々他人と大喧嘩することもない気性なので、面と向かってあんな風に怒鳴られたことは一度もなかった。(マリア教師のお説教は除外)
それを怖いと感じつつも、何となく新鮮な気持ちが胸に過る。
(心配してくれたんだよね?)
多分、飛び出した私を心配して追ってきてくれたニーアのその気持ちが嬉しくて、私は無言のまま背を向ける彼女を見る。
そこで初めてニーアが自分よりも頭一つ分は背が高い事に気が付く。
ニーアは平均的な女性と比べても、きっとかなり背が高い部類に入るのだろう。スタイルがいいので、そんなに背が高いとは思わなかったが、こうして手を繋いで近くにいるとそれを改めて実感した。
ほどなくして軒下に到着すると、やっととめどない雨粒から逃れることが出来て、ほっとすると同時に急に張り付くシャツが不快に感じられ、雨に奪われた体温のせいで寒気が体を走る。
思わず愚痴の一つも出そうになって、ニーアが沈黙したままで、そんな事を言える雰囲気ではないと気が付いて飲み込む。
代わりに何はともあれ聞いておかなくてはならないことを確認する。
「ニーアの家族は見つかったの?」
彼女はちらりと私の方に目をやったが、すぐに顔を逸らす。かなり怒っているようで、僅かに顔が赤い。
「ああ、お前が出ていったのと入れ違いくらいのタイミングで、見つかったと報告が入った。」
「そう良かった。」
それが聞いてとりあえず安心して、次に私は勢いよくニーアに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい!私が勝手に怒鳴って、出ていったせいでニーアに余計な面倒をかけました!」
「まったくだ。良く分からないことを喚いてお前が出ていったせいで、私が悪者だったんだぞ?」
私ではなく正面を向いたまま、ニーアが顔をしかめる。
「へ?どういう意味?」
「レイチェルを始め、私が冷たいからお前が傷ついて出ていったんだから、私が探しに行くのが道理だと散々責められた。」
その言葉にぎょっとして目を見開く。
「いやいやいやいや!あれは私が勝手に逆上しただけで、ニーアが悪いことは一切ないよ!!寧ろ私が謝らないといけないくらいだし。」
言葉は段々尻つぼみになる。
思い出すだけで数十分前くらいの自分の物言いや行動が恥ずかしくて、どうしようもなくなって縮こまってしまう。
だけど、一見するとあの時の私とニーアの喧嘩は、ニーアが私を突き放して私が逃げ出したように見えたんだろう。
そのせいでレイチェルさんたちに責められて、こんなところまで私を追いかけてくることになったニーアに本当に申し訳ない気持ちになって項垂れる。
「まあ、私も言い方がきつかったし、お相子って事にしないか?」
「でも、それじゃあ」
どう見ても悪かったのは私だ。
「お前は私の家族を心配してくれただけだし、結果はともかく、謝ってもらうようなことは何もしてないだろう?別にすぐにこうして捕まえられたし…な?」
顔は正面を向いたままだけど、視線だけこちらに向けて照れたようなニーアの笑顔。
(わ!笑ったの初めて見た!!)
何かもう可愛いとしか言いようのないその笑顔に、妙なテンションが高まるのを感じる。
そんな私の様子に訝しげな表情を浮かべるニーアとニマニマしてしまう私は、その後雨が止む少しの間だけ、特に会話はなかったけれど穏やかな時間を過ごした。
何故だかどんな質問に答えてもらった時よりも、彼女との距離が少しだけ近づいたような気がした。
▼▼▼▼▼
雨が止んでとりあえずローズハウスに戻ると、レイチェルさんたちが安堵した顔で私たちを出迎えてくれた。
彼女たちにも心配をかけてしまったと、ひとしきり謝る私に怒った様子もなくみんな一様に私に何事もなかったことを良かったと優しく言ってくれる。
何だか泣きたくなるような温かな気持ちになった私だけど、ふいにかけられた問いかけに体が固まった。
「でも、どうしてあんな急に怒り出しちゃったの?」
「そういえば、とりあえずニーアちゃんが悪いんだと決めつけちゃったけど、良く考えればそういう会話じゃなかったわよね。」
何気ない言葉だろうけど、その言葉に私は声が出なくなるのを感じた。
これだけ迷惑をかけたのだから、ちゃんと理由を話すべきだし、ニーアを一方的に悪者にしたままではやはり駄目だ。
ごくりと唾を飲み込んで、その問いに答えようとだけど、急激に襲ってきた緊張に喉が渇いて言葉が出てこない。
「あ…」
「それよりとりあえず着替えとかないか?私たち、ずぶ濡れでこのままじゃ風邪をひく。」
隣にいたニーアの言葉に、レイチェルさんが大きな動作で慌てだす。
とりあえず大きなタオルを借りているけど、私たちは全身がずぶ濡れでタオルだけではとてもじゃないけど、乾く状態ではなかった。
「本当!!そのままじゃ風邪ひいちゃうわね。ついでだからお風呂も入って温まりなさい。女の子二人くらいなら一緒に入れる広さはあるし、いつでも入れるように準備しておいたの!」
そう言っていつもの彼女に戻って溌剌とした明るい笑顔で私たちの背中を押す。
「風呂!?私はいい!!着替えだけ貸してもらえればっ」
「何言っているの!こんなに顔も冷たくなっているわよ?もう準備万端なんだから、それを無駄にしないで頂戴。」
何故だか急に焦りだしたニーアの頬を触って大げさにリアクションをして、有無を言わせずレイチェルさんは私たちを浴室に押し込むと、着替えをとってくると行って出ていった。
取り残された私たちに何故だか微妙な沈黙が落ちた。
ローズハウスの浴室に入ったことはないが、住人が何人か一緒に入れるように脱衣所も広々としている。
たくさんのタオルや子供たちの玩具があり、ここで住人達が生活をしていることを感じさせた。
私は体が冷え切っているし、お風呂に入れるのは正直ありがたいので、扉の方を向いたまま固まったニーアを不思議に思いつつ、濡れた服を脱ぎながら話しかけた。
「ニーア、さっきはありがとう。」
「あ……!?」
問いかけた私を振り向いた瞬間、ニーアは思いっきり顔を背ける。
「どうしたの?」
「い、いいいいや何でも!!っていうか、ありがとうって何だ?」
「さっき、私が言いにくいのに気が付いて話を変えてくれたでしょう?助かったよ。」
「まあ、誰だって言いたくないことの1つや2つはあるから、は、ハハハ」
乾いた笑い声と、急に焦ったような様子のニーアは未だに洋服を脱ぐ様子はない。
だけど、洋服が濡れて透けてしまって下着の線どころか色まで分かってしまう。(ニーアは清楚な水色だ)
何処となくいつもと違う様子のニーアを観察しながら、私は女同士と言えども、お嬢様の彼女は誰かと一緒にお風呂に入るという習慣がないから照れているんだという結論に達した。(ちなみに私は寮で共同風呂なので全く抵抗はない)
しかし、彼女も私と同じ状態なのだし、やはりお風呂に入った方がいいに決まっている。
私はとりあえずシャツとズボンを脱いで下着姿になると、彼女の背後から洋服を脱がせにかかった。
「な!何をっ?!」
「だってニーア、全然洋服脱がないじゃない!服着たままお風呂は入れないよ?」
背後からまるで私に襲われるようになった形になって、暴れだすニーア。
真っ赤になって焦る様子は普段の彼女とは全く違って面白い。
「私は風呂には入らない!!レイチェルが持ってきてくれる服に着替えるだけだ!!」
「何で?折角だし一緒に入ろうよ?」
「はいらな―――おい、待て!!本当に脱がすな!!」
抵抗は驚くほどに激しかったが、幸いに今日彼女が着ていたのが後ろにチャックのあるワンピースだったこともあり、背後からさっさとチャックを下げていたので、脱がすのは結構容易だった。
パサリとワンピースが落ち、その瞬間ニーアの抵抗が最大になる。
彼女の背中に張り付くようにして服を脱がせにかかっていた私は、その瞬間バランスを崩しニーアに凭れかかってしまう。
そのせいでニーアの体がぐらりと揺れて床に私ともども倒れこんだ。
『うわ!!』
二人の人間が倒れこむ音が響き、冷たくなった肌と肌が触れ合う。
私はニーアが下敷きになってくれたおかげで何処も痛まなかったが、下敷きにしてしまった彼女は自分の重みで痛いに違いない。
「ごめ―――」
急いで起き上がり、ニーアに今日何度目かになる謝罪の言葉を途中に私は言葉を失った。
私は今、どういう風に倒れたかは定かではないけど、仰向きに倒れ込んだニーアに馬乗りになる形になっている。
起き上がった私は真っ赤になって言葉を失っているニーアと一瞬だけ視線が合い、その後、彼女の体に釘付けになった。
濡れた服の下から透けていた水色のブラ、それが包んでいるはずの柔らかい胸…のあるはずの場所から目が離せない。
言っておくけど、それは私が同性にそういう興味があるとか、そんなんじゃ…ない。
(ない!)
何が『ない』かといえば、女性ならば大小の差はあれど、誰しもが持っているはずの胸の膨らみ。
それがニーアには皆無で、代わりに明らかに胸板だとしかいえない筋肉の上にボールのようなものが胸の代わりになっていてブラがそれを包んでいる。
胸が今まで出会ったどの女子よりもないという事実に、一瞬、ありえない想像が頭をよぎる。
(ニーアはもしかして…いいや!これはいまはやりのパットの類に違いない!)
胸のボリュームを出すための偽乳の存在は女学生の間では結構メジャーだ。
それとは明らかに違うと思いつつも、私は無理やりそう自分に言い聞かせた。
この時の私は本当にパニック状態だったのだ。
慌ててとりあえずニーアから離れなくては、そして、自分のありえない想像を払拭して一緒にお風呂に入らなくてはと、立ち上がろうとしたけど力が入らず、とりあえず後退して体をどかそうと後ろに手をついた。
「うわぁ」
「きゃあ」
その瞬間、手に何か柔らかい感触とそれまで茫然自失していたニーアが叫んで急に立ち上がり、彼の腹部に乗っかっていた私は床にごろりと転がった。
床は脱衣所と言うこともあり、固い素材ではないので私はすぐに座り込んだまま体を起こし、そして、すぐ傍に立っていたらしいニーアのちょうど股のあたりが目の前に来る。
「き……」
そして、それを見た瞬間に喉の奥から、今まで自分でも出したことのないような悲鳴が押しあがってくるのを感じた。
(な…なんなのよ、この膨らみ!!!)
羨ましいくらいの白くて細い御足よりも、私の思考を奪ったのはブラとお揃いらしきショーツに包まれた女性にはない膨らみ。
頭は真っ白になったけれど、たった一つの事実が明確になって私を襲った。
―――男!!!!
その答えに辿りついた瞬間、私は押しあがってくる悲鳴を吐きだそうとして、それに気が付いたニーアに口を手で押さえられた。
「ま…まて!これには事情があるんだ」
「ん~!!」
女子になりすましていた男子にどんな事情があるかなんて、この時の私の知ったことじゃない。
ただ、美少女だと思っていた相手が男で、今二人は互いに下着姿でこんなに近くにいて、もう何が何だか分からなくて、ただただ混乱するしかなかった。
実はこの女装美少女(いや、美少年になるのかな?)ことニーアが、後に私の夫になる世界王フィリーだなんてこの時の私には全く想像できない事であった。