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16:さすがにここは流されない その5

カラコの泉は凪の想像を絶するものであった。

いいとか悪いとかではなく、単純に予想外の泉を眺め大きくも小さくもない瞳を眇める。



「・・・・・・」



思わず無言でそれを観察してしまうのは、予想が大幅に裏切られたからだろう。

人間の先入観とは凄い。別に何か期待してたわけではないが、ちょろちょろとささやかに溢れる泉の謙虚さに眉が上がった。


カラコの泉は、異世界に渡る前に見た泉と少し似ている。

山の麓の木が途切れて盛り上がった土の辺りから、僅かずつ滲み出て小川らしきものを作っていた。

テレビで登山の途中に喉を潤す湧き水が最良の飲み水として特集されているが、あんな雰囲気だ。

ごくごくと喉を潤すには量が足りないが、両手を添えればすぐに水が溜まる程度の量が流れている。

どうやら凪は湖と泉を混合して考えていたらしい。

この場を無事に切り抜けたなら、調べてみるのも面白いかもしれない。


目の前で猫科の生き物らしく尻尾をくねらす存在から極力視線を逸らしつつ、そっとガーヴの斜め後ろに一歩移動する。

視線が突き刺さる、とはこんなときに使うに違いない。

きらきらした眼差しが眩すぎて、目が潰れそうだ、本当に。

さり気無くガーヴを盾にした凪は、こちらを見詰めるラルゴの金目が仕方なさそうに細められたのに気づいて肩を竦めた。



「おやおや、お嬢さんは随分と照れ屋なんだね」

「ちちうえ!おれはかわいいとおもう!」

「ああ、そうだね。俺も可愛いと思うよ、息子よ」



きらりと白い歯を輝かせた父親に、息子は快活な笑顔を見せた。

『虎』は見目麗しい者が多いと言っていたが、確かに新たに表れた子虎も将来有望そうだ。

金茶の丸っこい耳と尻尾に、好奇心旺盛なこげ茶の瞳。

確か先回の会合で5歳と聞いていたけれど、体格的には10歳に見える。

随分と大きな子虎でも、口調はどこか幼くて口端から覗く犬歯が可愛らしい。

ゆらゆらと揺れる尻尾は興味を引く相手を見つけて喜んでいるのか、頬が淡く染まっている。直視できない愛らしさだ。


つい十分ほど前に顔を合わせた虎と狼は、先日のように堅苦しい挨拶の後、まるで旧知の友のように世間話を始めた。

前回と同じく虎の代表者として姿を現したロバートは、ガーズやガーヴだけでなく、サルファや無精髭の狼とも知り合いだったらしい。

無精髭の狼は一言も口を利かないが、サルファは親しげな様子で微笑みを浮かべている。

もっとも彼の場合は糸目が笑ってるように見えるだけで、必ずしも微笑んでいるというわけではないが。


こちらが数人で来たのと同様に、あちらも何人かで来ていた。

明らかに逆三角形のロバートほどではないが、狼より筋肉が発達しているイメージがある。

両者に共通しているのは小麦色の肌くらいだ。

表面上は和やかな笑みを浮かべてるくせに、肉食獣特有の獰猛な雰囲気が寒々しかった。

屈強な男たちの中、一際激しい凹凸具合を醸し出しているのが、ロバートの隣の子虎だった。

他の虎の男たちも凪を見て瞳を見開き驚きを露にしたが、『白虎』に対する物珍しさを露にするには彼らは大人で、静かにそっと視線を逸らされた。

しかしながらただ一人、小麦色の子虎だけは凪を一直線に見つめ続けている。

いくら『白虎』が珍しくても、視線が痛すぎる。子供らしい一途さに身体に穴が開く、本当に。

しかもある意味での素直さでは父親譲りらしくて、一応年上なのだが女性を口説く言葉も滑らかだ。

同じ年下でもガーズには絶対に出来ない諸行だろう。

現に彼は、子供とは思えぬませた発言に、じとりと眉根を寄せて渋い表情をしていた。



「可愛いってよ、お嬢。良かったな」



隣に居る凪くらいにしか聞こえない程度の声で、唇も動かさずに囁いたラルゴに、グッと眉間に皺が寄る。

確かにいつもの無条件に子供を大好きな凪からしたら、可愛い子虎に可愛いと言われればありがとうと礼を言って抱きしめるだろう。

今もぎゅうぎゅうに抱きしめてごろごろと地面を転がりたい衝動を必死に堪えている。

しかしここで流されてはいけない。

凪は子供は大好きだが、ロリコン、ショタコンの気は一切ない。

下手な言葉を発して言質を取られ、急遽結婚なんて流れはご遠慮したい。

この世界の結婚に関する情報を持たないからこそ、幼子でも普通に式を挙げられそうで口を開けなかった。



「あの『びゃっこ』がおれのはなよめか?」

「そうだ、息子よ。未来の花嫁に自己紹介しなさい」

「はい!」



ぴょこりと耳と尻尾を立てた子虎は、大体凪の胸元程度の大きさしかない。

ちゃっかりとガーヴの後ろに隠れた凪を覗き込むべく安易に近づこうとし、両隣の虎に止められ頬を膨らませた。

その様子に苦笑したサルファが、凪の肩をぽんと叩いて視線で促すので、渋々ながらガーヴの後ろから姿を見せる。

すると益々嬉しそうに笑顔を深めた子虎は、尻尾をくねくねと動かした。

眩しい。あの純粋な笑顔は、太陽を鏡に反射させて、それが目に当たったときのようなダメージを与えてくる。



「おれのなまえはドルドルむらのとらのいちぞく、ローイです!よろしく、みらいのはなよめどの!」



眩い。目が眩む。きらきらした笑顔で父親の嘘をまったく疑うことなく、本心から凪を未来の花嫁と思い込んでいるらしい純粋さが心に痛い。

流されるわけにはいかないと理性が緊急警報を発しているのに、この愛くるしい笑顔を前にどうやって拒絶すればいいのだろうか。

額からだらだらと汗が流れ、身体が強張って動かない。

ロリコンの気もショタコンの気もなくても、子供は大好きだ。無条件に愛でる対象と定めている相手を、無為に傷つけたくはない。

かと言って『未来の花嫁です。よ・ろ・し・く・ね』なんて言えるはずもない。

何故かひと目で凪を気に入ってしまったらしい子虎のローイを前に、どうするべきか必死に脳みそを回転させていると、隣から肩を抱かれてバランスを崩した。

しかし転ぶことなくがしりとした固い何かに身体がぶつかり、視線だけを上に向ける。

こちらを見下ろす琥珀色の瞳が一瞬だけ蕩けるような色合いを見せ、見間違いかと瞬きを繰り返す間に元に戻った。



「残念だが、未来の虎の一族の代表者殿。この娘はあなたの花嫁にはなれん」



にいっと子供に向けるには底意地悪すぎる表情を浮かべたガーヴに、きゅっと眉を寄せる。

馴れ馴れしく抱き寄せられた身体は、がっしりとホールドされて動けない。

こういう場ではガーヴは常の子供っぽさを掻き消して、嫌に大人びた雰囲気に変わる。

やはり末っ子でも『狼の一族』の村長の息子だと実感させるほどに、落ち着いて格と経験の差を感じさせた。

ガーヴのあまりにも大人気ない態度に、素直な子虎はぷくっとまろい頬を膨らませて唇を尖らせる。

突いて突いて突きまくりたくなるほど、柔らかそうな頬だ。

可愛い顔に悶えそうになる自分を必死で律してポーカーフェイスを保っていると、背後からラルゴが尻尾を地面に打ち付ける音と振動が響いた。

比喩表現ではなく身体が地面から浮き、衝撃の元に視線を送る。

そこには一見してにこやかで穏やかな笑顔を浮かべたものの、額にくっきりと青筋を浮かべたラルゴが腕を組んで土壁に身体を凭れ掛けていた。

笑顔だが怒っている。組んだ腕にも血管が浮かぶほど力を篭めているし、尻尾が不機嫌に今も地面に打ち付けられていた。

無言の脅迫に、ガーヴがすすすっと凪から離れる。



「彼は随分と不機嫌そうだね」

「ああ。護衛としては相応だが、些か過保護すぎるきらいがある。お前は本気であの娘でいいのか?」

「・・・どういう意味だい?」

「そのままだ。確かにあの娘は稀有な『白虎』だが、その能力は並以下だ。俺は未だ嘗てあの娘ほどとろい虎を見たことがないぞ」

「───・・・、だそうだよ、ローイ。どうする?」

「おれはあの『びゃっこ』がいい」

「ふふ、これも血筋かねぇ。どうやら俺の息子は彼女に一目惚れしたらしい。こうなると虎の執着は激しいよ。俺は息子のためにも是非にも君たちから捕虜の立場の彼女を解放しなければいけないようだね」



にこり、と微笑んだロバートの瞳は、縦に瞳孔が開いていた。

物騒な兆候にぞわりと全身に鳥肌が立つ。

どうやら話し合い云々は初めから為されない予定だったのかもしれない。

ロバートの一言で虎たちはいつの間にか僅かに足を開いて、戦闘態勢なのか微かに腰を落とした。

いきなりの展開に目を瞬かせ、唇を震わせる。


何度も言っているが凪は荒事には向いてない。

運動神経ゼロだし、性格的にも頑張れない。

何とか平和的解決をしてもらえないかと、唯一それが出来そうな相手を視線で求めて訴えたが、彼はいつもどおりの微笑みを浮かべただけだった。

つまり彼らも戦う覚悟を初めからしていたということだ。

日本人の凪からすれば信じられない感覚だ。殴り合いで済めばいいが、そんな状況には思えない。

戦いと喧嘩は違う。それは先日、目の前で様々と見せ付けられた。


ぼろぼろになったラルゴの姿は脳裏に焼きついたままだ。

それでも最後の力を振り絞って、腕や身体の骨を折りながら顔を腫らして青痣を作り、所々から流血したままの状態でも、必死に『羅刹』に立ち向かっていた。

───凪を殺されぬために、命を掛けて護るために。


桜子や秀介が道場での練習の後に青痣を作って帰ってくるのと違う。

ここでは命のやり取りがされる、日本とは違う常識がある異世界だ。


ぐっと唇を噛み締める。

震える拳を力を篭めて必死に堪え、胸に溜まった息を緩やかに吐き出した。



「お嬢、大丈夫か?」



いつの間にか背後に立っていたラルゴが、耳元で囁く。

彼はどうやら傍観者の位置を動くつもりはない。

凪にとって有利に働く相手に付くと言っていたから、じっくりと検分する気らしい。

彼にとってもこの状況は当たり前か、そうじゃなくても珍しくない驚くべき状況ではないのだろう。


目の前で始まりそうな戦いの予感に、奥歯を噛み締めて一歩下がった。

戦いの最中に身を踊りだすような根性はないし、命を捨てる無茶をする気もない。

凪の命は凪だけのものではない。ワンピースの胸の辺りをぐっと掴むと顔を俯けた。



「お嬢?」



ラルゴの心配そうな二度目の声は、残念ながら至近距離の凪にすら届かなかった。

凄まじい土砂と轟音が空から降り注ぎ、瞬く間に風景が変わる。

胃が潰れるような圧力を感じて、そのままあっさり意識を失った。

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