16:さすがにここは流されない
「っ、ちっくしょ、全然当たんねぇ!」
「───巨体の癖に、ちょこまかちょこまかと」
現在、村長の家の裏手にあるちょっとした開けた場所で、狼たちが懸命に己の武器を扱っている。
よく似た色の銀髪を振り乱し、身軽な戦い方を披露しているが、相手になる龍は余裕の笑みを崩さない。
どころかハンデとして土に木の棒で引いた円から一歩も出ることなく、巨体を軽やかに揺らして全てを躱すか受け流す。
相変わらず太い尻尾を上手に使うもので、ひょいひょいと全身運動をしつつもあの円を超えないのは凄いの一言だ。
銀髪兄弟のうち、兄であるガーズは弓を使う。ラルゴ曰くコンポジットボウと呼ばれる武器らしい。
武器屋で普及している一般的なものはショートボウという名の弓らしく、見た目はガーズの扱うものと似ているそうで、この名は武器とはとんと縁がない凪でも名前だけは知っている。秀介のゲームキャラが初期装備していたのがショートボウだ。
コンポジットボウは大きさや重さはショートボウとさほど変わりはないが、威力と射程距離は違い、名前の通り長いロングボウと同じくらいの性能があるらしい。
扱い方も簡易的に説明されたが、頭で理解出来ても動作は追いつけないと早々に扱うのは諦めている。
兄であるガーズが扱う武器も凪には物珍しかったが、ガーヴの武器はそれ以上に意表を突いた。
彼の持つ武器は短剣で、所謂ダガーと呼ばれるものだ。
凪からしたらナイフもダガーも同じに見えたが、30センチ前後の刀身はナイフよりも分厚く出来ているらしい。
基本的な攻め方は突きがメインらしく、相手の懐にもぐりこんで戦うときに威力を発揮する武器だそうだ。
身軽なガーヴには良くあった武器で、両手に持つダガーを順手や逆手に持ち替えての攻撃は様になっていた。
そんな彼の武器の最大の特徴は、二つのダガーの柄に繋がれたチェーンだろう。
ダガーのような短剣では防御が難しいらしいが、そこを繋がれたチェーンを操り上手いことカバーしていた。
更にチェーンの利点として、投げたダガーの向きを空中で変えたり、片方の武器を放棄して相手の手に絡めてもう一方でとどめにかかるなど、存外に物騒でもある。
チェーンに重みがあるので体力がある獣人にしか扱えないらしいが、ガーヴの場合は相性がいい風の魔法の補助も受けて扱っているらしい。
ちなみにこのラルゴの講義は、狼たちとの遊戯の間になされている。
己の武器を取り上げられ、更に凪を逃がす手助けをせぬよう魔封じの腕輪を幾つも付けられてるにも拘らずのこの余裕。
凪からしたら狼兄弟の実力も相当に見えるが、それを容易に上回る強さを龍のラルゴは持つらしい。
本当に彼が護衛でよかった。しみじみと思うと同時に、先日の惨状が脳裏を過ぎる。
これだけ強いラルゴをあっさりと伸したウィル。
そして姿を見ただけで逃亡の一途を取らせた『羅刹』。
彼らが強いとわかっても、いかほどの実力を持つか、戦闘の素人の凪には想像すらできなかった。
ウィルはともかくとして、護衛としてついてきてもらうなら、いつかは秀介とは和解して欲しいけれど、今は案が浮かばない。
流れ弾が当たらないように少し距離を置いたところで体育座りをして、遊びというには激しすぎる光景を眺めながら、今日もいい天気だと空を見上げる。
異世界でも太陽は昇り、雲は白くて空は青いのだ。そよぐ風が頬をかすめて通り過ぎ、すっと瞳を細めた。
捕虜である立場を忘れたくなるくらい長閑だ。
もっとも忘れるには隣に存在感がある狼が立っているので無理だったが。
仁王立ちして訓練と称した龍と村長の息子の遊びを眺めていた凪の隣には、数日前凪を殴ろうとした狼を引き連れて去った狼だ。
相変わらず無駄に眼光鋭く、無精髭も健在である。
無表情が標準装備で、無口な彼といるのは必要最低限以外は会話しなくていいので楽だ。
未だにラルゴの体調を診る名目で傍に居ことが多いサルファは、今日は席を外していた。
お陰で仲裁する獣人が居ないため、三人の遊戯は益々激しさを増している。
「───ナギ殿」
唐突に名を呼ばれ、ちらりと視線を上げる。
声を掛けたくせにこちらを少しも目を向けることなくポーカーフェイスを保つ狼は、薄茶の瞳を一度だけ瞬きさせた。
「!!?」
「ガーズ様の放った矢が飛んでまいります」
言葉と同時に、持っていた剣で矢を吹き飛ばす。
動体視力だけは人並みよりいい凪には、スローモーションとまでは行かずとも、目で追えた行為にぞくりと背筋に悪寒が駆け抜けた。
地面に落ちた真っ二つに折れた矢と、斬るには角度がおかしい刀身を見比べ、硬直した身体に力を取り戻させるべく一つ深呼吸した。
こちらを一瞥もせずに為された行為に内心で驚く。しかしよく考えてみれば、凪を一瞥もせずに矢を見ていたからこそなのかもしれないと思いつき、どちらにしても凄いととりあえず拍手した。
しかし彼の行為を賞賛する感情はあれども、忠告の遅さに関しては些か異論はある。
あのタイミングで忠告しても凪が避けれるはずがない。
いや、それ以前のタイミングで忠告されても避けれるはずがないので、結果は同じなのだろうか。
ちなみに矢が落ちてる位置は微妙に凪が座る場所からずれている。そのまま座っていても当たらなかったろうが、矢が飛んで来たという事実に肝は冷えた。
戦いに慣れるような生活はしてないし、普通に武器が向けられる日常を送ってない。ついでに言えば喧嘩上等と啖呵を切る性格もしてなかった。
清く正しく美しく生きようと思ってないが、そこそこ地味に慎ましく平坦にを目指している。
中々達成できない目標に嘆息して、眉を顰めた。
万が一を考えて払い落とされた矢を眺めつつ、どうすれば平凡に生きられるかを考えていると、怒りに満ちた呻り声が届く。
「───テメェ、お嬢に向けて矢を放つたぁいい度胸してんじゃねえか」
「ッ、違う、俺はあの『虎』の娘を狙ったのではない・・・!そもそもあの角度では絶対に当たらなかったはずだ!」
「関係ねぇよ。お嬢に武器を向けた時点で、遊びはお終いだ」
ラルゴの金目が縦に瞳孔が開いた。
怒りに歪められた顔は単純に怖いし、武器を持たなくとも彼自身の肉体が武器になるのを知っているので、仕方なしに立ち上がる。
「ナギ殿」
「大丈夫です」
淡々としながらもどこか諌める響きを持つ声をいなし、額から汗を流して動きを止めた狼たちに近づいた。
ラルゴは豪放で器がでかいが、過保護に護る凪に対して堪忍袋の緒が短すぎる。
地面に引かれた円から今まさに飛び出そうと、尻尾に体重を掛けてバネ代わりにしようとする龍と、立ち竦んでいる狼たちの間に立った。
ここで騒ぎを起こせば、折角凪の護衛でも村長の息子の恩人として待遇されているラルゴの立場も危うくなる。
彼が大人しく魔封じの枷を付けられているのも、龍としての力を制限してでも凪の傍に居るためだ。
彼自身の怒りは矢を向けたガーズではなく、守るために力をふるえない自身に向けているので、今心のままに振舞えば後悔すると目に見えていた。
「ラルゴ、ここまでだよ」
「ッ、お嬢!?いきなり間に入ったら危ねぇだろ!」
「大丈夫。ラルゴが私を傷つけるはずないから。それにこれは遊びでしょう?」
「・・・・・・、そうだな」
凪の姿を目にしてあっという間に理性を取り戻したラルゴは、あっさりと告げられた言葉に眉を下げて笑った。
身に纏う怒りを霧散させると、描かれた円の中から足を踏み出す。
これは遊戯終了の合図だ。
ラルゴが円を出たことで、背後から安堵のため息が聞こえた。
振り返れば額から流れる汗を拭うガーズと、膝から崩れ落ちて地面に座り込むガーヴが居た。
その姿に瞬きして、微かに小首を傾げる。
これからもう一仕事あるのに、この状態で大丈夫なのだろうか。
そんな凪の心情を代弁するように、控えていた狼が隣に並び立った。
「ガーズ様、ガーヴ様。まもなく『虎』の代表者が訪れるというのに、その状態では支障がございます。至急水浴びと衣替えを」
「・・・ああ」
「・・・わかった」
非常に疲れた声を出した二人に、ひょいと眉を持ち上げた。
約束された『虎』との会合は、もう間もなく始まってしまう。