15:割と元気な捕虜生活 その10
「・・・お前はもう少し空気を読む必要があるな、『虎』の娘」
心底嫌そうな顔をしてこちらを見下ろすガーズの言葉に、ひょいと肩を竦めて見せた。
それだけで眉間の皺が益々深まり、単純だなと内心で呟く。
基本的にいつも顰め面な癖に、ガーズはとても表情豊かだ。
尻尾も耳も動いていないが、眉間の皺の深さや、ひょいと微かに持ち上がる眉の角度、瞳に映る色の違いで感情が露になる。
さり気無く彼を無視して床に下ろしても未だに腰を掴んでいる手の甲を指先で抓る。
『いてぇ!』と反射的に叫んだラルゴに、言葉ほどダメージは受けてないだろうと視線で訴えれば、先ほどまでの凛々しさを捨てて情けなく眉を下げた。
未だに背中にある体温から、一歩前に進み出て離れると、今度はすかさず前から引っ張られる。
さっきからこのパターンばかりだ。
はんなりと眉根を寄せて嘆息するが、返って来たのはサルファのものらしい小さな笑い声だけだった。
「おい、『龍』の客人。この『虎』は俺様の縄張りで拾った以上、俺様のものだ。必要以上に臭いをつけるのはやめてくれ」
「・・・お嬢が不当に扱われるのであれば、俺は護衛として黙ってられねぇ。それがいくら、手厚く看護してくれた相手でもな」
「───護衛。護衛、か。確かにあんたは文字通り命を賭してナギを護ってたな。・・・それに、おまけとは言え俺様も助けられたし、強固に責めるわけにはいかねえか、『ラルゴ殿』」
いつも見せるガキ大将を髣髴とさせる子供っぽい笑顔ではなく、村長の息子たるふてぶてしい笑みで上に立ち慣れた態度を取るガーヴは、しっかりと片手で凪を捉えている。
手首を掴む掌は大きく、簡単に一回りしていた。
そこから続く腕にはしなやかな筋肉がついており、骨と皮ばかりとは言わないが、必要最小限の筋肉しかない凪には、抜け出そうとしても無駄だと嫌になるほど察せれる。
この間『虎』の代表者との会合の際には恋人繋ぎをされた上に、引き離そうと賢明に手を振ったところ、あちらからも振り替えされて危うく方が抜けるかと思った。
それだけ力の差があるのに、問答無用で逃げようとしても無駄に体力を使うだけ。
嘆息して成すがままになった凪に満足したのか、にいっと口角を持ち上げて鋭い牙を見せたガーヴは、見慣れた年相応の雰囲気に戻っていた。
「だが助けられたことには感謝しても、それとこれとは別だ。あんたへの恩は、ちゃんと返してる。あんたがナギの護衛であろうと、こいつが俺様のものであるのに変わりはない」
「・・・・・・」
いつの間にか握っていた掌を放したガーヴが、ぐりぐりと遠慮ない力で頭を撫でた。
髪が乱れて視界が塞がれ、ついでに首ももげそうだ。
痛い。正直に言って痛い。
朝と同じようにがっくんがっくんと無抵抗で首を振っていたら、不意に手の動きが止まった。
「───だから君はお子様だって言うんですよ。ナギさんの小さな頭が落ちてしまったらどうするんです」
「そうだ、ガーヴ。その『虎』は『虎』と思えぬほど虚弱な生き物だ。そのように扱えば、本当に首が落ちかねん」
「・・・・・・」
糸目のまま渋い表情で忠告したサルファと違い、ガーズのほうは至って真剣な顔で告げた。
いくら凪が軟弱で、『虎』としては規格外だとしても、これくらいで首が落ちれば人としておかしいだろう。軟弱とかそういう問題じゃなくなる。
ガーヴに忠告したサルファも呆れ顔でガーズを横目で眺め、はあと短く嘆息した。
ぶっきらぼうで朴念仁で失礼でデリカシーはないが、ガーズは基本とても生真面目な性格をしている。
一直線ゆえに融通が利かず、結果として真剣な顔でボケをかますのだ。
これがラルゴだったら冷めた目で突っ込めるのだが、親密度が上がっていない、上げるつもりもない相手にいきなりそれは出来ない。
何より『なんでやねん』なんて往年のツッコミをした瞬間、思い切り冷たい眼差しで睨まれるだろう。
現に今も虚弱な『虎』である凪に、冷たい眼差しを向けている。
さり気無くその視線から逃れるべくガーヴの影に隠れると、嬉しそうにふさふさの尻尾が振られる。
思わず掴みたくなるが、尻尾に触れるのは求愛行動と同じと教えられたので、理性に厳重に鍵をした。
うずうずと動く掌を宙で握った凪に不思議そうに首を傾げたガーヴの、限りなく銀色に近い灰色の綺麗な髪がさらりと揺れて、凪を映す間は常に好奇心に輝いている琥珀色の瞳を瞬かせる。
「ナギはどうしたいんだ?」
「・・・え?」
「俺様はこの『龍』の客人に助けられた。負傷した彼の面倒を見ることで恩義を返したつもりだが、それでもラルゴ殿はお前の護衛で離れる気はないと言い張る。お前も小屋にいる間からずっとラルゴ殿の安否を気遣うほど親しい間柄なんだろ?どうしたいんだ?」
率直な問いに、思わず言葉が詰まった。
まさか『どうしたいか』と選択肢が示されると思ってなかったのだ。
つい先ほどの遣り取りで『龍』は『狼』より遥かに戦闘力を有する種族だと、目に見えて確認している。
ガーヴ自身、赤龍であるラルゴの実力を目の当たりにし、どれだけ強いか知っているはずだ。
それなのにあえて選択肢を示す行為に、ひっそりと眉間に皺を寄せた。
これは無言で示された凪への誠意で、それをどう返すか確認されているようなものだ。
水浴び場に凪たちが来ていることを知っていたなら、彼とガーズは誰か居場所を聞いたことになる。
その際に余程の間抜けじゃない限り、村長の息子という立場の『狼』に対して、ラルゴと凪の二人が起こした騒動も耳に入れているはずだ。
サルファが二人の『狼』を謹慎処分にしたことも、自分の持ち物である凪に自身の部下が暴力を振るおうとしたことも、そして───『龍』であるラルゴの本気の怒りに当てられ、村長の家で息子の所有物である『虎』を見張る役目を仰せつかさった『狼』が、怯えるだけで役に立たなかったのも知っているはずだ。
それら全てを理解した上で、ガーヴは凪に問いかけている。
この村の誰よりも腕が立つ『龍』を護衛とし、自分を裏切らずにいれるのかと。
一瞬だけ目を伏せて、胸に溜まった思いをゆるゆると吐き出した。
正直に言えば厄介ごとも面倒ごとも真っ平ごめんだ。
秀介のことがなければ、桜子に会うためにも今すこの大陸からダウスフォートに戻りたいところだし、それが無理でもラルゴがいればこの村から抜け出すことくらいは出来るだろう。
けど、それでも。
「・・・ラルゴは私の護衛です。引き離さないでください」
「そっか、わかった。お前の願い、聞いてやる」
裏表ない笑顔でにぱっと笑った年下の『狼』の誠意を裏切って逃げるという案を推し進めるには、少しばかり親しくなりすぎたと諦めに似た息を吐き出した。
こんな卑怯な聞き方をされなければ、絶対にラルゴを近づける気はないと強固に言い張ってくれたなら、謝礼金を置いて逃げるのに躊躇なかったのにと恨めしく思う気持ちをわかってるのかわかってないのか、嬉しげな笑顔をニコニコ浮かべる『狼』は、再び癖になった仕草で凪の頭をもげそうな力でぐりぐりと撫でた。