15:割と元気な捕虜生活 その8
ラルゴの水浴びに、身体を拭くためのタオルはいらない。
いや、宿屋ではふかふかのタオルを使っていたけれど、ないならないで全然困ることもない。
いつもどおり風と火の魔法の応用を使って、器用に身体を乾かした。
「・・・たとえ幼女趣味でも、『龍』は『龍』ということですか。随分と繊細な魔法を使われる」
「だから幼女趣味じゃねえっつってんだろ」
いかにも不機嫌そうな声を出して舌打ちした。
しかし威嚇するような声音にもサルファは少しも動じない。
先ほどの見張り番をしていた『狼』たちなら、問答無用でびびりまくっていただろう。
ちなみに凪もサルファ同様、ラルゴの雰囲気に怯えることはない。
数週間とはいえ絶えずずっと一緒にいれば、感情の機微はある程度理解できるようになる。
今の状態は怒ってるというより、拗ねているのほうがしっくりくる。
なんだか仲良くなったらしいラルゴとサルファの会話の間に、しゅるしゅると衣ずれの音が暫く続き、それが終わると背後から引っ張られた。
身構えていてもこけるだろうが、身構えてない状態だったので当たり前にバランスを崩す。
そのまま固い何かに頭部があたり、いい加減慣れた感触に首だけ曲げて上を見た。
「これでもう臭くねえか?」
「・・・うーん?」
「何で即答してくれねえんだよ。水浴びしただろ。水浴びしても臭いっていうのか?流石にそれは傷つくぞ、俺でも」
「いや、冗談。ごめん」
「ったく、仕方ねえな」
サルファに対するものと違い、笑いを含んだ調子で金目を細める。
背中から抱え込むような体勢だが、身長差がありすぎるので随分と猫背になっているようだった。
両腕を前でクロスさせて、凭れている頭だけでなく更に抱き寄せようとしたところで、ひょいと腕を引っ張られてたたらを踏む。
またもや崩しそうになったバランスを肩を支えられることで保った凪は、唐突な行動に出た『狼』を見上げた。
「先ほどはタイミングを逃しましたが、年頃の女の子を気軽に抱き寄せるのはどうかと思いますよ」
「センセイには関係ねぇだろ」
「残念ながら、あるんですよね。僕はガーヴ君とガーズ君からナギさんのことをくれぐれも頼まれていまして。・・・『狼』だけに限らないですけど、男なら気に入った女の子に別の男の匂いが付くのは面白くないものでしょう?」
「センセイのとこの坊ちゃんは『狼』だろ?『虎』に匂い付けしてもしょうがないだろうが」
「そうですね、でも彼女はガーヴ君の『所有物』ですから。彼はナギさんを気に入っていますし、あまりに態度が過ぎればラルゴさんだけドルドル村にお帰り頂くことになりますよ。一度目は目覚めたばかりで大目に見ましたが、二度目を取り成すつもりはありませんよ」
「・・・わかった」
いかにも渋々としながらも了承したラルゴに、一見すると優しげな笑顔を向けたサルファを眺めていたら、不意に視線がこちらに向いた。
絡む視線に一つだけ瞬きすると、そのまま踵を基点に踵を返す。
そうして思わず、ぷっと小さく笑い声を漏らした。
ずっとラルゴに背中を向けていたので気づかなかったが、彼の今の格好はかなりちぐはぐだ。
長身の『龍』にあうサイズの服がなかったのか、シャツはぴちぴちだし、ズボンはつんつるてんに短い。
男臭く整った顔立ちが、アンバランスさに拍車を掛けていた。
ついでに色もまた酷い。黄土色の上着を着ている『狼』はここ数日で一人も見てないが、これは虐めか何かだろうか。
赤髪と金目が印象的な巨漢は、凪の含み笑いに気づいたのか、居心地が悪そうに尻尾を揺らした。
あれだけ注意したのにまた動いた尻尾を眺めていると、びりっと布が破ける音が聞こえる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
思わず三人の間に、沈黙が舞い降りる。
何も言わずとも、何が起こったか想像できるだけに、何を言えばいいかわからなかった。
どうするべきか思案する凪と、困ったように眉を寄せるラルゴ。
年の功か───実際に幾つか知らないけど───立ち直りが早かったのは、やはりと言うべきかサルファだった。
「・・・確認しましょうか?」
「なんで確認するんだよ!そこは『代わりをお持ちしましょうか?』じゃねえのか!?」
「ですが僕たち『狼』の服の尻尾穴はラルゴさんには小さ過ぎるようですし、尻尾周りにどれだけ余裕を持たせたらいいか確認するのが一番かと思いまして」
「男に尻尾周りをまじまじ見られたくねぇ!」
「でもラルゴが尻尾を揺らした所為で穴が広がったんだよね?自業自得じゃないの」
「───っ、あ、それなら」
「ナギさんに確認してもらう、とか言わないでくださいね。そろそろ僕も怒りますよ」
「・・・・・・」
爽やかな笑顔で言われた一言に、思わず無言になったラルゴの気持ちが良く理解できる。
凪としては尻尾のサイズくらい測るのは構わないが、サルファの倫理観からするとアウトらしい。
凪も本当にラルゴが『幼女趣味』ならご遠慮したいところだけど、服のサイズを確認するのは色事とは関係ないはずだ。
しかもズボンが破れたなら、その箇所を親しくない相手にまじまじと覗き込まれるのは恥ずかしいだろう。
いや親しい相手にされても恥ずかしいけれど、ここは赤の他人よりマシと割り切るしかない。
ともかく静かに微笑んだまま怒りのオーラを発散させるサルファに逆らうには凪の根性は足りないので、傍観者の立場を素早く選んだ。
いつも笑ってるように見える糸目を細め、くどくどと始まる説教を見て、再び床に体育座りをする。
彼がこれほど口うるさいタイプとは気づかなかった。
ここ数日顔を合わせるたびに、やれおかしを勧めてくれたり、やれ美味しいお茶だと出してくれたり、面白い話や優しい態度で接してくれただけに、この一面は少し驚きだ。
もう一度木目でも数えて待つしかないのかと、彼らの声を再びBGMにしかけたとき、騒々しい音が近づいてきた。
「ナギー!俺様帰ってきたぞ!」
声と同時に飛びかかられて、床の上に押し潰される。
比喩表現でもなんでもなく潰れた声が出た。違う、正確に言えば潰されて声が漏れた。
横向けに押し倒された身体の上に乗る相手に、なんとか視線だけを動かして確認すると、予想通りの満面の笑顔が至近距離にあり嘆息する。
凪を抱き枕か何かと勘違いしてるのか、ぎゅうぎゅうに抱きしめつつ床を転がり始めた彼に、地味な痛みが全身を襲った。
「今日の狩りの獲物は猪だ。でっかくて美味いから鍋にして食おうな」
三角の耳をひくひく動かし、盛んに尻尾を振りたてる。
その様はまるで大好きなご主人様に会えた飼い犬を彷彿とさせるが、目の前の『狼』は飼い犬どころか凪に首輪をつけた張本人だ。
ぐりぐりと無遠慮な力で人の頭を撫でまわし、楽しげにしている『子供』相手に、逃げようなんて気力は萎えていた。
最初は何度か抵抗したものの、非力な凪の抵抗を面白がる彼は、どんどんと力を強めるからだ。
お陰さまで現在尚無抵抗主義でされるがままが、一番被害が少なくて住む。
早く厭きてくれないだろうか。
遠い目をしてどこかを見詰める凪は、この場に居るもう一人の構いたがりの存在を完全に失念していた。