15:割と元気な捕虜生活 その7
サルファに案内されて導かれた水浴び場は、泉というより池だった。
水草が所々浮いているが、泳いでいる魚の姿も見えるくらい透き通った綺麗な水場だ。
村長の家の裏手にあるそこは、誰でも使用していいらしい。
日本の古き良き銭湯を髣髴とさせる入り口があり、薄い布を捲った先には脱衣所らしきものがある。
十数歩歩けば床がなくなり、草が生えた地面にぶち当たった。そこからはそのまま池に入りましょうとばかりに水場に一直線だ。
ここら一帯は湿気と温度が高いため、水は丁度いい感じに汗を流して体温を冷ましてくれる。
ちなみにここは男専用の水浴び場だ。女性用は離れた場所に別にある。
それなのにどうして凪がこの間取りを知ったかというと、偏に離れることを許さなかったラルゴの押しがあってだ。
譲りそうにない彼の勢いに、最終的にサルファが譲歩した。
ただし、女性に裸を見せるなんてもってのほかだから、せめて視界に入らぬように互いに背中を向けることを条件付けられた。
二人の間には監視役としてサルファが立っている。表向きはラルゴが不埒なことをしないか見てるためらしいが、凪が逃げ出さないよう見張りも兼ねているのだろう。
水浴び場となる池に行く前に脱衣所ですれ違いざま、『三人』とラルゴが耳元で囁いた。
『三人』とは、凪には気配も感じない、サルファ以外の見張りの数だろう。
『狼』と『龍』にどれだけの力の差があるかわからないので、それが多いのか少ないの判断が付かない。
それでも余裕を崩さないラルゴの態度から、彼にすれば決して多くない人数だと把握できた。
見張られているのを問題視しないラルゴと違う意味で、凪もサルファが間に立っているのはまったく異論はない。
遺憾なことにラルゴの裸など見慣れてしまった気もするが、見たいと思ったことはない。どちらかと視界の暴力なので迷惑だ。
全裸状態に対しては一切の羞恥心を持たない彼の突進を阻止してくれるのは、ピンチの時以外は大歓迎である。
ラルゴ自身はこの距離なら背中を向けていても駆けつける自信があるからか、サルファの提案に近くに置けるならと構わないと上機嫌に頷いた。
お陰さまで一人が水浴び、二人がそれを脱衣所で待つという極めて不思議な状況が出来上がっている。
「それで小屋から出された先で会ったのが、ドルドル村の『虎』の代表のロバートさん。捕虜としてドイエル村に保護してもらった私を迎えに来てくれたんだ」
「・・・そうか」
単に黙って座っているのも気詰まりなので、転移なんてありえない経験をしたことを隣にいる油断ならない『狼』に悟られないよう意識しつつ、伝えるべき情報をラルゴに話す。
背中を向けているが、水が跳ねる音すら聞こえる距離で、互いの声は簡単に聞き取れた。
借りた布で身体でも擦ってるのか、会話の途中でばしゃばしゃと合いの手のように入る。
そう言えば彼は尻尾をどのように洗うのだろう。
ラルゴの尻尾は太くて長いので、やはりくるりと前に回してタオルで挟んで擦るのだろうか。
それとも丁寧に四つ折りにしたタオルで端々まで拭うのだろうか。
もしかして水中で高速回転させて汚れを振り払うのだろうか。
いや、最後の案は宿の浴槽では無理なので却下だ。
だとするとやはり案1と2が有力候補だけど、なんとなく好奇心が擽られるので今度直接聞いてみよう。
そんなどうでもいいことを考えていると、少しの間を空けてラルゴも口を開く。
「ドイエル村、か。いいかお嬢、ナナンにあるこの村は、温度も湿度も高いからちゃんと水分補給しろよ。ここの『虎』も『狼』も密林に囲まれた暮らしに慣れてるが、お嬢は体力ないからな。一人で外に出たら、獣に襲われるしな」
「うん」
彼の言葉から同じようにいくつかの情報を得て、こくりと頷く。
まさか大陸移動しているとは思ってなかったので、ラルゴの言葉に内心で酷く驚いた。
ナナンとは、この世界に5つある大陸の一つで、つい先日までいたダウスフォートとは一番離れた場所だ。
『神の島』と呼ばれる大陸を中心に、4大陸が縦横に四葉のクローバーを髣髴とさせる形で並んでいるが、ナナンはダウスフォートの線対称の位置にあった。
軽く瞼を閉じて嘆息する。
よくもまあたった一日、否、数瞬でこれほど長距離移動させてくれたものだ。
一月経ったら桜子がダウスフォートの首都、ダランに現れると教えたのは異界の神であるウィルなのに、よりによってあと数週間で再会できる時期に数ヶ月歩かなければ付かない大陸に転移させるなんて、タイミングが悪すぎるとしか言いようがない。
しかし全てにおいて最悪と断言も出来ない。
先日顔合わせした『羅刹』。獣の姿をしていたが、彼は絶対に秀介だった。
凪にとって桜子と秀介は同じくらいの比重を持つ大切な存在だ。比べることは出来ないし、選ぶことも難しい。
桜子に会えないのは寂しいけど、同じくらい秀介に会えたのは嬉しかった。
いや、今も必死で凪を捜してくれてる桜子には悪いが、今回はある意味で秀介に再会できたほうが嬉しいかもしれない。
桜子や凪と違い、秀介はもっと重いものを背負ってこちらの世界に来ている。
目の当たりにして衝撃を受けなかったはずがない。
獣の姿に身をやつしても秀介は秀介だけど、幼馴染の変わり果てた姿に、己が望み秀介が願った結果をまざまざと見せ付けられた。
黒い四本足の獣は、言葉を話すことは出来なくなっていた。
もしかしたら意味も理解できなかったかもしれない。
『羅刹』が何か、新たな情報を得たくても、ラルゴが寝込んだままだったので進展はなかった。
良くしてくれるガーヴやサルファにも、何だかんだで面倒を見てくれるガーズにも、『羅刹』については聞く気にならない。
凪を理解してくれているラルゴと違い、彼らにこちらの事情を話すつもりがない以上、こちらの状況を漏らしたくないという想いがある。
しかしながら一つ懸念もあった。
ガーヴは『羅刹』の姿を己の縄張りで確認している。
彼は『羅刹』について『現存する種族の中で最強かつ最凶の生き物』と断言していた。
その『最強かつ最凶』の存在が自分の縄張りにいて、『狼の一族』の村長の息子である彼がどういう対応をするのかが心配だ。
『逃げるのが鉄則!』と叫んでいたけれど、万が一『羅刹』に対して何らかの対策を取っているなら、それが秀介にとって少しでも危険を及ぼすものなら、阻止しなければいけない。
数日共に過ごして毎日何気ない疑問を投げかけていたので、質問されることにも慣れてきただろうし、凪が質問することが好きと思い込んでいる節もある。
そろそろ油断も誘える頃合のはずだし、情報を引き出すには丁度いい。
もっとも聞くのは『羅刹』についてではない。
いつもどおり凪と離れている間に外で何をしているか、それを深く聞くだけであちらから欲しい情報を与えられるだろう。
「お嬢ー、そろそろ上がるぞ」
「おや、それじゃナギさんもう少し移動しましょうか。ラルゴさんは大柄なので、僕たちがここで陣取ってると着替え中に尻尾が当たりそうです」
「俺はお嬢に尻尾を当てたりしねぇよ。絡めるのはあるかもしれねえけどな」
「・・・ナギさん、やはり可及的速やかに外に出ましょうか。異種族に尻尾を絡めるなんて、ラルゴさんの性癖は少し計り知れないようです。単純に可愛いから好いて愛でてると思っていたのですが、考え違いのようですね。僕、幼女趣味の男は苦手です」
「んだと!?お前だってお嬢を可愛がってるだろうが!似たようなもんだろ!」
「失礼な、一緒にしないでください。僕は単に可愛い子が好きなだけです」
きっぱりと断言した年上の男たちの言葉に、はあと一つ嘆息する。
いつの間にかロリコン談義が始まっていた。
はっきり言ってどうでもいい内容だ。ラルゴがロリコンじゃないことくらい、子鼠たちの相手をするときの顔を見ればわかる。
だがサルファに関してはどうだろう。彼が『可愛い子が好き』と言うと、色々と想像の余地が出来て怖い。
まあそれでもここ数日を振り返って、その手の意味では危険は感じなかったので、大丈夫だと思うけど。
それにしても、サルファの言葉に、こちらでは異種族に恋するというのは本当にないのだなと再確認する。
凪の感覚では『異種族の獣人』は『外国人』というイメージだが、彼らからすると『見た目が似てる宇宙人』なのかもしれない。
『人間』だけは別というのは不思議だ。これも神様のえこひいきになるのだろうか。
しかしそうでもしなければ、こちらに召喚された『人間』は誰とも結婚せずに一人で一生過ごす羽目になるのだから、それくらいの特典は必要だったのだとも思う。
もっとも、行き過ぎは勘弁して欲しいところだけど。
喧々囂々とやりあう二人の声をBGMに、少し移動した場所で再び体育座りする。
ラルゴは本当に誰とでも仲良くなれるなと、あの落ち着いたサルファと楽しそうに騒ぐ様子に、いつ終わるかと考えながら壁の木目を数え始めた。