15:割と元気な捕虜生活 その6
結局その後用意された器具で器用にも床の板を張り替えたラルゴは、サルファに案内されながら凪の手を引いて水浴びに向かっている。
平屋だが、この家は家というより屋敷と表現したくなる広さがあった。
途中ですれ違った『狼』たちの、凪にだけ突き刺さる視線をポーカーフェイスで華麗にスルーしてると、前を歩くサルファがくすりと声を漏らした。
「何か面白いものでもありましたか?」
「そうですね・・・面白い、というより興味深い『虎』がいますね」
それは直接ではないが、遠回しにもならない表現だ。
糸目を更に細めて笑う原因は、どうやら風変わりな『虎』である凪らしい。
微かに小首を傾げると、なお面白そうにこちらを見下ろす。こうしてると普通に穏やかそうな『狼』に見えた。
彼の顔を見ていると何となく日本で耳にした言葉を思い出す。
本当の悪人は、いかにも悪い顔をしていない。悪人らしく厳つい顔をした人より、優しそうな顔をして騙す相手の方が遥かに性質が悪い。
いや、別にサルファを悪人と思ってるわけじゃなく、何となく思い出しただけだけで深い意味はないけど。
比較対象が近くにいるから余計に考えてしまうのかもしれない。
ラルゴとサルファ。見た目も雰囲気も正反対の二人が並べば、明らかに穏やかそうな笑みを湛えるサルファのほうが人(狼?)が良さそうな獣人に見える。
よくよく観察すれば端正な顔立ちをしていても、まず『怖い』と印象を持たれそうなラルゴより、見目も普通な分だけ親近感も抱きやすい。
「僕の顔に何かついていますか?」
「・・・目と鼻と口と眉が」
「そりゃ当然だろ」
凪よりも遥かに『ふふふ』と笑う姿がとてもしっくり来る『狼』は、男なのに可愛らしい仕草で首を傾げた。
邪気などまったく感じられぬ、どちらかと言えば幼く感じる仕草をこなす『狼』に咄嗟にボケれば、すぐさま手を引くラルゴに突っ込まれる。
凛々しい眉を寄せた金目は、慣れてないと物凄く不機嫌そうに眇められてると感じるかもしれない。
単純にツッコミを入れただけでこれだけ迫力を醸し出すのは凄い。
強面に思わず感心していると、訝しげにこちらを覗きこもうとしたので、距離が近づきすぎる前に手を差し出して顔を止めた。
ちなみに凪の掌より、ラルゴの顔のほうがやや大きく手に余る。
触れられて条件反射でなのかゆらりと動いた尻尾が、わざわざ道を空けてくれた『狼』の男に当たったが、視界を封じられても迷いなく歩くほど感覚の鋭敏な彼は、それに反応もしなかった。
「ラルゴ、尻尾」
「おっと、いけねえ。つい、動いちまった」
「ついじゃないよ。ラルゴは尻尾を感情のままに動かし過ぎ」
「別に俺も常時感情のままに振ってるわけじゃねえぞ。お嬢が近くにいると、その、つい動いちまうんだ」
何故か空中に『の』の字を指先で書きながら、目尻を淡く染めたラルゴはちらちらと視線を向けてきた。
大の男がするには至極不気味な仕草に、若干身体を引いて心身ともに距離を取る。
同じ仕草でもサルファならもっと様になるだろう。別にして欲しいとも思わないけど。
「・・・なら居候先の家を破壊する前に距離を置こうか。そのほうが何故か身を護れる気がする。厄介ごとから距離を置ける気がする」
「いや、嘘、嘘だって!お嬢が理由じゃねぇよ!我慢するから、離れるな。な?」
「我慢するって言ってる時点で嘘じゃないでしょ」
嘆息しながらも必死になってくれる理由を察せるだけに、握った手を放したりしない。
ラルゴはいい『龍』だ。見た目は怖くても、豪放で器が大きく子供にも優しくて公平な視線を持つ。
これだけ必死になっているのも、凪を危険に曝したくないからだ。
護衛なのに凪を小屋に何日も監禁させたまま放置したことや、知らぬ内に『狼』の首輪を付けられたことに心底心を痛めてくれてる。
神様相手に吹っ飛ばされて、体中ボロボロになって、それでも『羅刹』の前に無防備に突っ立っていた凪を護ろうと、最後の力まで出し切ってくれた。
『羅刹』がどれだけ危険か凪は知らない。ウィルに与えられた知識を探っても、あえて与えられなかったように見つからなかった。
けど、『羅刹』がいかなるものか知っていたラルゴは、喜怒哀楽を表現しても普段は常に持っている大人の余裕すらかなぐり捨てて、血相を変えてぼろ雑巾のような身体に鞭打って動いた。
後先考えずに全てを放出したラルゴが倒れたとき、浮かんだのは紛れもない感謝と───罪悪感だった。
「ふむ、ラルゴさんを見る限り、『龍』は好いた相手には尽くす性質なんですね」
「───『狼』だって、同じだろ。番を持って、その相手を大切にする。違うか?」
「いいえ、ご名答です。ですが僕たち『狼』は種族としてそれほど珍しくありませんし、希少な『龍』の行動解析はとても面白いです。僕たち『尻尾がある』獣人は、大人になれば尻尾の制御は自然と心得るものです。そうじゃなければ、今のラルゴさんのように感情が駄々漏れになりますし、それを恥と取る傾向にあるのに、それすら出来ぬほど相手を好いたのだなと感心しました」
「・・・余計なお世話だ」
ぶすくれた声を出したラルゴに、サルファは楽しげに笑った。
もしかすると、いや、ある意味では予想通りに、28と自己申告したラルゴよりサルファのほうが年上なのかもしれない。
苛立たしげに瞳を眇めた『龍』の顔はいつもにも増して凶悪で、なのにその『龍』を恐怖の対象としていた『狼』の仲間は欠片も動じない。
それどころか発せられる怒りを右から左に受け流し、涼しい顔で凪を見た。
ラルゴにしてもサルファにしても、前を見ないで歩いてるのに、どうして障害物にぶつからないのだろう。湧き上がる純粋な疑問に、一つ瞬きする。
廊下には時折足元に詰まれた本や、仕切り代わりの布から伸びたあれこれがあるのに、器用にひょいひょい避けていた。
「感情制御という点で行くと、ナギさんはその若さで見事なものですね」
「そうなんですか?」
「ええ。感情を大袈裟に表情に乗せるわけじゃないのに、必要があれば上手く表現する。耳や尻尾もほとんど動かさないですし、心が読めないお陰で我が村の誇る自慢の『狼』も一人振り回されてます。本当に、大したお嬢さんです」
「・・・・・・」
正直なところ凪は別に感情を制御してるわけじゃなく、単に見た目より冷めた性格をしてるだけで、尻尾と耳に関しては実態のあるまやかしとしての意識が強すぎるお陰でほとんど自分で動かせないだけだ。
幼馴染に言わせると、喜怒哀楽の着火ポイントも人より僅かにずれているのも、表情が薄いと思われがちな原因の一つらしい。
ふと目を放した瞬間ににたりと笑ったりして、すぐさま引っ込めるものだから見逃されがちとのことだ。
ちなみに営業スマイルと、必要だと思ったときに作る笑顔はこの区分に含まれない。
お金を貰って接客の仕事をするからにはスマイルは当然だし、事なかれ主義の日本人気質は根深いもので、愛想笑いくらいいつでも出来る。
心底愉快だと目を細めたサルファは、やはり見ていて厭きることはない。
独自の価値観で展開する論理は、人によっては我が強いと表現したり受け入れられなかったりするのだろう。
だがこの独特のマイペースさを面白いと感じる。
『大した虎だ』と表現するのではなく、『大したお嬢さんだ』と告げたところも好ましい。
褒められたところで否定も肯定もしない代わりに、ほんの僅かだけ口角を持ち上げる。
僅かに出された凪の表情に眉を上げた彼は、笑ったように見える糸目をそのままに、緩やかに唇で孤を描いた。