15:割と元気な捕虜生活 その2
ガーヴがアイラと共に連れ立つと、大抵ガーズが部屋に現れる。
相変わらず上から目線で───実際に長身の彼は上から凪を見下ろしているが、そういう意味ではない───腕を組み、無駄に長い足を肩幅に開いている。
瞳を眇めて全身で威嚇する姿はまさしく『狼』。
一歳年下とは思えないほどふてぶてしい表情を浮かべる彼は、威嚇するように持ち上げた口の端から牙をむき出しにした。
「おい、そこの駄目な『虎』の娘」
「・・・・・・」
「さっさと立て。今日もあの『龍』の看護に行くのだろう?俺もそれほど暇じゃない、さっさと立て」
「・・・・・・」
会って早々挨拶ではなく『駄目な虎』呼ばわりした『無礼な狼』に目を細める。
しかし特に否定要素もないので、無言で従った。
確かに凪は『虎』として駄目な部類だろう。
唯一知ってる『虎』は、黒いオーラを全身から放出する、眼がが潰れんばかりの王子様キャラだった。
眉目秀麗、運動神経抜群、ついでに頭も良さそうで口も周り、親しい友人に言わせると、面倒な女誑し。
ガーヴたちやラルゴに共通して自信家というワードが出ていたが、元に基礎能力の高さがあるので仕方ない。
それすらない凪からしたら、『虎』として駄目だしされても文句はなかった。
「相変わらずそんな碗一杯の食事しか摂ってないのか。それだから身体が未成熟なんだ」
「───身体的特徴を挙げて相手を卑下するんですか?それが『狼』の流儀なんですね」
『虎』としてこき下ろされるのは別に構わないが、『人間』としてどうしようもない部分を攻めるのはいかなるものか。
わざとらしくにこにこと微笑めば、凪と同じで基本的に表情が変わらない顔の眉間に、くっきりと皺が刻まれた。
凪は平和主義で事なかれ主義だが、大人しい気質なわけでもない。割と言いたいことは主張する。
我慢の一線を越えれば絡んできた不良相手でもずばずば物を言うので、向こうの世界でも随分と幼馴染に心配されたし、こちらの世界でもラルゴに呆れられた。
流されるのは楽だけど、流されるままに流されていたら、厄介な深みにさらに嵌るのも知っている。と言うより経験済みだ。
幸いにして目の前の『狼』は女性に対して暴力を振るうほど矜持が低い相手じゃない。
それを見越した上での強気な発言だが、黙らせるのは成功した。
ちなみにこのままでいるのは今後不都合かもしれないので、ちゃんとフォローもする。
「ここの料理はとても美味ですが、私はほとんど運動もしませんし、食事量は少なくて十分なんです。むしろこれでも多いくらいです」
「・・・お前は身体が弱いのか?俺はお前ほど運動しない『虎』を見たことがない」
「幸いにして健康体です。ついでに申し上げるなら、私も私みたいな『虎』は見たことありません」
「自虐的だな。お前には『虎』としての誇りはないのか」
「捕虜になるような間抜けな『虎』に、誇りを求めるんですか?」
「・・・・・・」
あえて質問に質問で返せば、難しい顔をしてガーズは黙り込んだ。
そのまま踵を返す彼の後をついて、ガーヴの部屋から出る。
彼の家は村長のものなので、高床式の木の家にはここから見える他の家にはない長い廊下があった。
龍のラルゴが護衛と知っている彼らは、いざとなったとき抵抗を防ぐためか、臥せっている彼との距離を空けている。
時間にして大体五分ほど歩かねば、ラルゴがいる部屋には辿り着かなかった。
幾つか廊下を曲がって漸く目的地に着くと、部屋の前に見張りとして立っている『狼』の男たちの視線がこちらを向く。
ちなみにその視線は若い女や老人たちほど冷たくはないが、とても好意的とは言えなかった。
こちらの世界に来るときのウィルの言葉が思い出される。
『俺が気に入ったから、俺の作った世界の誰もに基本的に好意は持たれる。けどそれは別に絶対的な愛情じゃねえ。なんとなく好きだな、って思うだけでお前を害そうと思えば出来る程度の好意だ。勿論例外はいるだろうがな』
この数週間、ほとんどが好意ばかりなので慢心していた。
どうでもいい存在からのどうでもいい視線はやはりどうでもいいが、それでも意外と突き刺さる。
感情面では気にならないけれど、精神的に落ち着かない。
誰だって油断した瞬間に喉元に武器を突きつけられそうな状態では疲れると思う。ちなみに現在の凪はこの状態に甘んじていた。
ふう、と嘆息すると、器用に片方の眉を持ち上げたガーズが視線だけでどうしたのか問いかける。
彼とアイコンタクトで会話する気はないので気づかぬ素振りで、よけられた薄布を潜った。
敵愾心を露にしても、彼は基本的に親切だ。
年上だと理解しているはずだが、凪の見た目が年よりも遥かに幼く見えるようなので、それが原因かもしれない。
常に厳しい顔で眉間に皺を寄せているけれど、彼は女子供には甘いタイプらしい。
澄ました顔で一礼すると、結局叱責するでもなく無言で凪の後を追った。
「・・・ああ、ナギさん。いらっしゃい」
「おはようございます、サルファさん」
木の板を張った上に薄手の絨毯が敷かれた部屋は、ほとんど装飾品がない。
ラルゴの看護用に使われているが、本来はほとんど使われていないと教えてくれたのは、『狼』には見えない穏やかな表情をした男性だ。
糸みたいに細い眼が笑うともっと細くなり、癒し系のオーラが放出された。
ガーズやガーヴ、アイラとも違う、アッシュグレイの耳と尻尾をした彼は、ラルゴを診てくれる医者で、名をサルファという。
床の上に置いたクッションの上に胡坐を掻いていた彼は、ふさりと一度尻尾を振って歓迎の意を示してくれた。
この『狼』の村で、『虎』の凪にこうして好意を示してくれるのは、今のところガーヴと彼だけだ。
若いようにも年を取っても見える不思議な雰囲気のサルファに微かに微笑み、いそいそと彼が用意してくれたクッションに正座する。
初めは独特の座り方に驚いていた彼も、数日経って慣れてくれた。
「おい、お前。俺には用意しないのか?」
「おや?ここに腰を落ち着けるつもりだったのですか?君はいつもナギさんを置いて部屋を出て行くではありませんか」
「・・・毎回そうするとは限らないだろう?そこの娘はいかに規格外でも一応『虎』だ。俺が見張るとは思わないのか」
「村長の六番目の息子が直々にですか。それはないでしょう。確か、君は仕事が詰まっていると兄上から聞いてますよ」
「俺の今日の予定を知るのはザイン兄上だけだ。貴様、また兄上と酒を交わしたのか」
「ふふふ、やはり仕事ですか。先日の雨で河川が氾濫しそうになった箇所があるので、機動力がある君のところが動くと思いましたが当たりのようですね」
「・・・俺を謀ったのか?」
「話を聞いたのは本当ですよ。もっとも一月以上前の話でしたから、後半は推測ですけど」
くすくすと微笑みを浮かべたサルファは、ガーズを完全に掌で転がしていた。
弄ばれる屈辱に頬を染めたガーズは、無言で踵を返して部屋から出て行く。
この部屋に足を踏み入れるたび、内容は違えど毎度繰り返されるパターンだ。
頭が固くて失礼だが、凪はガーズを嫌っていない。しかし失礼な発言に対して少々思う部分はあるので、やり込められると爽快でもある。
きっちりと姿が消えるのを見送って、ぱちぱちと拍手すると、隣に座る彼は、やっぱりにこにこと微笑んだまま、おどけた調子で存外に優雅に一礼した。