15:割と元気な捕虜生活
ロバートと深夜の会合が開かれてから早3日。
どうやら村長の息子だったガーヴの取り計らいで多少の自由を得た凪は、ある意味もっと不自由な想いをしていた。
木の板の上に引かれた薄手の絨毯の上に直に座り、はあと重たいため息を吐き出す。
「どうしたんだ、ナギ?飯が口にあわなかったか?」
「・・・いえ、相変わらず美味です」
「ならどうした?足りないか?そりゃそうだよな。そんな茶碗一杯のスープじゃ腹も減る。増やしてやろうか?」
「お気持ちだけで結構です。私には丁度いいですから」
「・・・お前、そんなだから成長しないんだぞ」
我侭を言う子供を宥めるような視線を向けられ、また一つため息を吐いた。
思うにため息が幸せのバロメーターなら、凪の幸せはこちらの世界に来てからダダ減りだ。
あちらの世界でも地味にピンポイントで不運が襲ってきたが、こちらは波が激しい。
やはり異世界の壁は厚いのだろうか。常識が違うと疲れることが多過ぎる。
答えない凪に首を傾げたガーヴは、きょとりと瞬きしてにぱっと笑った。
そのまま一回りも大きい掌を向け、ぐしぐしと頭を撫でる。
逆らうのが面倒で成すがままにされているが、こうしているといかにラルゴやウィルが加減していてくれたか判る。
ガーヴは自分なりに気を使っているようでも、首に掛かる負担が半端じゃない。
カウントしてみたら一日に最低七回は撫でられるけれど、捥げて落ちないのが不思議だ。そろそろ鞭打ちになる気がする。
ついでに首が揺れるたびに付けられた『アクセサリー』が擦れて少し痛かった。
「無駄に食べても横に伸びるだけで縦には伸びません」
「なんでだ?俺は食べれば食べるだけ伸びだぞ!お前より3歳年下でも、ずっとでかいしな!」
ははははと笑う『狼』は、年下とは思えない。
胡坐をかいて並べられた皿の食べ物をかっ食らう勢いも、秀介と同じくらい凄いものだ。やはり運動量が違うからだろうか。
重たい武器を持って狩りに出かける彼の身体は、14歳には見えないほど完成している。
凪の前で武器になるかもしれないフォークを使っているが、彼に緊張はなかった。
それはそうだろう。
『虎』の癖に圧倒的に鈍い凪の性質を、良くも悪くも理解していた。
おかげさまであっという間に押さえ込まれて、強制的に『首輪』なんて付けられた。
あちらの世界でもネックレスなどのアクセサリーをつけてなかったので、どうにも異物の感触が気になって仕方ない。
これは飾りだと思い込もうにも、結構な重量感があり、挙句取れないように鍵まで付けられていては、思い込みにも限度があった。
ガーヴの言葉を無視してカリカリと首輪に触れていると、節くれだった掌が伸ばされ手を握られる。
「やめとけ。お前の力じゃ外せねぇよ。お前、『虎』とは思えないくらい非力だし、俺の目印がなければ他の『狼』に襲われても文句言えねえぞ」
「・・・・・・」
からかうような口調だが、言ってる言葉は物騒極まりない。
凪にその意識がなくても、この村では凪の存在こそが異物だ。
未だにラルゴが漸く身を起こせるだけの状態では、確かに首輪を外して歩くのは自傷行為に思える。
一応捕虜の立場らしいので台所の仕事や掃除を手伝うのだが、一緒に働く『狼』たちは凪の存在に慣れ始めてくれたけれど、他の『狼』の視線はまだまだ鋭い。
特に若い女の子や老人たちの視線の冷たさは尋常じゃなかった。
前者はガーヴの持ち物となり、彼と行動する機会が多いガーズとも話しをする凪に向けて嫉妬の眼差しを、後者は古くから禍根と共に生きる故に侮蔑の態度を隠しもしない。
小屋に食事を運んでくれた『狼』たちは年齢的に中年のおじさん、おばさんだけだったけれど、世代を跨げば視線も変わる。
村長の息子のガーヴの所有の印がなければ、速攻で暗闇に連れ込まれて私刑にあいそうな勢いだった。
そうなれば流石に形振り構わずウィルから与えられた力を使う予定だが、出来ればもう少し時間は稼ぎたい。
ラルゴの身体は未だに十分に動ける状態じゃないので、ぎりぎりまでは休ませると同時に、食料や逃げ道の確保もしたかった。
首輪から手を放すと、くしゃりと一層機嫌よさげに笑みを深めた。
笑顔だけ見ると彼は年相応の少年に見える。顔立ちは整っているし、笑うと幼くなる姿は年上の女性に人気がありそうだった。
「・・・ガーヴ、狩りの時間よ」
外から聞こえた声に、今までより一層深いため息を吐き出す。
鈴を転がしたような愛らしい響きの持ち主は、そのイメージを崩さぬ愛らしさを持っている。
ガーヴの部屋に許可なく入れる数少ない少女は、部屋の隅に凪を見つけて蔑むような視線を向けた。
あからさまな嫌悪だ。多分、ここまで嫌われたのは初めてだと思う。
ガーヴより薄い灰色の髪と目を持つ少女は、ストレートの髪をおかっぱにしていた。
切れ長の瞳は長いまつげが縁取り、シャープな顎が年齢より上に見せている。
身体つきも凪より余程女性らしい曲線を描いていた。
腰に手を当ててこちらを見下す少女は、アイラという名の『狼』だ。
村長であるガーヴの父の妹の娘で、少しばかり───正確に言えばかなり気が強そうだが、しなやかで美しい。
ガーヴから聞いた話だと、同年代の『狼』の少年の中では一番人気がある美少女だそうだ。
ちなみに彼自身は一つ年下のアイラは、妹にしか見えないと笑って断言した。
「あら、今日もそこに居たの?ペットは外で飼うのが基本よ、ガーヴ。部屋が汚れてしまうわ」
「いや、こいつは俺のだからいいんだ。非力で弱いし、護ってやんなきゃな」
「・・・虚弱な『虎』なんて、『虎』の片隅にも置けないわ。ガーヴには私みたいな強い『狼』のほうが似合うのに」
瞳孔を縦に開いて爪と牙を覗かせた少女は、苛立ちを言葉に篭めた。
アイラはとてもわかりやすくガーヴに好意を抱いている。
それなのに朴念仁の彼が、目の前で凪を庇うので、日に日に悪感情を募らせているのだ。
初対面のときはここまで怒りを露にしていなかったのだが、『綺麗な虎だろ?』の一言で嫉妬が炸裂した。
余計なことを言うなと必死にアイコンタクトで送ったけれど、ガーヴに通じることはなかった。
おかげさまで、今では顔を合わせるために皮肉を言われる関係だ。
「月夜ばかりと限らないわよ。精々気をつけるのね」
わかり易い牽制に思わず噴出しそうになり、慌てて顔を俯ける。
実のところ、心に真っ直ぐなアイラを嫌いじゃなかった。
凪を凪と認めずに言われる言葉よりも、一直線に響く言葉は受け止めやすい。
年下の少女の思春期な想いは見ていてとても擽ったいもので、巻き込まれない第三者ならもっと良かったのにと、微笑ましい姿に見えないよう小さく笑った。