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閑話【わからないことがわからない】

*彼視点です

いつものように地面を駆ける。

この森に移動したのはここ一月ほど前だが、どこをどう移動すればいいか地理は頭に入っていた。

固い土を蹴り、柔らかな葉を踏み躙り、落ちている小枝を粉砕しながら前に進む。

ぐんぐんとスピードを上げていき、全身を包む風すら支配した。



「うおぉーん!」



胸から競り上がる何かを押さえきれず、叫びが森の中に響く。

声に共鳴した精霊たちがざわめいて、忙しなく獣の周りを飛び交った。

くるくると回るそれが視界を遮るのが腹立たしく、前足を一閃させて消し飛ばす。

存在の根本から消えたのは、水の精だ。近くの湖が波立つ音が耳に届き、ひくりと一度だけ動かした。


気に入らなかった。

世界の何かもが、気に入らない。

これほど苛立ったのはいつ以来だろう。思い出せないくらい過去だと考え、違うと首を振った。

そう言えばつい先日白い生き物が現れたときも、全てを引き裂きたい憤怒に包まれた。


その衝動を押さえ込む理由が見当たらず、思いのままに爪を奮う。

硬い地面が砂山を崩すように簡単に抉れ、木々は倒れて、湖は干上がる。

そこに住まう獣たちからの恐怖が伝わってきて、咆哮一つで黙らせた。


自分はこの世界で最強の存在だ。

その自分に逆らうなど愚かでしかなく、邪魔をするなら存在ごと消してやる。


感情の篭った遠吠えで、妖精たちが一気に数を減らす。

黒い獣がいる場所を中心に、木々は先端から枯れ始め、色褪せた葉がひらひらと地面に落ちた。

踏みしめるとぱさりと乾いた音を立てて崩れていく。

どんどんと消えていく自然に連なり、生き物の気配も遠ざかった。

黒い獣の怒りに触れぬよう、早く、早くと声が聞こえる。

いつか見た海の波が引いていくように薄れていく雑音に、もう一度低く呻った。



「ぐぅるあああ!ウぁあガぁ!!」



全身の身体のバネと使い、痩せた木を倒していく。爪で、牙で、時には体当たりをして、文字通り木っ端微塵にした。

小枝一つでも存在が許せず、砂になるまですり潰す。

前足をぐりぐりと力を入れて動かすにつれ、地面に大きなヒビが入った。

それすら気に入らずに更に力を篭めたなら、どこりと鈍い音を響かせ、底が見えないほど地面が断裂される。

その拍子に飛んできた石礫が目に辺り、ぐっと苛立ちを堪えた。







『・・・"秀介"、私を忘れたの?』



見たこともない、軟弱そうな生き物は、最強の獣を前に少しも怯まなかった。

むしろ嬉しそうに、求めていた誰かを見つけたように、花開くような笑顔を浮かべる。こんな顔を自分に向けられたことはない。

獣人同士の交流を遠くから眺めているときだけ、その表情は見ることが出来た。

だからこそ、無防備に微笑んで手を広げる『それ』に、警戒心が増した。



『そっか・・・そうだね、───うん、そうだよね』




諦めを含んだ、どこか納得していた声。

滑らかな白い肌と華奢な身体つきを持つ『それ』の、腰まで届く癖の強い髪は、以前何処かの遺跡で見つけた黄金を、暗闇の中で見たときと同じ色をしていた。

その両目は随分長い間狩りを続けた獣でも見たこともない色彩をしている。

上等な赤い石を月に照らしたときのような、深くて暗い輝きを持つ目と、海の色をそのまま移し変えたような蒼の瞳。

その目に違和感を抱きつつも、視線が絡むと居た堪れない気持ちになった。



『でも、いいや。忘れられてたって、もう一度覚えてもらえばいいだけだし』

『ちゃんと会えたし、"秀介"が五体満足だって確認できたし、それでいいや』



黒い獣の目を見て気の抜けた笑顔を浮かべた『それ』は、『秀介』と聞きなれぬ単語を呼んで眉根を下げた。

獣を見詰める瞳には、様々な感情が入っている。哀しみ、苦しみ、後悔、哀切、他にも色々と重なって、その一番上にあるのは歓喜だった。

獣を見て、『それ』は歓喜した。

何を言っているなど理解できない。こちらの世界の言葉を知る術を『自分』は持ってない。

『お前ら』と違って便利機能はないんだと訴えたくなるが、何故こんなこと伝えたいと思うのか理解できない。


わからない、わからないと警戒を続けながら戸惑う獣に、『それ』は一歩歩を進めた。

そうしてへらりと、気の抜けた笑顔を向ける。

なにやら独り言を繰り返したが、どうやら頭の整理は終わったらしい。



『久し振りだね。ううん、初めましてのほうがいいのかな?私の名前は"今岡凪"。"秀介"の・・・あなたの前世とは幼馴染だったんだ』

『今のあなたとは、黒髪黒目なとこしか共通点はないかな。"秀介"は人間だったから、長い尻尾も尖った三角の耳も鋭い牙も強固な爪もなかったしね』



生物としては極めて虚弱そうな『それ』は、獣に向かい『秀介』について語りだした。

『それ』の名前は『凪』で、自分の前世とやらを知っているらしい。

理論的に成り立たない極めて愚かな妄言だ。

もし自分が『秀介』であったなら、どうして一人で1000年の時間を過ごしていた。前世といったが、自分はそんなもの覚えていない。覚えていないなら、今の自分の主は自分だ。

幼馴染だと語られても、そもそも獣は生まれたときからずっと一人だった。

時折顔見世に来る白い生き物。あれを除けば定期的に顔を合わせる関係の者はいないし、それ以前に同じ地域に長くは留まらない。

そんな自分の幼馴染など、いるはずがない・


『凪』の言葉に不満を訴えながら、舌を伸ばして口を舐め取る。


知らないはずだ。理性は知らない、どうでもいい相手だと告げている。

それなのに、最強の獣である自分の前に暢気な『凪』を見ても、すぐに片付けようと思えない。

不思議だ、理解できないと苛立つが。傷つけたいとは思えない。

どうしてだろう。これだけ自分の試みだす存在など、不要のはずなのに。

目の前で無防備に笑っている『凪』は、どこか胸の奥深い部分を刺激した。

違和感にまた苛立ち、低い声で呻りをあげる。じょぞりと土を抉って見せたが、『凪』は恐れるでもなくこちらを見ていた。



わからない、わからない、わからない。

この存在が、獣を見て微笑む理由が判らない。

この存在が、近くにいるだけで安堵する想いの揺れがわからない。

この存在を、自分が殺せない理由が判らない。

この存在に、触れたいという感情がわからない


わかりたい。否、わかりたくない。

憎いんだ。自分を変える切っ掛けを作った『あれ』が、憎いんだ。追わなければ悠久のときを過ごさなくてすんだ。一人で生きる1000年の長さは、相棒の言葉通りに『狂う』には十分だった。

大切なんだ。傷つけようとする己からも護りたいと願うほど、ただ大切なんだ。彼女を護るために力を得て、狂ってもいいから傍にいたかった。


何もかも理解できない。

理解できないのか、したくないのか、それすらもわからない。



「っ」



近づいていた気配に、勢い良く顔を上げる。

いつの間にか目の前の存在に気を許していたらしく、周囲への警戒を怠っていた。

悔しくて再び上体を下げて犬歯をむき出しにして恫喝する。


茂みから現れた慢心相違の龍と、小柄な狼はびくりと身体を震わせた。




「───っ、お嬢!」

「ラルゴ!?」



龍が『凪』を呼び、呼び声に答えた。

その様子を見た瞬間、カッと頭に血が上る。


奪われる。


今までで一番激しい憤怒に、血管を伝う血が沸騰したかと思った。




自分から離れていく姿を見送り、高く一度だけ啼く。

出現した竜巻を、半回転の竜巻で相殺しつつ、風の力を利用して空高く飛び上がった。

落ちる前に隠していた翼を開き、滑空する。

今しがたまでいた森を眺め、遠ざかる姿を空から追った。


『あれ』は自分の獲物だ。

自分が満足するまで傍に居なければいけない、自分のものだ。


今は一度許してやるが、次に見えたときには必ず捉えて違和感を払拭する。

そう心に決めて、自分と繋がる不可思議な白い糸を『指』で爪弾くと小さく笑った。

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