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13:人生はプラスマイナスゼロ その6

ガーヴに指定された木の下で、膝を抱えて縮こまる。

騒々しい彼がいなくなり、足を止めたことで、周りの音が益々大きくなった気がした。


鳥の鳴き声。虫の羽音。風で葉っぱが擦れる音や、何らかの動物の呻り声。

そのほとんどが凪にとって歓迎すべきものじゃなく、ウィルの加護があるのを理解しつつも、身体は自然とどんどんと小さく丸まっていく。

見た目は白虎でも、爪も牙もない凪は、所詮は虚弱な『人間』だ。

この世界の獣人たちと、存在そのものから一線を画す。


考えてみれば、この世界の『人』は、地球の人間よりも余程は身体的発達をしている。

種族によるが、そのほとんど全てが元の動物の特徴を受け継ぎ、大なり小なりの能力を得ていた。

庇護対象にしか見えない、子鼠たちだってそうだ。凪より余程優れている。

彼女たちの能力はその嗅覚と聴覚。他の種族に比べてどうなのか知らないが、少なくとも凪との差は大きかった。

別に夜行性ではなかったが夜目も利いたし、微妙に前歯も伸びが早く鋭く、挙げれば幾つも違いが出てきた。


地球でも武器がなければ『人間』はほとんどの野生動物に対して無力だ。

動物園で飼育されている動物が相手でも、彼らが本気で襲う気があれば抵抗の手段もないだろう。

身体能力を犠牲にして知恵や知識を発展させたのが『人間』なら、『人間』と同じように知恵や知識が発達し、尚且つ『獣』の能力を持つ彼らは、一体何を犠牲にしたのか。

考えてみたがそんなことは神様しかわからないし、肝心の神様に聞けば教えてくれるかもしれないが、そこまで強い興味も関心もない。

言うなれば単なる暇つぶしの考察だ。生きていく上で今のところ必要性も感じないので、生命の神秘への探求をする気もなかった。

ただ、何かを考えていなければ、不安だった。


膝を抱えたまま首を上げれば、うっそうと茂る枝の隙間から太陽の木漏れ日が差している。

原生林は必要な分の日差しを適量自然に与えるというが、青々と地面から伸びる植物を見れば納得できた。

太陽はほとんど動いておらず、ガーウが走り去ってからそれほど長時間経過してないと推測する。

時間にすればほんの十分程度かもしれないけれど、一時間以上にも匹敵する心持ちだった。



「・・・桜子、秀介」



沈んだとき心に浮かぶのは、いつだって一緒にいた幼馴染たちの顔だ。

彼らは、いついかなる場でも、絶対的に凪の味方だった。

世界の誰が敵に回っても、最後まで一緒にいてくれると、平和な日本でも確信できる信頼している大切な二人。

ほんの一月ほど前までは毎日軽口を叩きながら一緒にいたのに、こんなに長い間顔を合わせないのは物心ついてから初めてだ。

白いブラウスの胸の部分を、皺になるのも構わずにぎゅっと強く握り締める。


元の世界に未練なんかない。

あちらの世界に二人がいないなら、凪にとって意味はない。

どんな世界でも彼らがいれば、心が折れることはない。

それくらい、凪にとって秀介と桜子は特別だった。



「・・・・・・」



唇を噛み締めて俯く。

いつもはラルゴがいてくれるから、この感情に見て見ぬふりができた。

何も気づかない顔をして、再会できるいつかを心待ちにしながら毎日を送れた。

豪放で明るく元気な龍は、実に巧みに凪の心の曇りを晴らしてくれていたのだと、今更ながらに気がついてしまう。

心が落ち込み、闇に沈む直前に、彼は必ず手を差し伸べてくれていた。

たった一時間にも満たない時間を一人きりで放置されただけで、疼く感情に眉根を寄せた。


この感情は、覚えがある。

ずっと昔、まだ凪の年齢が一桁だったときに味わっていた想い。

数年間の間付き合いがなかったので、名称すら忘れ去っていたそれの名前を思い出した。



「桜子・・・秀介・・・寂しいよ」



意識する前に、言葉がぽろりと零れ落ちる。

必死に見ないふりをしていても、少しずつ、我慢は塵のように積もって、いつしか大きな山を築いていた。


彼らがいなくても世界は回る。

朝になれば太陽が昇り、夜になれば月が輝く。

星は満点の空を彩り、雲は悠々と風に乗る。

凪の隣に二人がいなくても、時間は止まったりしない。どれだけ願っても、留めることなんて出来ない。それが出来るなら、昔にその力を使っている。

自分にとってどれだけ大事な人が居なくても、世界は残酷なまでに何も変わらない。変わってなんか、くれないのだ。


太陽は輝きを失ったりしない。月は相変わらず空の上にある。

星は瞬きを止めないし、相変わらず雲は心地よさげに流れていく。

何をどれだけもどかしく思っても、変わらない日常が悔しくても、空は相変わらず青いし、風だって吹く。

それくらい、いやというほど知っていた。

───そして同時に、確かに変わるものもあるのだということも、いやというほど知っている。



「何が起きても、世界はやっぱり変わらない。・・・それでもやっぱり、変わるんだよ、秀介、桜子」



囁く声は掠れている。

胸を何かが圧迫し、息をするのすら辛かった。渦巻く感情は出口を探してとぐろを巻くのに、その発露の方法を凪は持ってない。

どうでもいいときは叫べるのに、生理的な涙は流せるのに、必要とするときに、その手段を使えなかった。


二人がいなくても世界は変わらない。

そしてどうしようもなく変わる。

心が欠けたような、胸にぽっかりと穴が開いたような空虚な感覚。

彼らがいないと本当の意味で自覚すれば、凪の世界は彩を失う。

太陽も月も、空も雲も、風も星も、何もかもが変わらなかったとしても、『世界を美しい』と感じる心は閉じ込められる。


壁に囲まれた小さな世界。

遮蔽物を通してしか差し込まない光。

自由に動けぬように足かせが付けられて、言葉を交す相手もいない。

凪の世界は、凪を必要としてくれない。



「どうして、傍に居ないんだろう。私たちはずっと一緒だって、約束したのに」



ぽつり、と疑問が浮上して、勝手に口が動いていた。

虚ろになり始めた瞳。正面を向いていても、最早視界には森は映っていない。

ただ、二人が恋しくて、傍にない温もりを返して欲しかった。



「桜子・・・秀介」



膝を抱える腕に力を篭める。強く、強く、自分が持てる全ての力を。

そうでなければ自分がどこにいるのかも、今の状況すらも忘れてしまいそうで、頭の隅に残る残像がそれを許せなかった。



「・・・ラルゴ」



この世界で、全てを理解しながら、リスクを抱えながらも厄介ごとを引き受けてくれたお人好しの『龍の人』。

大雑把で、デリカシーがなくて、厳つい顔が恐くって、けど良く見てみれば端整な面立ちをしてる、面白くて強い獣人。

彼の無事を確認しない限り、凪は自分の世界に逃げることを許せない。

たとえどれだけ心が啼いていても、歎いていたとしても、何もかも捨てた逃避は、誠意を持って心を与えてくれたラルゴに対する、最高の裏切りだ。


今は好意で動いてくれたガーヴを信じ、戻ってくるラルゴの無事を信じるだけだ。

そこまで頭が回るようになり、ふらりと地面から立ち上がる。彼らが持ってくる前に腕に巻いていた裾を細かく破き、出来た束の一本一本を細かく捩って繋げていく。

両腕とも同じように裂いたので袖がノースリーブになり、湿った空気が素肌に触れた。

包帯には程遠くても、何もないよりマシだと思いたい。


土を付けて汚さないよう注意しながら作業を続けていると、不意に空気が変わった。

気配など読めない凪なのに、何かが違うと本能が警報を鳴らす。

俯けていた顔を上げて、一方に視線を向けた。


───呼ばれた気がした。

とても、とても懐かしい、心が望んでいる声で。


高鳴る心臓を押さえて、思わず腰を持ち上げる。

乾く瞳を潤すために忙しなく瞬きを繰り返し、腰ほどまでの丈の草が連なる茂みをじっと見詰めた。

やがてかさかさと葉の擦れる音を立て、のっそりとした姿が現れる。


今まで見たこともないような、真っ黒な生き物。

顔は狼のように獰猛で、瞳の色も混じりけない闇色。しなやかな身体は背中の部分を覆う毛だけが長く、他はライオンのように短毛だ。

尻尾は虎とよく似ていて、しゅっと長く先が丸っこい。大きな体躯を支える四本の足も、太くて大きい。

威嚇のために歪められた口からは鋭い犬歯が覗き、だらだらとよだれが伝っている。凪の指よりも太い頑強な爪が地面を抉った。


血走った目は明らかに怒りに満ちていて、普段の凪なら色を失くして怯えただろう。

けど、その生き物を前にして、凪はほっと顔を綻ばせた。

どれだけ姿を違えても、魂の繋がりがある限り、凪が『彼』を間違えるはずはない。


確信のない想いを抱いたわけじゃない。奇跡を信じるには、凪は小心者過ぎる。

だからこそ『自分の命』を決定的な繋がりとして持っているのだ。


ウルウルウルと喉を呻らせ上体を低くした『彼』に、いつもと同じ笑顔を向けた。

『彼』と桜子専用の、感情を隠さない、満開の笑顔。


受け入れるようにそっと両腕を開く。

近づく距離に、危機感よりも歓喜が沸いた。



「・・・『秀介』」



抑えきれない苛立ちを抱えているように見えた獣が、ぴくりと尖った耳を揺らした。

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