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13:人生はプラスマイナスゼロ その3

「さあ、朝食の準備が出来たぞ!たんと食え、お嬢!」



あちこちに痣が出来、唇や頬を腫れあがらせ、お化け屋敷のスタッフのような顔になったラルゴは、恐らく笑顔だろう表情を浮かべながら持っていた串を差し出した。

旅慣れした彼は、落ちていた枝を持っていた武器の斧みたいな部分で器用に削り、集めた食材を焼いて食べ頃になったのを確認したりと、雛鳥の世話をする母鳥のように甲斐甲斐しい。

朝のスキンシップで肉体的ダメージをより蓄積させた割に、いつもと同じくらい元気だ。

昨日の夜は寝てしまったのでどれだけ激しいスキンシップが成されたかわからなかったが、目覚めの一戦を見てその激しさにドン引きしていた凪は、戦闘中とはうって変わり朗らかな笑顔でいるラルゴの切り替えの早さに感心する。


彼との距離が近づくにつれ、むわりとした生臭い薫りが漂ってくる。

ラルゴは全裸にマントだけだし、凪は軽装だが辛うじて衣服は身につけているものの、持ち物は財布のみだ。

こんな密林の中で傷薬もなく手当ても出来ないとなれば、傷口が膿んで病気になるかもしれないと、そこらの茂みから薬草と称した草を無造作に落ちていた石ですりつぶして酷いところには塗布していた。

石についた汚れとかは落とさなくていいのかと思ったが、ラルゴがいいというならいいのだろう。

しかしながら生臭さはどうにもならない。さっき後ろを向いてマントの中にも塗りたくっていた。食欲を損なう臭いだが、嗅覚が鈍いのか全く平然としたものだ。

差し出された目の前の『食べ物』にもともと食欲をそそられなかっただけに、じんわりと眉間に皺が寄る。



「どうした、お嬢。食わないのか?美味いもん好きだろ?・・・ああ、そうか。いつもみたいに一口ずつ楽しみたいんだな?」

「・・・・・・」

「それならそうと早く言えよ。そんじゃ、焼けたのからそっち置くから、食ったら俺にくれ」

「っ」



あっけらかんと告げられた言葉の破壊力に、喉を押さえて息を呑んだ。

確かにさっきまでお腹は空いていた。『空いていた』のだ。

現在はもう空いていない。気は心と言うけれど、まさしくその通りだ。

風邪を引いて寝込んでも滅多に失せない食欲が失せたのは、差し出された食材が原因だった。


全てを用意してもらった上でけちをつけるのはおこがましいと自覚しているが、串に刺さった『それ』を食べるには、ついこの間まで現代日本で生きてきた凪には辛すぎる。

ふっくらと膨らんだ胴体は黒と黄色の二色構成で、丸っこくて小さな頭にはオレンジ色の目が九つついる。

間接が二つの長い手足は八本あって、先に行くにつれて細くてスタイリッシュに纏まっていた。

地球でも見たことがある、凪が苦手としている生物にとても似ている。


だらだらと冷や汗を流して動けずに居ると、小首を傾げたラルゴは、さらりと足を一本捥いで差し出した。

その瞬間我慢は限界に達し、今までの人生で間違いなく最速の動きを更新して、隣に座っていたウィルの背後に隠れる。

無理だ。無理無理、今は無理。極限状態に飢えが募らなければ、あの食材は口に入れられない。

ひょいと差し出された『足』は、避ける間もなく触れそうなほどの至近距離まで近づいていた。

おかげさまで見たくもないのに、細い足に細々と生えている毛が意外と柔らかそうだと気づいてしまい、肌が粟立つ感覚が全身を走り抜ける。



「よ、世の中には!!」

「あ?」

「足が多い生き物が駄目な人間と、足が全くない生き物が駄目な人間が居るといいます!ちなみに私は前者です!」

「・・・はぁ」

「羽がある虫と、一センチ以内の虫と、足が多い虫は駄目!無理!気持ち悪い!ラルゴが食べるのは自由だけど、私に勧めるのはやめて!極限まで飢餓感が達すれば理性を押し退けて本能が勝つだろうけど、今はすきっ腹より理性が勝ってる!本当に勘弁して、お願い!」



大きな背中に隠れるよう、地面に顔を伏せる。整理的な恐怖でいつもの淡々とした口調も保ってなかった。

勢いがつきすぎて額に衝撃が走ったが、そんなこと構ってられない。

瞼の裏に焼きついたスプラッタな光景を忘れるため、一の段から九九を唱えた。

伸びた髪に草や木が絡みついて、癖毛がえらいことになっているが、嘆くのは後でも出来る。

それよりも今夜の安眠のためにも、夢に出てきそうな『食事』を忘れなければと、必死になった。

地震に遭遇した小さな子供みたいに、頭に手を当てて震えていると、暖かな何かに持ち上げられる。

何事かとそのままの姿勢で硬直していると、猫の子のように両脇に手を差し入れられた。



「よしよし、凪。恐かったな」

「・・・ウィル」

「空腹を忘れると食事の楽しみがなくなると思ったが、どうやらそれも考えものだな。食べるのが好きなのは知ってるが、街中ならともかく、こんな森の中だとお前好みの食料は果物くらいしかない」

「果物で結構です。我侭は言いません。むしろ、果物がいいです」

「だろうな。普通は気を利かせて果物取って来るとこだと俺も思うぜ。ったく、駄龍はこれだから駄目なんだ」

「何だよ!お嬢は食に関しては意外に冒険家だから珍味を食わせてやろうとしたんだろうが!この蜘蛛は見た目はあれだけど、食ってみたら鶏肉みたいで美味いんだぞ!ついでにあっちの芋虫はクリームみたいだし、蟻はピーナツみたいな味がする!」

「──────っ!」



叫ぶラルゴの声を聞くまいと、必死に耳を押さえて蹲る。

あんな言葉を聞いてしまえば、この先鶏肉も食べれなくなるし、デザートにクリームは付けれないし、ピーナッツは見ただけで鳥肌が立つだろう。

いくら美味しくても、いくら食に関して好奇心があるとしても、そこまで冒険は出来ない。

多くの日本人女子高生がそうであるように、凪には虫を食べる食文化がなかった。

テレビでお笑い芸人が泣きながら食べてるのを見て、一緒に悲鳴を上げるのが凪のスタンスだ。きっと桜子も無理だろう。

食べれるとしたら、大振りな性格をしている秀介くらいだ。見た目同様肝が据わってる彼なら、好奇心のままに口にしていると思う。

事実子供の頃に隣の家のペットの餌を食べていた。

ドックフードは不味いらしいが猫缶は予想外に美味だったらしく、暫く猫の餌を取り続け、彼の母親に本気で怒鳴られていたのは懐かしい過去だ。

ともかく、凪は秀介ほど度胸がない。好奇心だけで進むには、『虫』は厳しい相手だった。



「お前はもう黙ってろ、駄龍」

「う・・・わ!?」



凪を片手に座らせたウィルは、指先をひょいと一振りすると、両手に虫が刺さった串を持っていたラルゴを吹っ飛ばした。

今回は補正を掛けていなかったらしく、ぶつかっても木の葉一枚落とさなかった木を何本もへし折りながら、遠く遠くに行ってしまう。

ぱちぱちと焚き火が爆ぜる音を聞きながら、思わず片手を伸ばしたものの、当たり前に届くはずがない。

やがてドォンと地面を揺るがすような轟音が響き、ぽかんと口を開けた。



「ちょ、ウィル!?ラルゴ、生きてますか!?」

「大丈夫だ。龍は丈夫だからな。骨の数本くらいいってるかも知れないが、命に別状はない」

「命に別状なくても、骨が折れてるなら大丈夫じゃないでしょうが!助けに行かなきゃ」



自分を抱きかかえる腕の中から降りようと、必死にもがく。

確かにラルゴは色々と飛びぬけているが、この世界で唯一信頼する獣人だ。

単なる雇い主として以上に、心を砕いて護ってくれているラルゴが傷ついているのを、放っておくのは流石に無理だ。

骨折した相手に何が出来るかわからないが、身体を起こす手助けくらいは出来るだろう。

早く行かなくてはと急く心のままに足掻くのに反し、空いていたもう片方の腕を回したウィルは、どかりとその場に座り込んだ。



「ウィル!放してください」

「・・・嫌だ」

「ラルゴが怪我をしているんですよ?痣や打ち身くらいならもう戻ってきてるはずですし、動けないくらい重症か、もしかしたら動けない状態になっているかもしれないんです。早く助けに行かないと」

「凪は、俺の愛し子だろ?」

「え?」



焦って普段より語句が荒くなる凪に、むっと唇を尖らせた神様は、お気に入りの人形を抱きしめる子供みたいにして背を丸くした。

見上げればすぐに宝石よりも綺麗な赤い瞳がある場所で、拗ねている相手に呆れ返る。

本当にウィルはどうしようもない。反則的な力を持つ神様なのに、興味や関心がある相手以外には子供みたいに無邪気に残酷さを示す。

彼にとって、ラルゴの存在は本当に軽い。いや、きっと凪以外にはこの世界の誰に対してもそうなのだろう。

一々ここまで重たい愛情を一人一人に与えていては、いかな神様でも心が枯渇しそうだ。

神様に心があるなんてウィルと知り合うまで知らなかったが、知ってしまったからにはどうにも放っておけなかった。

見た目は美麗な青年で、半端なく年を経た神様。

凪からは想像もつかないような色々を経験してるだろうに、幼い心を持っているウィルは、悪意がないだけに手を振りほどくのが難しい。


傷ついたラルゴの傍に行かせたくなくて束縛するのは、子供じみた焼もちだ。

本人が理解してるかどうかは別として、母親を独占したがる子供みたいに束縛したがる。

剣呑に瞳を眇めて睨むウィルに嘆息し、腕に手を添えてゆっくりと力を篭めた。



「・・・確かに私はあなたの愛し子なのでしょうが、全てを束縛される気はありませんし、その義務もありません」

「神様の俺に逆らうのか?」

「逆らいます。納得できません。・・・ラルゴは私の保護者で護衛です。彼がいなければ、今の私はこの世界で生きるのはとても難しい。ラルゴは理解者です」

「俺がいるだろ?あいつがいなくても、俺が護ってやる」

「・・・閉じ込められるのを望んでいません。こちらの世界に移動させられるのは了承しましたが、あなたに鎖をつけられるのは了承してません。神の愛し子と呼ばれようと、私は私の意思で動きます」

「・・・チッ」



ひたりと至近距離にある目を見据えて告げると、酷く苛立たしげに顔を歪めたウィルは、舌打ちして姿を消した。

背中を支える感触がなくなり、地面にぼとりと落とされる。

彼が土の上に直に座っていてくれたお陰で衝撃は少なかったが、これが立っていたらお尻に痣が出来てただろう。



「・・・ちょっと無責任すぎない?護衛を吹っ飛ばして放置プレイとか、冗談じゃなく死活問題だけど」



一人きりになった森の中、鳥の鳴き声を聞きつつ空を見上げる。

先ほどまで長閑に響いていたような気がしていたが、本当に気のせいだったらしい。

獣が火を苦手にするという法則は、こちらの世界でも通じるだろうか。

串に刺さった虫を視界に入れないように極力顔を逸らしつつ、拾った小枝をどんどんと継ぎ足した。

動き回ってもきっと迷子になるだけだし、一人でラルゴのいる場所まで辿り着く自信はない。

トラブルに巻き込まれればその分彼の足手纏いに鳴るし、それならこの場で帰りを待とうとなるべく小さくなって体育座りをする。

一人静かに揺れる炎を眺めていたら、なんだか心までしんみりしてきた。

無言で只管手を動かしていると、不意に近くの茂みががさがさと揺れる。


ぱっと顔を上げて立ち上がった。

少しばかり時間は掛かったが、やっと帰ってきてくれたらしい。

怪我のほどはどうだろうとか、身体の一部は捥げていないかと考えつつ、無防備に音がした茂みに駆け寄った。

それなのに。



「・・・お前、誰だ?」



ひょこりと顔を現したのは、銀色に近い灰色の髪を左右非対称に分けた、凪と同世代に見える少年だった。

生えた耳はつんと空を向いていて、ふさふさの尻尾がぱたぱたと揺れている。

好奇心旺盛に琥珀色の瞳を輝かせた彼を見て種族を判別すべく意識を集中させると、はじき出された答えに頭がくらりとした。

にかっとガキ大将そのもののどこか幼い笑みを浮かべた彼は、日本ではほぼ愛玩動物になっている『犬』と、似て非なる存在の『狼』だった。

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