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番外【あの日の空は青かった】

いつも一緒に家路に着く大切な幼馴染は、その日に限って秀介と一緒に帰るから先に帰れと桜子に言った。

限りなく金に近い薄茶色の、ふわふわとしたひよこを思い出させる癖毛を揺らした凪の言葉に、疑問よりも先に苛立ちを感じた。

空手を習っている秀介だが、学校ではサッカー部に入っている。

今もグランドの外から練習する声が響き、彼の家で共に暮らす凪が一緒に帰っても不思議じゃない。

それでも毎日手を繋いで帰るのが日々の幸せの一部なのに、とまろい頬を膨らませた。



「どうしてだ、凪。理由を教えてくれ」

「───今日は、秀介と一緒に帰りたいの」

「何故だ。私が何かしたか?」

「してない。でも今日は桜子と一緒に帰らない」



桜子が大好きな、海よりも深い蒼い瞳を真っ直ぐに向けて、淡々と告げた。

小学校の中でも一番と名高い、外国の人形みたいな端整な顔には感情が浮かんでいない。

日頃から幼馴染にしか読み取れないほど薄いのだが、今日はあえて消しているかのようだった。


二人きりの教室で、隣の席に座っていて、これだけ近い場所に居るのに、腕が届く範囲の彼女がとても遠い。

掛け替えがない相手だからこそそれが悔しくて、今まではこんなことなかったのにと唇を噛み締める。



「凪は、私が嫌いになったのか?だからそうやって言うんだな?」

「桜子」

「もういい!凪なんて、知らない!」



自分に残る精一杯の矜持を篭めて、目の前に立つ少女を睨み付ける。

視界が微かに潤んでいても、叫んだ声が震えていても、それが桜子に出来る精一杯だった。

ずっと隣に居た幼馴染の裏切りに、悔しくて悲しくて仕方なかった。

窓から差し込む太陽が、教室の中を照らし出す。

こちらを見詰める凪の瞳が悲しげに眇められたなんて、そんなの気のせいだと逃げるように全力で駆けた。





「桜子」



静かな自室に響いた声に、ぴくりとも動かず姿勢を維持する。

正座したまま机の上に教科書を広げて翌日の課題をしていた桜子は、普段から鬱陶しい兄を完全に無視した。

上に兄二人がいる末っ子の桜子は、何かというと構ってくる彼らが苦手だ。

無道の修練中は流石に厳しい表情をしているが、終わればでれでれに甘ったるい表情で近づいてくる。

傷の一つ一つを丁寧に手当して、膿むからと風呂まで一緒に入ろうとするし、凪が遊びに来てる間は彼女も思い切り構い倒す。

若武者のように凛々しい顔立ちをしているのに、精悍な雰囲気と違い、二人とも可愛いものが好きだった。



「・・・秀介がお前に会いに来た」

「秀介が?」



幼馴染の名前に、思わず振り返ってしまい眉間に皺を寄せる。

いつもは仲がいい気のけない相棒兼幼馴染だが、今は名前を聞くのも嫌だった。

桜子と秀介は、凪を間に挟んだライバルだ。ずっと、それこそ物心がついた頃から、ずっと。



「会いたくない」

「・・・悪いがもう上がってる」

「兄様!」

「秀頼を責めるな、桜子。俺が強引に頼んだんだ」

「・・・貴様に呼び捨てにされる謂れはない。呼びなおせ」

「っ、それどころじゃないっつうのに!!頭離せよ、痛い!」



秀介は小学六年生にしては体格はいいが、高校生の兄には敵わない。

頭をアイアンクローの要領で締め付けられ、必死に手足をバタつかせ抵抗していた。

いつもどおりの光景だが、少しだけ違和感を感じて眉を上げる。


空けられた襖の向こうは、もう真っ暗だ。星が輝き、月が煌々と光を放っている。

時計を確認したら、時刻はもう九時を回っていて、この時間帯に秀介が一人で高屋敷家に来るなら、回覧板か旅行帰りにお土産を持ってくる程度なのに、玄関だけでなく桜子の部屋まで上がりこんでいる。

しかも普段は彼を警戒して妹の自室まで上げようとしない、兄を押し通して、だ。


嫌な予感がして、衣ずれの音をさせずに立ち上がった。

普段着にしている着物の裾を捌き、彼の前に立つ。



「・・・何があった」

「凪が喧嘩した」

「喧嘩?あの凪が?」



思わず口をついた疑問は、凪を少しでも知っていたら、誰もが持つ疑問のはずだ。

何しろ彼女は基本的に他人と関わらないし、その容姿から憧れるものは後を絶たないが、喧嘩をしかけるほど嫌われていない。

むしろ一種独特の空気から遠巻きにされていて、誰とでも話すが誰とも距離が近くない。

桜子と秀介以外には気軽に声を掛けてくる相手が居ないし、本人もそれを苦にしていない。それがマイペースな今岡凪という少女だ。

幼馴染の二人が運動神経抜群で武道の心得があるのに対して、凪自身は勉強は出来ても壊滅的なほど運動音痴。

さらに極めつけの平和主義で、喧嘩をするところなんて見たこともない。

その凪が喧嘩など。



「怪我は!?大丈夫なのか!?」

「顔に青痣、膝は擦り切れてるし、母さんの話だと服の下にも痣や擦り傷があるらしい。全部軽症だけど、あいつ肌が白いから、一つ一つが目立つんだ。多分、明日は学校で注目される」

「───っ」



驚きと後悔が心を埋め尽くす。

今日、一緒に帰らないという凪を無視して連れ帰っていれば、凪は怪我をしなかったかもしれないのに。

あの白い肌に傷が出来たと考えるだけで心が痛み、守れなかった悔しさが全身を侵食した。

着物の裾を捲って走り出そうとした桜子は、すれ違いざま秀介に腕を掴まれてバランスを崩す。

こける寸前に兄に支えられ、ぎろりと掌握の根源を睨み付けた。



「何をする!」

「お前は!お前は、何も知らないふりをしろ」

「どうしてだ!私も凪を心配する権利がある!」

「凪はお前のために喧嘩したんだよ!」

「・・・なん、だと?」



こちらを射抜く秀介の眼光の強さに、こくりと息を飲み込んだ。

言われた意味が理解できない。

何故なら桜子は凪に守ってもらわねばならないほど弱くはなく、むしろ同級生の男子と喧嘩しても十中八九勝つほど強い。

実家が武芸を修める系譜だったので当たり前に子供の頃から鍛錬しているし、凪だってそれを知っている。



「お前この間隣のクラスの男子ふって、そいつの彼女だったって女子に因縁つけられてたんだって?そっからノートに落書きされたり、靴を隠されたり、女子にハブにされてたって聞いてる」

「・・・だが私はそれが気にならなかった。だから放置していたんだ。いざとなれば対処するだけの実力は持っている」

「それくらい俺だって知ってるよ。勿論、凪もだ」

「それなら」

「それでも我慢できないから、動いたんだろうが。俺だって知ってれば動いてた。男子には気づかれないようにやってたから、俺は気づけなかったけどな」



苦々しい表情で呟いた秀介に、桜子を支えていた兄の身体がぴくりと跳ねる。

家族にも相談していなかったので、初めて知る事実に衝撃を受けたのだろう。

眇められた瞳が剣呑な怒りを湛えて、桜子とそっくりな秀麗な顔立ちが歪んでいた。

もう一人の妹として可愛がる凪が、不条理な理由で怪我をさせられたのも理由の一旦としてげられるはずだ。

桜子も酷く腹が立っている。

いつでも対処できるからと放置していた自分自身に、凪を傷つけただろう少女たちに。



「これも今まで粘って粘ってなんとか聞きだしたんだ。あいつ、弱いくせに変に頑固だから、苦労した」

「私は凪を傷つけられて知らぬふりは出来ない」

「そんならちゃんとケリをつけて、その後仲直りしてやれ。どっちかって言うと、お前と喧嘩したことに凹んでるんだあいつ。どうやって仲直りするか、寝るまでずっと悩んでた」

「・・・わかった。私なりにケジメをつけた上で、仲直りする。凪と喧嘩するのなんて数年ぶりで、ちょっとだけ緊張するがな」



苦笑した桜子に、秀介もようやくいつもどおりの笑顔を見せた。

そうして手に持っていた紙をぐっと押し付ける。

掌サイズのそれに書かれた名前に、こくりと一つ頷いた。

誰も彼も見覚えがある相手ばかりだ。最近桜子に因縁をつけ、下らぬ噂をばら撒いていた主犯格の少女たち。

どうやったのか知らないが、秀介は凪を傷つけた相手を洗い出していたらしい。

その場に居れば女相手でも手を上げていただろうから現行犯で見たわけじゃないが、勉強は出来なくても相変わらず立ち回りが上手い男だ。


握った紙をくしゃりと潰す。

自分だけならともかく、凪に手を出したことは絶対に後悔させてやる。

そもそもこの少女たちとのやり取りがなければ、自分は今日も彼女と一緒に家路についていたはずなのだ。

そう考えると理不尽な苛立ちがどんどんと湧き上がり、不敵な笑みが顔に浮かんだ。



「手伝ったほうがいいか、桜子?」

「必要ない、兄様。私が凪の敵を打つ」





その後桜子に因縁をつけていた少女たちは二度と絡むことはなく、約一年後、無事に小学校を卒業することになる。

やられたことを数倍にして返した桜子の行為は中学まで語り継がれ、少し離れた場所にある高校に通うまで、男関係のトラブルは無くなった。

幼馴染の友情は深まり、二人の絆に入り込める人物はどんどんと数を減らしていく。

仲が良すぎるせいで高嶺の花と称される美少女たちは、こうして伝説を作っていった。


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