2:今岡凪という人 その3
凪は基本的に人よりも見切りをつけるのが早い。つまりとても諦めがいい性格をしている。
それは育った生活環境によるものだが、こういう場面ではある意味よかったと思う。
色々と酷いことを言われても痛みに鈍くなっている心には響かず、ただ淡々と異界の神の言葉を受け入れた。
現時点で良いことと悪いことを比較してみるが、天秤が大きく傾くことはない。
確かによく判らない異界の神に見初められ、彼の都合で世界の狭間とやらに引き込まれたし二度とあちらの世界には戻れないらしいが、とりあえず生きているし手荒なことはされていない。
しかもわざわざご丁寧に現状の報告もされ、話を聞く限り関係なさそうな親友も保護してくれていた。
凪の見た目を気に入っただけで連れ去る誘拐犯だが、安全の確保も含めここまでしてくれるなら下の下の状況よりはましと判断し、やはり普段と同じで地味に運が悪いのだろう。
説明もどきを終えたのか、今度は滔々と貶してるのか褒めているのか判断に迷う凪についての感想を語り続ける彼の言葉にひっそりと眉を寄せる。
どうやら彼は真性のロリコンではないらしく、今でも十分好みだがプラス五歳ほどが理想の姿らしい。
神さまなので未来が視える彼は、ちょいと指先を振ると勝手に凪の体を成長させる。
痛みはないがいきなり視界が上がりぱしぱしと瞬きを繰り返し、視界に映るウェーブの掛かる髪に嘆息した。
「おし、これで完璧に俺の理想だ。すごいな、手を加えずともここまで完璧なのは初めてだ」
「手を加えず、と仰ってますけど今私を成長させたのでしょう?」
「まあな。けどそれだけだ。このまま順調に育っていればお前は当然この姿になった。俺がやったのは早送りだけ。それだけでここまで完全に好みなのは初めてだ。ついでにここまでされて驚きも騒ぎもしない中身の壊れっぷりも俺好みだ」
『別にお前に好かれたくない』と喉元まで出掛かった言葉をやはり飲み下す。
正直勝手に凪を理想化する輩の数は多いのでこの手の妄言は慣れているし、実際ここまでされたのは初めてだが苦痛もなかったので気にならない。
精々生きる年数が五年ほど減っただけだ。大袈裟にするほどでもなく、どうせ元に戻れないのだろうから目の前の自称神様に気に入られてしまった運のなさでも嘆くしかないだろう。
「まあ、取り合えずだ。さっき説明したように俺の世界のバランスを取るためにお前は送る。あ、一応向こうに行くお前にプレゼントで三つばかし願いを叶えてやるから言ってみろ」
「その前に。私については理解しましたけど、桜子はどうなるんですか?」
「桜子?ってこいつか?こいつはどうすっかな。別にいらねえし」
「それだけ美少女の桜子を見ていらないと仰るんですか?」
「あー?だってこいつ俺の好みじゃねえもん」
好みじゃない。好みじゃないだけで巻き込まれた桜子をうんざりと眺める身勝手さは神様だからだろうか。
絶対的な力を持つ故に傲慢さを遺憾なく発揮する彼に瞳を細め嘆息する。
確かに桜子は凪とあらゆる意味で正反対だが、それでも美しい少女に代わりはない。
彼女に焦がれ撃沈して行った男の数を知るだけに、あっさりと言い放つ異国の神の審美眼には疑いが残りそうだった。
しかし今にも『いらねえから消すか』と照明の明かりを消すようにあっけあかんと言いそうな彼の先手を取るべく口を開く。
「私に一人で異界へ行けと言うのですか?」
「どういう意味だ?」
「知り合いがいたら、あなたの気に入った私も心が落ち着くと思いませんか?」
「お前は寂しがるようなタマじゃないだろ」
凪の言いたいことなど判っているだろうに、にいっと口の端を持ち上げた彼は意地悪く笑った。
わざとらしく『どうしたもんかなぁ』と嘯きながら顎に手を当て、いいことを考えた、と掌を打ち付ける。
どうせ碌でもないことだろうと思いつつ何ですかと問えば、爽やかな笑顔で両腕を広げた。
「抱かせろ」
「私、初めてなんですけど」
「そうじゃねえよ。それもいいけど、ここじゃあんまり時間が取れないからな。とりあえず、抱っこさせろ。それで妥協してやる」
想像よりはマシ、と言うより可愛らしい言葉に体が動く。
目の前の異国の神が油ギッシュで禿げた中年おやじなら嫌悪感も沸くだろうが、ありがたいことに神の名に恥じず目も眩むようないい男だ。
それ以前に親友の命が掛かった状況で抱っこ程度で嫌だなどと駄々を捏ねる気もない。
鍛えられた体に腕を伸ばし、手首を掴まれたかと思ったらあっという間に片腕に座る状態で抱き上げられた。
鏡がないので詳細は判らないが、どうやら凪は五年経ってもさして成長はなさそうだった。
視界は僅かばかり上がったけれど、腕の細さや歩幅に変化はそれほど無いように感じる。
胸はささやかながら膨らみが大きくなっているが、それでも精々BとCの間だろう。
異国の神とやらは華奢で小柄で長髪の女が好きらしい。
色素の薄い伸びた薄茶色の髪を指で弄り、頭の天辺に頬を摺り寄せた彼は満足そうに息を漏らした。
「お前が抗わないんで俺も気分がいい。この女は消すんじゃなくて、お前にやる」
「私にくれるのなら、桜子もあちらの世界に行くんですよね?それなら彼女にも神様のプレゼントを上げてください」
「んー・・・どうするか」
「駄目ですか?」
首を上げ、悩む彼を上目遣いで見詰める。
こてりと小首を傾げれば何がツボにはまったか理解できないがぱぁっと顔を輝かせた彼は、ぐりぐりと顔を髪に摺り寄せた。
「今の感じはいいな!」
「そうですか」
「よし、可愛いお前の頼みだ。この女の願いも叶えてやろう。ただし、こいつはお前じゃないから、叶える願いは二つだ」
「十分です。ありがとうございます」
気前のいい言葉に唇を持ち上げて微かに微笑む。
例え二つでも願いが叶うなら、桜子なら無駄に使わないだろう。二つしか、を二つもに変えるはずだ。
頷くと瞼の上に唇が触れ、そのままリップ音を立てながら顔中、唇以外にキスをされる。
見た目が美形だし神様として取引しているから許されるが、これは立派なセクハラだろう。
友達は居ても本当に親しくしているのは秀介と桜子だけの凪にとって、ここまで親密なスキンシップはほとんど経験が無い。
だが別に死ぬわけじゃないと放置していると、暫くして満足したらしい異国の神は長い息を吐き出しながら抱きしめる腕に力を篭めた。
「んー、可愛いなぁ」
「そうですか」
「おう。・・・このまま送りたくねえけど、世界が崩れる前には向こうにやらなきゃな」
「───あちらの世界で私はどういう扱いになるんでしょうか」
「扱い?」
「神子とか、勇者とか。よくファンタジー小説とかであるでしょう?何か役割が」
「ああ、そういう意味か。それならお前の役割は一般人だぞ。一応俺のお気に入りだから『神の愛し子』って呼び名はあるがそれだけだ」
「それだけ?」
「ああ。俺が気に入ったから、俺の作った世界の誰もに基本的に好意は持たれる。けどそれは別に絶対的な愛情じゃない。なんとなく好きだな、って思うだけでお前を害そうと思えば出来る程度の好意だ。勿論例外はいるだろうがな」
それはオプションにも何もならないではないか。
つまり何か。気に入られても手を出せないほど愛するとかではなく、『神の愛し子』なんて大袈裟な名の割りにオプションはないに等しいということか。
凪を気に入ったと連呼した挙句勝手にキスまでしまくっておいて、世界の人間に与えるのはちょっと気に入る程度とは、どんな影響力なのだろうか。
いまいち判断はしかねるが、よく考えれば向こうに移動する衝撃だけが必要なので、かの世界で救世主と崇めろというのは厚かましい。
凪がするのは空間移動だ。命を賭けて魔王退治をするわけでもなければ、神子になって世界の平静を保つでもない。
向こうに行った時点で役目は終えているので、妥当と言えば妥当の扱いなのだろう。
しかしこれではあちらの世界で生活の保障がないも同然だ。
難しい顔をして考え込んでいたからか、そんな顔も可愛いなと嘯いた異国の神はだらしない表情で凪の頭を撫で繰り回した。
「向こうの世界の知識はあらかじめくれてやる。文字も書けるし言葉も理解できる。金は───そうだな、二年分は困らんようにしてやろう。破格の手当てだと思わないか?」
「ありがとうございます」
「よしよし、素直に礼が言えたからおまけに屋敷と土地もくれてやろう。お前、可愛いな」
幾度も繰り返される『可愛い』の言葉に、それしか言えないのかと突っ込みたいがぐっと堪える。
お礼だけでオプションが増えるなら安いものだ。
お金や土地もありがたいが、知識はそれも勝る価値がある。
何も知らぬ世界で言葉も通じず読み書きもできずでは流石に生き抜く自信はない。
ぐりぐりと乱暴に撫でられる掌のお陰で首ががっくんがっくんと揺れて痛みを訴えるが、それでも成果を思えばよしとしよう。
「それで?叶えたい望みは決まったか?」
切れ長の瞳を細めて覗きこんできた異界の神に、顎を引いて頷いた。