12:どう考えてもついてない その5
太陽はいつの間にか完全に地平線に姿を消していた。
道の端に並んでいた露店はその三分の一ほどが閉店し、人通りも夕暮れの買い物時より減っているのが遠めに確認できる。
宿から一番近くにあった細道に入って、薄暗い通りを幾つも曲がったお陰で現在地はもうわからない。
視界に映る景色が早々と切り替わるのを眺めつつ、がっしりした身体に手を添えて短く嘆息した。
「・・・絶対そのマント脱がないでね。ひらひら靡いてるといつ落ちるか冷や汗ものだよ」
「おう、大丈夫だって。お嬢以外には見せねぇから」
凪を片腕に乗せながらも、凪より数倍軽やかに走る龍の斜めにずれた発言に、ため息は重くなった。
やはり彼は空気を読めない。こんな無神経な龍の相手を長年務めているなら、あの虎だって綺麗に性格が歪むだろう。
無駄に実力があるから余計に面倒だ。
眉間にくっきり皺を刻みこみ、瞳を半眼に眇めた凪はうんざりと首を振った。
「そうじゃないし。やっぱり捕まったほうがいいんじゃない、ラルゴ。容疑は痴漢」
「何で痴漢なんだ?」
「嫌がる相手に裸体を見せて性的興奮を得ようとしてるから」
「・・・性的興奮って、お嬢が言うと卑猥だな」
「すみませーん!どなたかいらっしゃいませんか!!?ここに卑猥な言葉で興奮してる怪しい龍が───っ」
「ま、待て、お嬢!冗談、冗談だから!もう言わないから!風魔法で音を削っちゃいるが、地獄耳のラビウスの野郎には聞こえちまうかもしれねえんだ!」
人の気配がしない通りに凪の声が響く。
しかしこの声は確かに音量が削られてるらしく、両脇の家にちらほら明かりが覗く窓があっても顔を出すものはいなかった。
微妙に景色が歪んでいる気がしていたのだが、ラルゴの移動速度が速すぎるからではなく、そういうからくりがあったのか。
整っているが強面な見た目と豪快で空気が読めない性格をしていても、やはり彼は優秀な護衛だ。
気がつけば阿呆な発言ばかりだけど、存外に繊細で気が効くし頭が回る。
色々思うところはあっても、やはり異世界第一発見者が彼でよかった。
もしこれがあの性格の歪んだ虎や鷹だったらと考えると、少々ぞっとする。
彼らの人となりはほとんど知らないが、かなり常識が偏りそうだ。
これでいてラルゴは真面目で常識人だし、多少変態的な部分があっても許容範囲内で収まっている。
自分こそ凪より遥かに大声を上げながら、一回り以上大きなかさついた掌で口を覆った男をじっと見上げた。
薄暗い通路だが今日は燦然と月が輝いてるし、時折窓から漏れる明かりで普通の『人間』並にしか夜目が利かなくても近くにある彼の顔は認識できる。
大きすぎる掌は口どころか鼻まで覆っていて呼吸が苦しかった。
いくら支えられていても移動速度が速すぎるので、しがみ付く両手の一方でも離せば確実にバランスを崩す自信がある。
さりとて声は出せない状況。
目で訴えるしかなく、じっと闇に浮かぶ猫のような金目を見詰めれば、何故か恥じらいを見せてそっと視線を逸らされた。
「・・・よせやい、そんなにじっと見詰めるの。照れるだろ」
「んー!」
「いや、お嬢に見られるのが嫌なんじゃねえけどよ。ちょっと、恥ずかしいって言うか」
「んー、んー!!」
「え?理由を聞くのか!!?そんなの、俺の口から言えねぇよ!!」
太い尻尾をゆらゆら揺らしながら意味の判らない羞恥心に悶えるラルゴに、視線がどんどん冷えていく。
自慢じゃないが肺活量も並以下だ。
酸素を欲する身体がじんわりと熱くなり、鼓動が少しずつ早まる。
彼はにやけ面で何故か会話が成り立ってる風にしているが、実際は欠片も噛み合ってない。
『手を放して!』、『息が出来ない、苦しい!』と訴えてるのに、無駄に恥らってる巨漢は鬱陶しくて仕方なかった。
先ほどから最終手段として片手を離し、必死に口を覆う手の甲に爪を立てているが、全く効いてない。
段々意識が朦朧とし始めて、感覚が鈍くなってきた。
「・・・あれ、お嬢?何でぐったりしてんだ?」
「・・・・・・」
「しまった!口どころか鼻まで覆ってたのか、俺!お嬢、大丈夫か!!?人工呼吸は必要か!!?」
漸くこちらの状態に気づいてくれたらしいラルゴが、熱いものに触れたときのように慌てて手を放す。
喘ぎ、咳き込みながら必死に酸素を吸入する凪の顔を覗きこみながらの一言に、思わず涙目で睨み付けた。
やはり人選を誤ったかもしれない。
「変態」
「・・・・・・」
「責めたのになんで赤くなるの。不気味」
「って言っても、目が潤んで月光を反射してきらきらして凄ぇ綺麗だし」
「この状況でお世辞を言っても状況は好転しないから。とりあえず明日の朝ご飯を奢ってもらわない限り許せない」
「お嬢って変なとこでちっさいよな。胃袋も身長も小さいから大して食べれないくせに」
「・・・五月蝿い」
「いつもみたいに俺の食いかけひと齧りずつでいいのか?」
「・・・今回は大きく、パンを一個要求する。窒息しかけたし」
つんと顎を反らして訴えれば、ぶはっと抑えきれない笑い声を漏らした龍は愉快そうに目を細めた。
さっき凪に大声を出すなと言っておきながら、やっぱり彼のほうが余程大きい声を出している。
「んなら、今向かってるとこは丁度いいな」
「え?」
「ゼントもラビウスもダランでの俺の行動範囲は大抵把握してやがるんだよ。そこで意表をつくなら、最近知り合ったばかりのやつのとこがいい。お嬢を恐がらせたやつがいるのは不満だが、あの二人よりはマシだろ。悪いけどちょっと我慢してくれな」
素晴らしい速度で疾走する道に見覚えはなかったが、彼が指差した先にある家には見覚えがあった。
地味にトラウマを作られてから何だかんだで足を運んでなかったそこに、自然と眉が寄る。
凪が怯えた事実に敏感に反応したラルゴが翌日から道を変えたため、その家を見るのは実に二週間ぶりだ。
避けるように───と言うより事実避けていたのに、いきなりお邪魔するのは常識外れも甚だしいのではないか。
手土産すらない掌を見詰め、頼んだとしても露店がある表通りには戻ってくれないだろうなと、三度目のため息を吐き出した。