12:どう考えてもついてない その4
ほんの僅かだけ距離を開けてこちらを見詰めるこげ茶色の瞳の虹彩が黄色いことに不意に気がつく。
ばさりと音を立てて威嚇するように開いた翼の内側は、上部は薄いグレイが混じった焦げ茶で下部に行けば白と黒の縞がある。
図鑑か何かで見たことがある柄だ。名前は出てこないけど。
そう言えば耳が見当たらないと視線を彷徨わせ、人間とほとんど変わらぬ位置に孔が開いてるのが見えた。
今更ながら先日出会った極彩色の鳥にも目で確認できる位置に耳はなかったのを思い出す。
ついでに恐ろしいウサ耳男と弁償してない机についても。
思い出したところでどうなるわけでもないのだけれど、結局凪は弁償してないがラルゴは弁償したのだろうか。
人間、焦っているとどうでもいいことが頭を巡る。
確信をつき導き出された『解答』に『是』とも『否』とも答えず、数を数えながらゆっくりと胸に溜まった息を吐き出した。
古典的だが数を数えると意外と心は落ち着く。
自分の胸の辺りを突き抜ける褐色の肌を視線で眺め、とん、と踵に力を篭めバックステップで飛び退いた。
形の良い眉がひょいと持ち上がり瞳孔が収縮する。
弱者としての本能が恐怖を訴えるが、冷静になれば逃げる必要もないと気づいていた。
「・・・黙秘を主張します」
「肯定でも否定でもなく、黙秘か?」
「はい。私の種族が何であれ、あなたの一生に支障はないでしょう?」
「いや、支障はあるな」
「・・・・・・」
咄嗟に何故と言葉が出掛かり、すんででそれを堪えた。
今それを口にしてはいけない。なけなしの第六感が大音量で警戒音を響かせている。
脳裏に点滅する赤色のサイレンを意識しつつ、もう一歩後ろに足を移動させた。
すかさず大きな手が逃さぬよう伸びてくるが、当たり前に身体をすり抜け空振りをする。
我ながら現金なことに、全ての現況でもある神様に一瞬感謝してしまった。
やはり遠くの危険より近くの危険。喉もと過ぎれば暑さ忘れるとの古人の言葉は偉大だ。
「何故、掴めぬ。文献上『神の愛し子』に触れれなかったと読んだことはないが?」
訝しげに眉間に皺を寄せた『鷹』に、そんな文献があるのかと異世界の価値観に首を傾げた。
その拍子に伸びた髪がさらりと首元を擽り右へ流れる。
ずっと短くしていたので久し振りの感触で、下ろしっぱなしは肌に擦れる感覚に違和感が沸いた。
ちなみに一度ラルゴが風呂に入ってる最中に鋏で切ろうと試してみたが、魔法のように刃は髪をすり抜けた。
意思を持って凪を傷つけようとするものの干渉は拒絶するのは嫌になるほど実感したけれど、まさか自分自身に対しても施されているとは考えなかったので、このまま髪が伸びたらどうすればいいか小一時間ほど悩み続けたのは記憶に新しい。
つまり結論として、第三者どころか凪本人からしても文字通り『神の愛し子』として凪を溺愛するウィルの加護という名の呪いの威力は、見えたとしてもそこまででそれ以上を突き崩すことは出来ないということだ。
ふむ、と実験をするように手を振りかざした『鷹』の手から、暴風が溢れ出る。
飾りとして置かれていた花の活けられた花瓶や絵画が巻き込まれ飛んでいく。
そのまま廊下の突き当りにでも当たったのか、がしゃりと砕け散る大きな音が聞こえた。
距離があるからいいものの、近かったら意思を持たない跳ねた欠片が当たって傷が出来ていたかもしれない。
そうすれば目の前の『鷹』は僅かなヒントから凪に対してどういう対応をすればいいか見出していた可能性があるので、地味に不運でもやはりラッキーだったと思うべきなのだろう。
「・・・魔法も通じぬか。ならばこれはどうだ?」
ぐっと周囲の空気の圧が変わった気がした。
何が変化したのか目で見てもわからないし、感知能力なんて持ってない凪には悟ることも出来ない。
しかし前後の会話から察するに、妖精だか精霊だかを動員したのかもしれない。
とりあえず開いていた掌を親指から一本一本閉じてみる。確認したが、やはりこれも影響ない。
神様仏様ウィル様だ。
地味な不運の始まりは彼だが、今ならこの呪いと紙一重の能力を褒め称えてもいい。
「ふむ、これも駄目か。それならば・・・」
「っ、これ以上は付き合いかねます!」
考え込むように顎に手を当てた『鷹』を完全に危険人物と確定し、今度は一歩ではなく足が動く限り後ずさる。
気分は台所に徘徊してる黒い悪魔だ。
危険を察知したなら素早く逃れる。やつらの回避能力は大したものだ。
背中の羽を広げて飛び立つ瞬間など、こちらが悲鳴を上げて撤退を余儀なくされる威力を持つ。
凪が居候する荒城家では台所の主である秀介の母親しか退治できない。
大の男すら奇声を上げて逃げ出す黒い悪魔。
擬態するんだ凪、なりきれ凪と必死に念じつつ、さかさかさかと足を動かす。
しかし逃す気はないのか凪の数歩分を長いストロークで詰めてくる『鷹』に、ぐっと眉間に皺を寄せた。
頭に浮かぶ逃げ出すための手段は二つ。
一つは凪を溺愛するウィルの名前を呼ぶこと。
一つは説教覚悟でラルゴに助けを求めること。
前者は『神の愛し子』として、『人間の女』であることを肯定しているようなものなので駄目だ。
後者はどちらにせよ一人で行動したからにはラルゴの説教は免れないので諦めがつく。
しかもこの面倒なオーラをむんむん出してる『鷹』もラルゴを知っていた。ついでに凶悪な虎こと『ゼント』も。
世間は存外に狭いと言うけど、ラルゴの周囲には濃いキャラクターが多すぎる。
類は友を呼ぶというあれだろうか。
つらつらと考えつつ、足を動かしながら肺一杯に息を吸う。
なけなしの肺活量を使い切り、本日二度目となる助けを叫んだ。
「ラルゴー!!助けて!!」
「っ!?お嬢!!どこだー!!!」
濃い茶色の何かが後ろから前に飛びて、驚きで動きを止める。
どん、がた、ばきっ、と響く三段階の音に、瞬きして何かが通り過ぎた先を見た。
つつっと伸ばした視線の先には未だに裸族のままの龍。
何かを押したような手の伸ばし具合に掌の向いた先を辿ると、少し離れた場所に無言で俯いた『鷹』の周りに木片がちらほら落ちている。
どん、は凪の部屋のドアがラルゴの怪力で吹っ飛んだ音で、凪の髪を浮かせるほどの至近距離で飛んで行ったそれはそのまま『鷹』に向かい、何らかの方法で砕いたのが『ばきっ』という音らしい。
漫画で表現するなら『ゴゴゴゴゴゴ』と擬音語が付きそうな雰囲気の『鷹』に、ひっと小さく息を飲み込む。
だがこの場でも空気を読まないラルゴは、素っ裸のまま凪を腕に抱き上げ頬を摺り寄せた。
服越しでも触れる肌が若干気持ち悪い。
彼の抱き方は腕に座らせる状態なので、足が局部に触れないよう根性出して浮かした。
「・・・ちょっと、ナギちゃんが困っていますよ変質者。気色悪いんですよ股間丸出しで。室内ならまだしも全開でドア開けて仁王立ちって、あなた本当に羞恥心ないんですね」
「うっせえよ!今お嬢の悲鳴が聞こえただろうが!俺に助けを求めてただろうが!」
「助けを求められたら全裸でどこでも行くんですか?ナギちゃんごと捕まりますよ、その内。ちなみに俺はナギちゃんの分の保釈金は払っても、あなたの分は払いませんから。知らぬ存ぜぬ赤の他人で通しますから。ついでにナギちゃんは被害者として変質者に捕まったと涙ながらに語ってみせますから」
「はっ、俺はお嬢の護衛だぜ?緊急事態だったって言えばなんとか」
「・・・いえ、もし全裸で捕まったら他人のふりをします」
「お嬢ー!!!」
「ちょ、もう少し離れて。肌の感触が気持ち悪い!」
「気持ち悪い!?酷ぇぜお嬢!!もうこうなったら二度と放してやらねえからなー!!!」
鍛えられた胸に両腕をついて僅かでも離れようと足掻くが、中途半端に足を浮かせているし踏ん張りが利かない。
いや、もし万全の体勢でも無理だろう。
ラルゴの怪力は身に染みている。彼が繊細な触れ方をするのは、この数週間を見て食料と凪くらいだ。
喜べばいいのか悲しめばいいのか判断に迷う部分だが、彼の力全開でこられたら凪はすぐに壊れるだろうから文句はない。
しかしこの状況はまずい。
片手に武器を持ったままのラルゴの、凪がいる側の反対の首筋にはゼントの波打った刀身が突きつけられているし、さっきから視界に入れないよう極力気をつけているが、怒りのオーラを背負った『鷹』が一歩一歩距離を詰めている。
もしかしなくても判断を誤ったかもしれない。
ここはラルゴを置いてウィルに助けを求めるべきだったか。
と言うよりそもそもラルゴもゼントも明らかに不機嫌な『鷹』に気づいてるだろうに、どうすればあそこまで清々しく無視できるのだろう。
鋼の心臓が羨ましい。いや、心臓に毛が生えているのかもしれない。
どちらでもいいが、ミジンコ並の心臓しか持たない凪と比べれば随分な強心臓だ。
正直なところもう顔を上げることも出来ずに俯いていたら、折角視野から消えていた『鷹』の身体の一部分が目に入った。
「・・・ラルゴ、その娘を俺に寄越せ」
「はぁ?いきなり来て何言ってんだ、テメェは。お嬢はテメェから逃げて俺に助けを求めたんだろ?こんなに怯えて可哀想に」
「ふん、何を主らしくない台詞を。主は強者か『ぼん・きゅ・ぼん』しか興味がないのではなかったのか?」
「!!?お、お前、なんつーことをお嬢の前で・・・っ!ゼントといいラビウスといい、俺に何か怨みでもあるのかよ!?違うぞ、お嬢!俺は潔癖だ!」
「・・・ラルゴ、不潔。もう私に近寄らないで」
「お嬢ー!!!」
ひしっと武器を当てないように抱きついてきたラルゴに柳眉を顰める。
より密集した圧迫感にどうすれば引き離せるか、すぐ目の前の問題を先置きにして足掻こうと腕に力を篭めた瞬間、獣耳ではなく本物の耳に近づいたラルゴがぼそりと呟いた。
「・・・・・お嬢、窓から逃げるぞ。流石にこの二人をまとめて相手にするのは厄介だ」
「でも服は?」
「お嬢のベッドに俺のマントが掛かってるだろ。それを武器に引っ掛ける。ゼントを吹っ飛ばすほうがラビウスを突破するより楽だ。お嬢は何もしなくていい」
「・・・了解」
不自然にならぬようもがき続けながら、ごく小さい声で返事をした。
了承を返せばラルゴが褒めるように後頭部を指先で撫でる。
少し擽ったくて首を竦めた凪は、自分を見詰める二対の瞳を意識しつつ呼吸を顰めた。