12:どう考えてもついてない
「やあ、ナギちゃん。夕飯持ってきたよ」
ラルゴが入浴中を狙ったように現れた美麗な虎に、凪はひくりと口元を引きつらせた。
もう太陽は沈みかけ、明かりをつけていない室内も薄暗い。
そんな中、目が潰れそうな勢いで輝かしい笑顔を浮かべるゼントは、地味と平凡を愛する凪には相容れない。
元の世界でも桜子ほどではなかったが、友達は多くなかった。
人と関わりを絶っていたわけじゃない。それなら学校にも通わなかったし、アルバイトで接客業は選んでない。
けれど凪の狭い世界観では、桜子と秀介さえいてくれれば他は必要としていない。
親しくしている桜子や秀介の家族すらそうなのだ。
心の一部がどうしようもなく冷えている。もしくは乾いているとでも言えばいいのだろうか。
ストーキングも痴漢も日常茶飯事であったが、自分で定めた線の外にいる第三者の好意は受け流す対象でしかなかった。
それは可愛がっている子鼠たちに関しても同様に。
異界の神であるウィルは幾度も口にした。
凪の魂は壊れている、と。
全く持ってその通りだ。通常の精神の持ち主であれば、異世界トリップなど耐えられない苦行に他ならないのだから。
「・・・・・・」
「あれ?どうして喜ばないの?君がハンバーグが食べたいって言ったんでしょ?俺、頑張ったんだよ」
ベッドの上に座り購入した童話を読んでいた凪は、それが自分を守る盾であるかのように力いっぱい抱きしめる。
陶器で作ったお皿の蓋を開けた彼に、最早警戒心しか沸かなかった。
にこにこと美麗な顔立ちで一歩一歩距離を詰める彼の手にある皿から───否、正確には皿の上にある物体から目が放せない。
「・・・あの、一つ質問が」
「何かな?」
「それ、何でしたか?」
「これ?君の所望のハンバーグ。美味しそうでしょ?こう見えて俺、結構料理が好きなんだ」
「好き・・・好き、ですか」
「うん」
そうか、彼は料理が好きなのか。それはとても結構なことだ。
凪の世界には『好きこそものの上手なれ』という諺があったが、やはり才能の有無はとても重要だと思う。
ゼントは確かに料理好きかもしれないけれど、決して料理は上手くないのだろう。
何しろ彼の持つ皿の上にある料理、曰く『ハンバーグ』とやらは凪が知るものと大きく異なる。
あれが異世界基準なら、食を尊ぶ凪の心は大ダメージを負うこと間違いなしだ。
皿の上には、なんだろうモザイクを掛けた方がいいような物体がこれまたぐちゃりとしか表現できない状態で置かれている。
凪の記憶する『ハンバーグ』と違い形を留めてない。
敢えて言うならフォークを扱い始めた子供が好奇心のままかき回したような、もしくは一度床に落としたものを素知らぬ顔で盛り付けたようなそんな感じだ。
周りに掛けられているのはソースだろうか。
見るも鮮やかな虹色のそれの素材を知るには、凪の好奇心は足りな過ぎた。
本来なら最初にどうやってこの宿に凪が宿泊しているのを調べたか問い詰めるべきなのに、そんな疑問吹っ飛ぶほどのインパクトがある。
「あ、あの、お心は嬉しいのですが、ここにはフォークもナイフも置いてなくて」
「大丈夫だよ、そう思って俺が準備してきたから」
「その、折角の料理が冷めていると勿体無いので、宿の人に温めを頼んで」
「それも大丈夫。保温効果のある魔法を使ってるから」
「私実は小食で一人では食べきれないと」
「ああ、じゃあ小皿によそってあげるよ」
いらないよ。
この一言が言えたなら、この押しが強い男を返せただろうか。
現在この部屋に、ゼントと凪の二人きり。
人の気配に聡いはずのラルゴが未だに風呂から上がらないのに違和感を覚えるが、きっと目の前の虎が何か細工しているのだろう。
それがどんなものかはわからないが、案外長風呂のラルゴは何もしなければきっと当分出てこない。
だが───。
最終手段として取っておいた方法を実行すべく、胸いっぱいに息を吸い込む。
肺活量は少ないが、それでも限界ぎりぎりまで頑張った。
「ラルゴー!!助けて!」
部屋一杯に響く声。
下手したらドア越しに宿中に届いてしまったかもしれないが、もうそんなの構っていられない。
とにかく目の前の危機から脱するのが先決だ。
本当ならやりたくなかったが、背に腹は変えられない。
一拍の間を置いて、風呂に通じるドアが思い切り開かれた。
力を篭めすぎたらしく、ドアが外れて石の壁にめり込んでいる。
凪からすれば考えられない怪力を目に、確かに助けを呼んだものの弁償は彼にしてもらおうと密かに決意した。
そう言えば先日のギルドの机も弁償していないが、あれはどうなったのだろうか。
頼もしい助っ人の登場により、頭の一部が冷静に考える中、呆れ返ったゼントの声が落とされた。
「・・・ラルゴさん、流石にそれはないでしょう」
「ああん?テメェか?俺のお嬢に手を出そうっつう不届き者は?」
「この場合客観的に見て不届き者はラルゴさんだと思いますよ」
「俺のどこが不届き者だ!お嬢に仇なす存在は、俺が許しちゃおかねえぜ!!」
「・・・言ってることは、格好いいんですけどね。今のあなた、明らかに変質者ですから」
凪への進行を止めたゼントは、武器を片手に構えを取るラルゴ相手にはんなりと眉を顰めた。
欧米人のようなジェスチャーで肩を竦めた彼に、実は凪も同意見だったりする。
何しろ凪の叫びから一拍程度で出てきたのだ。
体を拭うどころか、生まれたままの姿だ。
強面でも顔立ちがいいので、これをきっと水も滴るいい男と言うのだろう。
実用性のある筋肉が綺麗だし、体中に走った傷は損なうどころか凄みを加え魅力を増している。
凪個人としてはラルゴは人に見せていい体をしていると思うけれど、格好は立派にセクハラ一直線だ。
それでも確かに流れを変えてくれた存在に、あの物体を食す危険から遠ざかることが出来、心から本当に感謝した。