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閑話【急かす心の赴くままに】

うっそうと茂る森の中を全力で駆け抜ける。

風音が耳を突き、瞼を開きっぱなしの眼球が乾いた。

紐がないので代わりに中々切れない草を使って髪を結っていたのだが、いつの間にか解けていたらしい。

視界を掠める見覚えのある黒が、ばさばさと容赦なく靡いていた。




桜子がこちらの世界にたどり着いたのは、つい五日前だ。

目覚めて最初にしたのは最愛の少女の無事の確認で、周囲を見渡しても映らぬ姿に肝を冷やした。

混乱し泣き叫び周囲の物体に怒りをぶつけ癇癪を起こした桜子を止めたのは、均整の取れた身体つきと嫌になるくらい端整な顔立ちをした青年だった。

否、青年と表現するのは当てはまらない。

気配も感じさせず、まさしく瞬きする間に出現した彼は、異界の神を名乗っていたのだから。


嘲りも露な表情でこちらを眺める赤い瞳に、カッと脳が一瞬で煮える。

唐突に最愛の少女がいない原因を理解した。



「貴様!私の凪をどこにやった!!」

「はぁ?凪は俺のだ、お前のもんじゃねえ」

「ふざけるな!一体、いつ、何時何秒に凪が貴様のものになった!」

「そんなの俺があいつを目に止めた瞬間に決まってんだろ。あれは俺の『愛し子』だ」

「何が『愛し子』だ!凪は無事なんだろうな!?」

「当然だろ。俺が俺のものをどう扱おうと自由だが、凪を痛めつける気はねえよ。五体満足でぴんぴんしてるさ」



ひょい、と肩を竦めて伝えられた言葉に、ほっと身体の力を抜く。

運動神経抜群の桜子や秀介と違い、凪はいっそ悲しくなるほど運動神経も体力も筋肉もない。

基本的に真面目なので体育の授業は全力投球するのだが、もう見てられない。

ドジッ子属性はないのに、ソフトボールをすれば頭でボールを受け、マラソンをすればゾンビもあわやとなり、ダンスをすればすべて盆踊り。

透明感あるビスクドールのような顔を歪めていかにも疲れきってたった一時間の授業をこなす凪に、教師ですらストップをかけることがあるくらいだ。

その凪がこんな深い森で五体満足でいてくれるなら───そこまで考え、ぱちりと瞬きした。



「森?・・・ここはどこだ?」

「今更の質問だな。ここは俺の世界だ」

「貴様の?」

「そう。言ったろ、俺の世界の安定のために異物であるお前らを送るって。ここはダウスフォートの端、ラグーナよりのな」



『ダウスフォート』と『ラグーナ』。

それはどこだ、と考え込めば、じんわりと知識が浮かんでくる。

二つの聞き慣れない名前は、この世界に存在する5つの大陸のものの一部だ。

この世界は、四葉のクローバーのように並ぶ大陸と、中心にある不可侵の大陸とで成り立っている。


覚えのない知識が当たり前に浮かび、戸惑いも露に髪を掻きあげた。

桜子は目の前の神が支配する世界なんて知らない。それなのにどうして。

戸惑う桜子を感情のない赤い目で観察していた。

凪の前で子供っぽく無邪気に振舞っていた神はそこにはいない。傍観者として佇む姿こそ、本来のものなのだろう。

人とは異質の姿に、ぞくり、と心の奥に怯えが忍び込む。

それでも奥歯を噛み締め必死に恐怖を押し殺して、赤い瞳を睨み付けた。



「凪に会いたいなら、ダウスフォートの首都ダランに行け。今のあいつは同行者を見つけそこに向かってる」

「ダラン?」

「ああ。あいつはお前に会いたがってた。俺としては、お前はいなくていいんだがな」

「───同行者とは、凪に危害を加える相手か?」

「いや、それはない。凪が『神の愛し子』だと気づいても、危険な目に合わさないために、それを隠すような術を与えるような奴だ。龍だし、護衛としても丁度いい」

「・・・龍」



元の世界では実在しないとされる存在に、顎に手を当ててはんなりと眉を寄せる。

疑問に対する答えがじわじわと脳に浮かび、漸くこれが与えられた神の特典だと気づいた。

それによると、この世界には桜子たちのような『人間』は存在せず、『獣人』と呼ばれる獣の一部を引き継いだ生き物が支配しているらしい。

種族は色々いるが、中でも『龍』は活発的で裏表がなく戦闘能力も高いとされている。しかしその分希少な生き物だ。

その『龍』が、凪の護衛をしている。しかも聞く限り、かなりのお人よしが。



「それなら、凪は安全なんだな?」

「保障してやるよ。あいつは凪に一目惚れしたみたいだしな、身体張ってでも危険から守り抜く」

「・・・一目惚れ?」

「おう!森に倒れてる凪の美しく可憐な姿にやられたらしい。この世界では基本的に他種族に恋愛感情を持つことはないが、『神の愛し子』は別だ。『人間の女』はどの種族から見ても『女』。子供も成せるし問題はない」



腕を組み自慢気に胸を張る異界の神に、先ほどまでの恐怖も忘れてぶちりと血管に筋が浮いた。

今、この神は何を言った。

ふるふると震える拳を必死で握り締め、押し殺したような声を絞り出す。



「つまり、何か?貴様は凪に惚れてる男とあの子を二人きりにしてると、そう言ってるのか?」

「そうだ。冒険者をしてるから森の移動は慣れてるし、大丈夫だ」

「何が『大丈夫』だ!そんなどこの馬の骨ともわからん輩と私の凪を二人きりにしてるだと!?どこに危険がないんだ!貞操の危機じゃないか!」

「馬の骨じゃなく『龍の一族』だ。そして凪はお前のものではなく俺のもの。ついでにあいつにはあらゆる干渉を拒絶する力を与えたし、滅多なことは起きねぇよ」

「はぁ?」

「ともかく、そんなに凪が心配なら、必死こいて追いつくことだな。最低限お前がその身体に慣れねえ限り、俺はお前を『愛し子』の傍に置く気はねえ」

「・・・身体に慣れる?」



とりあえず凪の貞操の危機はなくなったと落ちついた心が、異界の神の言葉に戸惑う。

身体に慣れるとはどういう意味か。

桜子は今でも十分に自分の身体に慣れている。なにせ17年の付き合いがあるのだ。

眉を顰めて首を傾げた桜子に、呆れた眼差しを向けた神はゆるゆると首を振った。



「力を望んだお前に、俺は言ったはずだ。お前はお前が知る『人』ではない」

「・・・そう、だったな」

「お前はこの世界にいる種族の一員で、ついでに性別も変わってる」

「性別も・・・」



思わず胸に手を当てて、そこにあった些細な膨らみもなくなっているのに気づく。

手に触れる感触は『男』らしい胸板で、視界に映る手の甲は細いが節くれだって大きかった。

さらりとした黒髪は同じ質感と長さを保っているし、記憶するより視野も高い。



「男・・・私は、男になったのか?」

「それがお前の願いだったんだろ?凪と約束したし、ちゃんと叶えてやった。俺に感謝しろよ」



ふんぞり返った神を一瞥し、新しく得た身体に心を震わす。

女に生まれたのを後悔したことはない。それでも、ずっと、ずっと男になりたかった。

愛する少女の隣に立っても恋人に見える存在に、友愛ではなく、恋愛の意味で愛し愛される存在になるために。

女だからと言って、凪は桜子の想いを拒絶しなかったろうけれど、それでも受け入れてもらうには、愛の証を残すためにも、ずっと男になりたかった。


ほろり、と涙が頬を伝う。

上半身を抱きしめたまま、膝から力が抜けて地面にへたり込む。

信じられないくらいの充足感と歓喜で心が満ちていた。



「感謝します・・・神よ」

「ふん、当然だ」



つん、と顎を反らした異界の神は、最早赤い瞳に桜子を映していなかった。

その瞳はここではないどこか遠くを眺め、愛しげにすっと細められる。優しく柔らかで幸せそうな表情だ。



「私は」

「あ?」

「私はどちらの方向に進めば凪に会える?ダランはどちらにあるんだ?」

「・・・ふん、お前の魂に聞け。言ったろ?力を使いこなせねえなら、凪には会わせないってな。持ってる能力を引き出して使え。癪だが、お前と凪は魂で繋がってる。あいつの魂を感じれば、自ずと進む方向もわかるだろうよ」



桜子の声に弾かれたように自然に浮かんだ笑みを掻き消した神は、こちらを一瞥するとそれきり興味はなくなったと顔を背けた。

足元からじわじわ消えていく姿に、やはり彼は神なのだと畏敬の念が心に沸く。



「なるべく早く追いついてやれ。凪が寂しがる」



囁きは風に溶けて消えた。





深い森の中を風を切って走り抜く。

枝で頬が切れようと、日本ではまず遭遇しない凶暴な獣が現れようとも怯まずに。

心のままに、魂が導くままに進めば、そこに最愛の少女が待っているはずだから。



「凪、すぐに追いつくから。『龍』が不埒なことしたら、教えた護衛術を使うんだぞっ」



最高の護衛が最高に危機感を煽るなど最悪だ。

苦々しい内面を隠し、与えられた肉体の性能を活かし焦りのままに更にスピードを上げた。

すべては、愛する人に会うために。


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