9:一日の終わりはまだ遠い
ラーリィの店から体感時間で二十分ほど歩いたところにギルドはあった。
正確に言えばこの街にあるギルドの一つらしいが、年代を感じさせる石造りの三階建ての建物は結構大きい。
今朝までいた宿屋も大きかったが、それとほとんど同じくらいだろうか。
三十歩以上端から歩いていても入り口までつかず、いつもより沢山歩いている所為か若干疲れてきた。
しかし歩みを緩めればすぐにラルゴの『抱っこするか』攻撃が始まるので、足を動かさずにいられない。
サイズが合わない眼鏡はずり落ちて鬱陶しいし、体力がないのを自認する凪らしく軽く息も上がった。
「・・・お嬢、大丈夫か?」
「大丈夫」
「ああ、お嬢にこの聞き方は駄目なんだな。絶対大丈夫って答えるし」
「そう?」
「おう。お嬢は見た目大人しそうなのに、きっぱりしてて意地っ張りだ。はらはらする」
「ああ、それは幼馴染にも言われた」
「だろ?しかもマイペースで好奇心旺盛だ。無駄に肝座ってるから勝手にどこでも行っちまうし、恐いな。運動神経鈍いくせに」
太い眉をへにゃりと下げたラルゴはひょいと肩を竦めて笑う。
短時間で随分と解析されたらしい凪の性格に、凪も同じジェスチャーで返した。
「私の売りは意外性らしいよ」
「ああ、確かに。意外性はあるな」
うんうんと頷いたラルゴが入り口のノブに手を掛けようとした瞬間、内側から勢いよく開いた。
驚きの反射神経でひょいと避けたラルゴに目を瞬かせていると、思わぬ衝撃に身体が吹っ飛ばされる。
どうやら扉は観音開きになっていて、無情にも時間差攻撃を喰らったらしい。
あまりの痛みにくらくらしている間に、繋がれた腕がグッと引かれた。
腕が引っこ抜けそうな痛みが走り、生理現象でじんわりと涙が目尻に浮かぶ。
「お、お嬢!?大丈夫か!?」
「・・・痛い」
「ぎゃあ!お嬢の額が真っ赤だ!痛いか!痛いのか!?」
「痛い!痛いって言ってるのにどうして叩くの!?」
「叩いてねぇよ、撫でてるんだ!」
きっとたんこぶが出来てると思う。
それくらい額に走った衝撃はクリティカルヒットの予感を与えた。
しかも赤くなってるだろう箇所を、何故か無遠慮にぱしぱし触る彼の手を慌てて両手で取り押さえる。
ついでに吹っ飛んだ身体を引き寄せてくれたラルゴのお陰で、肩の関節も地味に痛い。
「ちっくしょ、どこのどいつだぁ!?俺のお嬢を傷物にしやがって!!」
「ちょ、その言い方は別の意味に取られるから」
「コルぁ、待て!逃げんじゃねえぞ、そこの犬野郎!逃げんなら××を×××して××───」
「止めて!もう本当に止めて!これじゃチンピラだよ。しかもかなり下品!」
凪でも知る放送禁止用語を恥ずかしげもなく連呼するラルゴに縋って必死に止める。
スラングだ。スラングの嵐を恥ずかしげもなく叫ぶ彼に、心も身体もダメージが蓄積していく。
せめて凪の手を放してくれればいいのに、ぎゅうっと握りこまれた手は振っても叩いても放れない。
これでは凪もラルゴと同類みたいではないか。
恥ずかしげもなく下ネタを叫ぶ獣人と身内扱いは勘弁して欲しい。
「けどよ、お嬢」
「いいから、本当に、心から。お願い」
突き刺さる視線が痛すぎる。
秀介が好んでいたRPGの登場人物を具現化したような獣人たちから、痛すぎる視線を感じている。
「・・・あー、そこの虎の子の言い分を聞いてやったらどうだ?」
「あぁ?」
仲裁に入ってくれた声に、神の助けと顔を上げた。
しかしそこに居た人物の予想外の格好に、ひくり、と口元が強張る。
鳥だ。何の種類かぱっと浮かんでこないが、背中から生えた濃緑の翼が教えてくれる。
緑、青、赤、黄と様々な色が混じった髪と、くりっとした好奇心に輝く垂れ目が特徴的で、どことなく軟派な空気を醸し出していた。
へらへら笑いながら凪の肩を抱いた彼は、ほんの少しだけ上にある視野から見下ろしてくる。
「威嚇するなよ、頼むから。可愛い娘をこんなに困らせて駄目な父ちゃんだな」
「は?」
「父ちゃん?」
「父ちゃんだろ?いや、種族が違っても親子の絆ってのはあるもんだ。言い訳はいらねえよ」
知った顔で言われた台詞に、思わず無言で視線を合わす。
浅黒い肌に太い眉、精悍な顔つきの美丈夫であるラルゴは、種族も含め凪に似ているとこはない。
同じように眇めた視線でこちらを見詰める彼も共通点を探しているのだろうが、きっと見つからないと思う。
しかし今日だけで種族が違う親子関係を二例見たのだ。勘違いされても仕方ないのだろうか。
いやでもなんとなくこんな父親嫌だ。
今でも十分すぎるくらい過保護なのに、本当に身内になったら身体に袋を取り付けて大事に仕舞いこんでしまいそうだ。
もとの世界でおなじみの二本足で立つ有袋類を思い出し、意外と違和感がない想像に眉間の皺を深める。
やはり地面に付きそうな太い尻尾が決め手だろうか。カンガルーのラルゴもおかしくない気がした。
「父ちゃん」
「父ちゃんて誰が」
「ラルゴでしょ?」
「俺?」
「そう、あなた」
呆然とした風体で自分を指差したラルゴは、一拍置いて素晴らしい肺活量を披露してくださった。
「ふざけんな!11しか違わない子供を持つわけねえだろ!てかそれなら俺は親子じゃなくて兄弟だ!それとも何か?お嬢は年相応に見えても俺が更け顔って言いたいのか!?朝からとことん失礼な奴ばっかに会ってる気がするぜ、チクショウ!俺は更け顔じゃなくて年相応だ!ついでに言うならお嬢が俺の娘だと仮定して言わせて貰うがな、テメェなにうちの娘の肩を気軽に抱いてんだよ!馴れ馴れしい、離れろ!お嬢の相手は俺が認めた男じゃなきゃ許さねえぞ!俺の許しを得たいなら俺の屍を超えてゆけ!とにかくとっとと離れろ、クソガキ!お嬢が穢れる!けばけばしいのが移る!」
大音量で響く声に、最早内容は聞き取れない。
随分と滑らかに動いた口が、ありえないくらい早口でマシンガントークをしていたけれど、さっぱりだ。
辛うじて凪から離れろと言っているのは理解できたものの、それは彼の大きいジェスチャーのお陰で言葉で察したわけではない。
何をそんなにつばを飛ばして興奮しているのか。白目が血走っている気がする。
もしかしてこの彼の言葉の何かがラルゴの心の琴線を震わせてしまったのだろうか。
もう本当に他人のフリをしたいと心から願いながら、吸い付くようにして放れない手をじとりと睨む。
「なにやら、大変だな。こんな父ちゃんで」
「父ちゃんじゃねえ!」
ああ、また面倒な展開か。
ずきずきと痛む頭を押さえながら、多少父親の身体にそっと手を添える。
むっと押し黙ったラルゴを下から覗き込み、こてりと首を傾げた。
「お願い、静かにしてパパ」
「っ」
衝撃の一言を打ち放てば、驚きのあまりラルゴは彫像のように硬直する。
このまま手も放してくれれば逃げれるのに、などと密かに内心で嘯きつつ、漸く静まった面倒な連れに、深い深いため息を吐き出した。