8:ママンは子供好き その3
にこにこと満面の笑みを浮かべたラーリィは、両腕を広げてむぎゅっと正面から凪を抱きしめる。
一応ラルゴは否定してくれたはずだが、やはり彼女には子供に見えてるのかもしれない。
遠慮してくれているのだろうに、軽く一周した彼女の腕が腰を締め付け、今にも中身が出てきそうだ。
タイミングがよすぎることに、凪の許容量は親鳥のように甲斐甲斐しくラルゴから与えられた食料で一杯だ。
だがここで初対面の獣人相手に脳内で考えたあれやそれをするには、色々なものを失ってしまう。
「ら・・・ラルゴ、助け」
「っ!!?おい、おっかさん!お嬢が、お嬢が潰れかけてる!」
「え?・・・あらまあ、この子虎の割に随分軟弱だねえ。ゼントは見た目はあれだけど随分と鍛えてるのに」
「お嬢とゼントを比べるなよ。体格からして見るからに違うだろうが」
「けど虎は虎だろ?あたしが知る虎は男女共にもうちょっとなんて言うか」
言葉尻を濁したものの、じろじろと眺める視線で言いたいことを察してしまう。
日本人は空気を読むスキルに長けているそうだが、その中でも大して鋭くない凪でも居た堪れない。
きっと虎の種族はさぞかしスタイルがいいのだろう。
視線が身体のラインを沿ったかと思うと、そのまま頭の上をちらりと見詰めた。
身長も足りないのかとつい俯いて視線を店の奥にやれば、ちらちらと小さな影が映る。
「?」
気を逸らすためにも何だろうとじっと集中すると、灰色の瞳と目が合った。
びくり、と身体を強張らせて動きを止めた相手に、ぱちぱちと目を瞬かせる。
さらに気配を感じてぐるりと首を回すと、先ほどのものと良く似た灰色が幾つも点在するのに気がついた。
「・・・ラルゴ」
「ん?」
「誰か居る」
「誰か?・・・ああ、おっかさんの子供だな。おい、お前ら出て来い」
ぴらぴらと手を振ったラルゴだが、言葉を聞きつけた子供たちは、店内に所狭しと吊るされた衣服の間にひょこりと隠れる。
丸い耳や細い尻尾が見えてるのはご愛嬌だ。
誰一人として誘いに乗ってもらえなかったラルゴの手が虚しく宙を掻き、思わずじとりとした視線を向ける。
行き場がない掌をわきわきと動かした彼は、結局そのまま手を頭の上に置いた。
「何も言うな」
「言ってないよ」
「目が言ってるだろ」
「目はものは言わないよ」
抱きしめていたラーリィの腕の力が弱まったのを感じ、すっとその場にしゃがみ込む。
ウィルから貰ったワンピースの裾が床に付いたけど全く気にならない。服は汚れるものだ。
片膝をついて腕を広げ、隠れた子供たちに向けて微かに口の端を持ち上げる。
「おいで」
「・・・・・・」
「私は凪って言うの。あなたたちの名前、教えてくれる?」
「・・・あたし、ミーシア」
「・・・ルルリ」
「・・・あたしは、サーシャ」
おずおずと顔を覗かせたのは、小さな灰色の耳をピコピコと動かし、細くほとんど毛がない尻尾を揺らす子供だ。
おいで、ともう一度呼べば、戸惑うように視線を彷徨わせ姿を現した。
人見知りでもするのだろうか。よく似た三対の瞳は、きょときょととラルゴとラーリィに視線を送りつつゆっくりと凪へ近づいてくる。
焦らせるでもなく三人がそれぞれのペースで距離を詰めるのを待ちながら、その種族を推測した。
あの耳と尻尾。彼女たちは、鼠の人だ。
「可愛いおちびさんたち、初めまして」
『っ!!?』
思わず表情が綻ぶと、どんぐり眼を零れんばかりに見開いた彼女たちは、かっと頬を赤らめた。
忙しなく尻尾を揺らし、器用にも丸っこい耳が動いている。
凪は基本が人間だからか、尻尾や耳は動かす気にならないと動かせない。
お隣のペットの『大二郎さん(犬)』はいいお年だったにもかかわらず、毎日挨拶するたびに激しく反応してくれたが、獣人にとっても尻尾や耳は感情を術なのかもしれない。
「あんた・・・鼠の子を見てもなんとも思わないのかい?」
「え?可愛いですよね。可愛いって言いましたよね?」
「そりゃ言ったけどさ、あんたみたいな白虎が言うとは信じられなくてねえ」
眉尻を下げて笑うラーリィに、隣に居たラルゴを見上げる。
困ったように尻尾を振る彼に、なんとなく事情を察した。
つまり、この世界でも種族による差別が存在し、鼠は好かれていないのだろう。
その概念を頭に置いて改めて視線を少女たちに向ける。
年齢は朝見た子猫の兄のほうと同じくらいの彼女たちは、艶のない灰色の髪の間から不安気な瞳を覗かせた。
極度に緊張の滲む眼差しは凪の常識から行けばこの年齢の子供に相応しくない。
小さな手足に可愛らしいスカートと小花柄のシャツ。
三人とも揃って前髪が長いショートカットの少女たちは、兎の子供と変わらないくらい愛らしい。
子供は可愛い。可愛いは正義だ。
「私みたいな白虎が普通どうあるべきか知りませんけど、子供は愛すべき存在です。大事に大切に育てるのが私の中の常識ですけど、違うんですか?」
「・・・ぷ、ははは!そうだね、その通りだ!いや、ごめんよ。あんたみたいな外見の子は、大抵が鼠を嫌がるからね」
「人は外見や種族で判断すべきじゃないですよ」
「・・・だからって朝みたいに超強面の男にひょいひょい近づかれても問題だと思うけどな」
「ダイナスさんはいい人だったじゃない」
「男はみんな、獣だ」
「じゃあラルゴ近づかないで。私はここでハーレムを作って暮らすから」
つん、とラルゴから視線をそむけ、目の前の子供たちにきゅっと抱きついた。
凪の細い腕では彼女たちの身体を三人分纏めて抱くことは出来なかったが、包むことくらいは出来た。
唐突な行為にびくりと固まる正直な姿に、くすくすと小さく声を漏らす。
やはり子供は万国共通で愛でるべき存在だ。
平和ボケした考えだと言われても、子供は宝と昔から考えられた日本育ちの凪はそう思う。
「ナギは、ルルリを汚いって言わないの?」
「何で?」
「だってあたしたち、鼠の子よ」
「うん、だから?」
「こんなに綺麗な白虎なのに、ナギはあたしたちが可愛いと思うの?」
「可愛いよ。小さな手も、ふくふくのホッペも、くるりとしたどんぐり眼も愛らしい声も、全部可愛い」
嘘じゃないよと彼女たちの頬に頬を摺り寄せれば、『きゃあっ』と嬉しげな悲鳴が上がった。
こんな小さな子供にこんな言葉を言わせるなんて、世界の常識は一体どうなっているのだろう。
鼠としての経験から、珍しいらしい白虎の凪を綺麗と言うなら、自分が本心から可愛いといえば彼女たちは信じてくれるだろうか。
「ミーシアもルルリもサーシャも可愛い」
きゅうっと抱きついた腕に力を篭めれば、おずおずとした掌が頬に触れた。
いかにも躊躇してから伸ばされた手に、安心させるようにこりと微笑む。
本日何度目かの子供の満面の笑みに癒されながら、柔らかな感触に幸せを実感した。