8:ママンは子供好き その2
ラルゴが最後に買い食いをしてから路地を歩くこと暫し、いくつかの角を折れて細道に入りあれだと指差した店は、凪の想像よりも若干、いや正直に言うならかなり違っていた。
表通りよりも人影が少ない道は、けれど裏通りと言うほど寂れてなければ活気がないわけでもない。
元の世界の近所の商店街の昼の状態を髣髴とさせる雰囲気で、建物こそ全く見覚えがないがどことなく懐かしい。
そんな地味に栄えていない通りの中心からやや奥に、ラルゴの行きつけの服屋はあった。
薄汚れた石の壁にきっちりと閉まったドア。窓にはきっちりとカーテンが閉められ、本当に営業しているのか怪しい佇まい。
しかも看板がお約束にボロボロな上に傾いて、ラルゴの身長ならぶつかってしまいそうだ。
「・・・ここ?」
「おう、ここ」
「営業してるの?」
「多分な。俺がこの街に住んでから何回か足を運んでるが、休みだった日はねえし」
「ふうん」
ぽりぽりと指先で頬を掻きながら思い出すようにくるりと目を動かしたラルゴは、今にも落ちてきそうな絶妙なバランスの看板へ目をやる。
風が吹いたら飛んで行きそうだが、先ほどから頬をくすぐるそよそれに以外にも耐えていた。
年季が入っているのに、根性がある。
ぼんやりと看板を見ている凪の手を引いたラルゴは、躊躇なくぼろいドアノブに手を置く。
彼の力なら呆気なく取れてしまうんじゃなかろうかと心配したけれど、軋む音を響かせながらもぽろりと落ちることはなかった。
「おーい、おっかさん!客だぞー!」
「はいはーい!いらっしゃーい!」
ドアを開けた瞬間真っ暗だった室内は、しゅっと小さな音が響いて一瞬で明るくなった。
どうやらカーテンを開けただけのようだが、店内を見るためにフードを指先で持ち上げていたお陰でいきなりの変化に目が眩む。
思わず両目を手で覆い俯くと、さらにぱかんと何かが外れるような音がした。
「おい、お嬢大丈夫か?」
「な、なんとか」
ぐりぐりと拳で瞼を擦り、数度瞬きを繰り返して視野を取り戻す。
ぼんやりとした視界のまま俯かせていた顔を上げれば、すぐ至近距離に金目があって硬直した。
危うくぶつかりそうになり、小さく悲鳴を上げて一歩下がる。
するとすかさず入り口の縁で足を引っ掛けバランスを崩し、慌てたラルゴに片手で受け止められた。
「ありがと」
「おや?あんたが子供連れとは珍しいねえ。数年の付き合いになるけど、初めて見たよ」
「いや、この子は子供じゃねえ」
「子供じゃない?でも体格が・・・」
「そりゃ俺と比べれば大抵は誰だって大人と子供だろ。ほれ、お嬢。フードを取っていいぞ」
「え?うん」
大きすぎるフードを手繰り、後ろにやる。
漸く邪魔者がなくなり視界が大分クリアになった。
ほうっと息を吐き、『おっかさん』と呼ばれた人物を見る。
そこに居たのは、恰幅がいいアメリカのホームドラマに出てきそうな雰囲気の女の人だった。
ふくよかな体型に笑みを浮かべた唇。少し垂れた目尻に刻まれるカラスの足跡や、こげ茶の髪に混じる白髪。
暖色系のワンピースの上に大きなフリルつきのエプロンを身につけ、それがまたとても似合っている。
凪を簡単に抱き上げてしまいそうな巨体に驚きつつ、種族を確認するため一番手っ取り早い耳を探す。
すると頭にちょこりと乗っかる髪よりもなお濃い茶色の丸っこい耳があり、彼女の種族が何か知った。
「・・・熊?」
「そういうあんたは虎かい。珍しいねえ、色違いの瞳を持つ白虎なんて初めて見たよ」
「だろ?こんな極上な虎、他に見たことねえ」
「はははは!確かに、そうだねえ。さっきまでならゼントがいるって言えただろうけど、この子を見た後だと流石にあいつも霞むね」
「比べ物にならねえだろ!お嬢は俺のお嬢だからな!」
「いや、ラルゴのになった記憶はないけど」
何故か胸を張り威張る彼に、一応突っ込んでみる。
しかし上機嫌になったラルゴにはやはり届かず、『おっかさん』に凪の自慢をし始めた。
その姿は桜子の兄の、自分の妹がいかに可愛いか全力で語る姿を思い出させ、いささか凪をしょっぱい気分にさせてくれる。
渋い表情で黙り込んだ凪に気づいたらしい『おっかさん』が、客商売のプロらしく上手に会話を終わらせて、こちらに向かってにこりと笑った。
快活な笑顔は空に浮かぶ太陽を思わせ、釣られて思わず小さく笑う。
すると益々笑みを深めた『おっかさん』は、凪との距離を数歩で詰めて、頭一つ分はある身長差を身を屈めて埋めた。
「あたしは熊のラーリィだよ。一応ここの経営者だ。あんたの名は?」
「凪です。どうぞよろしくお願いします」
「ナギ、か。初めて聞く響きだが、不思議とあんたには合ってるね。───ようこそ、ナギ。あたしの城へ」
こげ茶色の瞳を優しく細めたラーリィは、頬の皺を深めて孫を見るような眼差しで凪を映した。