閑話【きらきらと輝く星みたいな】
ダイナス視点です。
「ひぃ!!?さ、触るな、止めてくれぇえええ!」
「あ・・・おい!?」
目の前で倒れた狸の老女を見かね、店を放って駆け寄ったのだが、えらく怯えられた上に老人らしからぬ健脚で逃げられた。
助けようと差し出した手が宙を掻き、虚しさを湛えながらそっと頭に移動させた。
ダランでパン屋を開いてから早三ヶ月。その間一度も店を休んだことはないのに、誰一人として客は来ない現状に、ダイナスは深くため息を吐く。
焼き立てのパンが徐々に冷めてかちかちになっていく様も見慣れたものだが、感情的にはやはり慣れない。
今日も今日とてパンは売れない。きっと明日も売れないのだろう。
深くて重いため息を吐きつつ、ちらりと視線を道の奥へ向ける。
そこには可愛らしい概観をした店があり、美味しい食事と可愛い店員が有名で、今日も今日とて混雑しているようだった。
三ヶ月経っても未だに一人の客も来ない己の店を鑑みて益々落ち込む。
「・・・おはようございます」
「あ?」
間の抜けた声が出たのは、驚いたからだ。
気がつけば目の前に体格に合わないマントを被った生き物が居て、ダイナスは隻眼を丸くした。
大きさから子供か、女だと目星をつけ、それなら何故と益々疑問が沸く。
ダイナスは自分の外見について正しい認識をしている。
若い頃少し暴れていたダイナスは、顔の半分に大きな傷があり隻眼だし、耳は片方掛けているし、基本的に女子供に好かれないどころか、大の男ですら目が合うだけで逃げ出す容姿をしていた。
体格もよく、発する雰囲気も一般人とは異なるらしいので、余程親しい人物じゃないと相手から近寄られることはない。
目の前の相手が声を掛けたのかと首を傾げている間に、また信じられない言葉を聞いた。
「これ、売り物ですか?」
「あ、ああ、そうだが」
「一つ下さい」
「は?」
「だから、一つ下さい」
言葉が理解できなかった。
ここ数ヶ月ずっと望んでいたものなのに、現実になると信じられない。
唖然として動けずに居ると更に問いかけられ、つい値段まで言ってしまう。
ダイナスの外見や勢いにも欠片も怯まない目の前の得たいの知れない相手は、すっと言い値を払いパンを受け取った。
目の前で齧り付こうとするので驚いたが、小さな手と口が一生懸命動くのに見惚れてしまう。
嘘みたいにどんどんと消えていくパンに、尻尾がゆらゆらと揺れた。
自分の作ったパンが消費されるのが信じられず、つい食ったのかと問いかければ、五月蝿いと一喝される。
仕方なしに落ち着かない気分で見守っていれば、感想が聞きたいか問われた。
「聞きたい!・・・です」
自分より随分と小さい相手を前に、びしりと身体に添えた指先すら伸ばして直立不動になる。
すると残っていたパンを最後まで食べきった相手は、パンを包んでいた紙を畳んで返した。
「美味しいです」
端的な、けれど何より欲しかった言葉に息が止まった。
流れるような解説は初めの衝撃で右から左に抜けたが、一言だけ頭に残った。
「・・・美味い?」
「はい。もう一つ食べたいくらいに」
「───~ッ、よっしゃああ!!マジか!おい、チビ、もっと食え!俺がサービスしてやる!!」
あまりの喜びに快哉を上げ、台の上に置いてあったパンをかき集めて差し出せば、いらないと呆気なく拒否された。
褒めてくれたばかりなのに、リップサービスだったのかと心の奥底から落ち込む。
目の前に並べられたパンが褪せた気がして、益々凹んだ。
しかし物事はダイナスの思わぬ展開へ流れた。
「こんなに美味しいんです。ちゃんと売りましょう」
「っつっても、言ったろ?この三ヶ月でお前が初めての客なんだよ。どいつもこいつも俺の顔見ただけでそそくさと逃げちまうんだ、売れやしねえ」
「売りたくないんですか?それとも商品に自信がないんですか?」
「売りてえし、自信はある!けどよ、俺が売り子だと」
「お手伝いします」
「は?」
「私がお手伝いします。アルバイト代は、焼き立てのパンでお願いします」
ダイナスの作ったパンは美味しいのだから、目の前の相手はきちんと売ろうと告げた。
しかも売りたくないのか、それとも自信がないのかと炊き付けるような言葉を使い、挙句の果てに手伝ってくれると言う。
何故ここまでしてくれるのかわからないが、展開と勢いに流されてつい頷けば、被っていたマントをしゅるりと華奢な手で脱ぎ去った。
「・・・っ」
現れたのは、息を呑むほど美しく可憐な虎の少女。
虎の一族の中でも白虎は珍しく初めて見たが、それ以前に彼女の存在自体が稀有なものだと断言できた。
限りなく金に近い薄茶色の緩い癖毛が腰ほどまで伸び、身体に纏わり付くようにして流れている。大きすぎない瞳は、長い睫毛が縁取り、左右の色が赤と蒼の特徴的なオッドアイ。
白虎だからなのか今まで見た虎の誰よりも抜けるような白い肌は陶器のように滑らかで、つい触れたくなるが、触れたら壊れそうなほど繊細で、無意識に伸びそうになる腕を慌てて静止した。
全体的に華奢な作りをしていて、細い顎やつんと上向きの鼻、ふっくらとした唇など同族の男ならむしゃぶりつきたくなる色気もある。
護ってあげたいと望むのに、同時に自分の手で思い切り乱したい欲求が競りあがり、ごくり、と喉を鳴らしてつばを飲み込んだ。
「とりあえずその超可愛いフリルつきのエプロンは私に下さい。正直に言って、あなたには欠片も似合ってません」
姿が違えば声の聞こえ方すら違うのだと、ダイナスは初めて知った。
もともと可愛い子供みたいな声と感じていたものを、陳腐な言い草だが本当に鈴の音を転がしたようなものだと認識する。
ぞくぞくとしたものが背中を走りぬけ、ぼんやりしていた意識が一気に収束した。
「ッ!!!?」
びびびびっと自分の感情に正直に逆立った毛は、意志の力では制御できない。
随分と年下に見える少女相手にあからさまに反応した己に驚きつつ、赤くなる顔を隠すことすらできない。
呼吸も止めて見惚れたダイナスの脳裏には、恋とはするもんじゃなく落ちるもんだと、いつかの友人の言葉が点滅していて、他種族の少女相手に嘘だろうと混乱する。
それでも惹き付けられる心に抗いようがなく、真っ直ぐに背筋を伸ばして立っている少女から視線を剥がせない自分に泣きたくなった。