5:神様と一緒 その4
あからさまな独占欲を発揮する異界の神は、己の発言の意味を理解しているのだろうか。
否、きっと理解していないに違いない。
自分が気に入った存在が傅かれるのは気分がいいと言った口で、他の誰かと共有するのは好きじゃないと嘯いた。
挙句の果て、祝福だの加護だのと言って与えた能力は、凪への干渉を阻む絶対的なもの。
凪が望まなければ触れられない、など、彼女の性格を理解してるなら普通はつけないだろう。
他人へのキャパシティが極端に狭く、ある意味で大きすぎる凪には、誰かを認めるのは高難易度のミッションだ。
厄介な相手に気に入られたと、ふつふつと心から湧き上がる疲労に、目覚めたばかりの身体がついていけない。
「ま、とにかくだ。俺とお前じゃ凪に対しての立ち位置が根本から違ってる。ついでに存在としても、だな。こいつに感謝しろよ?こいつが止めなきゃ、俺は存在からお前を消してた」
「っ」
言葉の意味を、正確に理解したのだろう。
渋い顔をしたラルゴは、忌々しげに舌打ちし、穴だらけの床に座り込んだ。
綺麗に磨かれたフローリングは見る影もなく無残な様子になっているが、彼は全く気にしていない。
「最悪だな。テメェみたいな性質の悪いのに気に入られたお嬢が可哀想だ」
「どこがだ。この俺の寵愛を受けれるなんて、嬉しいに決まってんだろ。なぁ、凪?」
「・・・黙秘を通します」
遠まわしの否定だが、ウィルには一切通じなかった。
憤りから哀れみの眼差しにシフトチェンジしたラルゴの視線が頬に突き刺さる。
その視線を、ラルゴほどではないが、普通以上に身長が高い身体で遮りつつ、『愛でる』の言葉通りに愛玩動物を可愛がる仕草で撫で回すウィルは、元の世界にいたら確実にセクハラ訴訟で訴えれたはずだ。
しかも勝訴だと思う、確実に。
制服のブラウスの下からさり気無く手を突っ込んで素肌に触れるウィルを容赦なく叩くが、抵抗すら楽しいと三日月形に目を細めるだけだ。
色を含んでいないからまだ許容できるが、何を考えてるかさっぱり理解できない。
援軍を望むのに、生憎と彼に触れれるのは凪だけで、凪に触れれるのもウィルだけという、負のスパイラルに陥っている。
いっそラルゴに助けを求めようかとも考えたが、親切にしてもらっても、雇い主と護衛の関係でしかない彼に、厄介が服を着て歩いているウィルの面倒を丸投げは出来ない。
むしろこの歩く面倒ごとは、何をしても拒否しきれないだろう。
凪の感情云々以前に、異界の神であるウィルを拒絶する力を持っていない。
神様が持ちうる、ずるすぎるチート能力を当たり前に行使する相手に、人とは無力な生き物でしかないのだ。
五日間慣れない運動に酷使された肉体は言うに及ばず、ぎりぎりと削られる精神力に、幼馴染の二人が恋しくなる。
ここに桜子や秀介がいれば、もう少し違った展開になっていただろう。
「・・・そう言えば、桜子や秀介は何処ですか」
先ほどから脳裏に浮かんでいたものの、口に出すタイミングが計れなかった疑問を告げると、叩かれても抓られても凪に触れるのをやめなかった腕が止まる。
瞳を眇めて眉根を寄せたウィルは、不貞腐れたように唇を尖らせふいっと視線を逸らした。
「知ら」
「知らないって言うのは止めてくださいね。この世界の神様が知らないはずないんですから。秀介はともかく、桜子は故意に私から離したんでしょう?私はいつ二人と会えるんですか?」
「・・・・・・」
「大体、私あなたを呼んでませんよね?耳飾に触れて願えばと言われましたが、そんなことした記憶ないんですけど」
言葉を連ねるにつれ不機嫌そうになるウィルの髪を引っ張る。
短い髪は気を抜くとすぐに指先から逃れるので、赤ん坊のように無遠慮な掴み方をするが、一向に抵抗はない。
凪が同じことをされたらすぐさま振り払い絶対零度の眼差しを向けるのに、寵愛の言葉は大袈裟じゃなく素晴らしく適当な表現らしい。
先ほどラルゴの武器が掠らずとも存在を消すなんて物騒な言葉を吐いたウィルは、直接的な攻撃を加える凪に攻撃をする気配はなかった。
「桜子と秀介は」
「お前は!」
「っ」
「お前は俺の愛し子だろう?なんで俺を呼ばずにあの二人を呼ぶんだ。折角あいつらを引き離したのに」
憮然として訴えた言葉は、我侭な子供みたいだった。
唇を尖らせ苛立ちも露に、否、苛立ちと言うより拗ねている彼は、瞳を眇めて凪を睨む。
絶対の力を持つ神を前にして恐怖を感じないのは、おかしなことに彼が絶対に自分を傷つけないと確信できるからだ。
警戒心の強い凪は、今までの経験から付き合いの短い相手を簡単に信じたりしない。
ここ五日ほど親切にしてくれたラルゴにしたってそうなのに、面倒ごとに巻き込み、厄介しか持ち込まないウィルは、不思議なまでに信じれた。
どうしてだろう、と思案し、彼の行動に裏表がないからだと気がつく。
ウィルはとんでもなく我侭で自分の欲求に正直な神だが、凪に対しては小さな子供のようだ。
母親を独占したがる幼子と同じで、興味や関心を持つ何もかもから遠ざけ、自分だけに目が行くように動く。
「あなたって、面倒ですね」
「どこが」
「全部がです。自分本位で勝手で我侭で、思ったとおりに行かないと駄々を捏ねる子供みたいです」
「・・・・・・」
「私の声は聞いても話は聞いてないですし、泉から見かけて偶々気に入ったからと異世界に送るし、人の魂を壊れてるとか歪んでるとか好き放題に貶すし、ラルゴが言うとおり性質が悪い」
「・・・・・・」
ぶすくれていた顔が情けなく歪み、赤い瞳が凪を見詰める。
さっきまで何様俺様神様状態だった彼は、ラルゴより遥かに弱い凪の言葉に打ちのめされているらしい。
凪の身体を自分のものだと撫でていた手は止まり、捨てられる前の子犬のような悲しげな眼差しを向ける。
「凪」
「何ですか?」
「───俺を嫌うな。お前は俺の愛し子だろ?」
「私から桜子と秀介を奪って、勝手に異世界に連れてきて、理不尽な祝福を与えたのにですか?」
「それでも、だ。お前は俺のなんだから、世界の誰が俺を厭うとしても俺を嫌うな」
やはり彼はとんでもなく我侭だ。
凪が必要とする誰より特別な二人を遠ざけ、自分の手中に収めようとし、尚且つ目一杯振り回すくせに嫌うなと命じる。
「・・・本当に、お嬢が可哀想だ。厄介で理不尽な神に気に入られてよ。断言してもいいぜ、この世界である意味一番不幸なのはあんただってな」
「冗談に聞こえないから止めて」
「そりゃそうだろ。俺は本気で心の底から同情してる」
可哀想だと全身で訴えるラルゴに、眉間の皺を解そうと指先でぐりぐりと押さえる。
もしここにくっきり跡ができるようになったら、確実に目の前の異界の神の所為だろう。
面倒で重たくて仕方ないが、この好意を邪魔だと跳ね除けるほど、凪はきっぱりした人間じゃない。
きゅんきゅんと鼻を鳴らす子犬のようなウィルの頭を仕方なく撫でてやる。
「嫌ってないです」
「・・・本当か?」
「今は、と注釈はつきますけど。桜子と秀介といつ会えるか教えてくれたら、嫌わないです。わざと離した事は怒ってますけどね」
「別に怒るのは構わねえ。嫌いじゃないなら許してやる」
「・・・許してもらうことは何一つないんですけど」
「止めとけ、お嬢。こいつはきっと何言っても聞かない手合いだ」
自分でもそう感じていたが、他人に断言されるとより救いがない気がして落ち込む。
凪の『嫌ってない』の言葉に勝手に回復したらしいウィルは、また上機嫌に身体を弄っているし懲りてない。
上から目線で許してやる、なんて一体何様だ。神様だけど。
一人ぼけ一人突っ込みに虚しさを感じつつ、三歩進んで二歩下がる会話に、がくりと気持ちを落ち込ませた。