5:神様と一緒
小鳥の鳴く声が窓の外から聞こえてくる。
少しずつはっきりする意識の中、軋みもしないスプリングと、上質な布団が最高のベッドに懐き倒した。
ダランについてから一番に案内された宿屋は、疲れのあまり外観や内装をあまり覚えていないけれど、凪が想像していたものと違い西洋の瀟洒な建築物のようだったとぼんやり思った。
歩くだけで意識が朦朧としていた凪は、ラルゴが取ってくれた部屋に案内されて早々意識が落ちた。
ふらふらとベッドまで歩み寄り、マントも脱がずに倒れこんだのは覚えている。
ラルゴが何か後ろで言っていた気がするが、もう何も覚えていない。
身体が望むままに睡眠を貪り、久し振りに柔らかい寝床に満足していた。
日本での凪はベッド派で、少しスプリングは固いのを好んだが、埋もれるくらいの柔らかさを初めていいと思った。
手触りのすべらかなシーツを手で手繰り寄せ、頭が埋もれるような枕の上で寝返りをうとうとし、ん?と疑問が沸く。
昨夜凪は布団の上からベッドに倒れこんだので、シーツは掛けていないはず。
それなのに身体にはしっかりと鮮明にシーツのさらさらとした感触が伝わってくる。
「んー・・・まだ寝てていいぞ」
「!!?」
耳元に掠れた低音が響き、びくりと身体を起こそうとして、腰に誰かの腕が回っているのに気がついた。
更に言うなら、少し固めの腕は布を通してではなく、直接凪に低めの体温を伝えている。
気づいてしまうとまどろみなど遥か彼方に吹っ飛んで、驚きすぎて悲鳴も上げれない。
がばり、と顔を上げれば、横向きに寝ている自分を抱いて瞼を閉じる白髪の美形。
背中に触れる感触から辛うじて彼が衣服を着ているのは判ったが、何の救いにもならなかった。
「・・・ここで何をしてるんですか」
知らず声が低くなり、瞳が半眼になる。
だが心地良さそうに瞼を閉じたまま緩く口角を上げた彼は、凪の頭の天辺に顎を乗せるとぐりぐりと動かした。
大人が可愛い子供を相手にするような仕草だが、遠慮のない力は息苦しく、内臓が出てしまいそうな勢いで腰を締め上げる。
蛙の潰れたような声が漏れ、慌ててばんばんと彼───異界の神の腕を叩いた。
「っ、内臓が出ます!出ちゃいます!」
「大丈夫だ。俺はお前の内臓が出ても気にしない」
「気にしてください!死んじゃいます!!」
「死んだら俺の御使いにしてやる」
「いらないです!いいから離して下さい!!」
きゅう、どころかぐっと更に抱き込まれ、今度こそ呼吸困難に陥る。
凪が全力で嫌がっているのも気にしないで抱きつく彼は、ちゅうっと小さな音を立てて凪の頬に口付けた。
「止めてください、異界の神様!ホント、苦しい、です!!」
「ウイトィラリル」
「は、?」
「俺の名前だ。お前に名前を教えるのを忘れたと思ってな、わざわざここまで会いに来てやった。どうだ、嬉しいだろ?」
嬉しくない。今にも内臓が口から出そうな勢いで締め上げられてる状態で、いくら顔がいい神様が目尻を照れくさそうに染めて、そっぽを向きながらツンデレ風に告げたとしても、Mの気質がない凪は喜びの欠片も感じない。
むしろさっさと離れて欲しい。寝起きに他人の体温を感じるのは、いい気分じゃない。
それが五日間気力を振り絞って漸く辿り着いた安息の地であれば、尚のこと。
「なあ、嬉しいって言えよ。この俺が直々に名乗ったんだぜ?」
「ぅ・・・」
「嬉しいだろ?嬉しいよな?嬉しいはずだ」
三段活用かと突っ込みたくなる活用形で、只管に異界の神は訴え続ける。
いつの間にか柔らかな枕は取り払われ、上から覗き込むようにして凪の顔を眺めていた。
どうだ、と答えを促す彼に、じとりと眉間に皺を寄せる。
最早これは脅迫じゃないのかと訴えたいが、誰に訴えればいいか判らないし、そもそもその訴えを聞いてくれる誰かもいない。
痛みを堪えゆるゆると息を吐き出して、眉尻を下げて白旗を上げた。
「ウレシイデス」
「あー?聞こえねぇな」
「ウイトィラリルサマノオナマエヲウカガエテ、ココロノソコカラヨロコンデマス!ワタシ、シアワセー!!」
「そうだろ、そうだろ。もっと喜べ!俺が自分から名乗ったのは、お前が初めてなんだぞ」
「ヘー、ソリャウレシイデスネ」
からっからに乾いた声で棒読みすれば、それでもよかったらしい彼は満足げに頷いて更に締め付けをきつくした。
これなら名前など呼ばなければよかったと、薄れ行く意識の中で考える。
凪を本気で気に入ったなら、少しくらい様子を見てくれてもいいんじゃないか。
視界が揺らぎ始める中、未だ機能する耳に上機嫌な声が響く。
「お前は俺の愛し子だ。だから親しみを篭めて『ご主人様』って呼んでもいいぞ」
「お、断り、します!」
「なんだと?俺の言葉が聞けねえのか?・・・ああ、そうか!名前で呼びたいのか!仕方ねえなぁ、お前は」
「そん、なこと、言ってな」
「『ウイトィラリル様』って呼ばれるのもいいが、それだと他の奴らも一緒だし・・・ああ、そうだ!『ウィル』でいい。特別に敬称もなしで許してやろう」
「だから、いいって、言って」
「照れるな、照れるな!ったく、お前はもう、どうしてやろうか!」
愛玩動物にめろめろな飼い主のように、でれでれと笑み崩れた異界の神こと、ウィルの顔が近づいてくる。
束縛する腕は緩めれられることはなく、今にも意識は途切れそうだ。
ぜいぜいと呼吸を荒くする凪に、にいっと嫌味なくらい格好いい表情で笑うと、ちょんと鼻の頭にキスをした。
目尻に浮かんだ痛み故の涙を舌で掬い、そのまま頬に唇を滑らす。
ちゅっちゅっと可愛らしい音を立てながら、全く可愛くない行動。
腕を精一杯伸ばして白髪を握り引っ張っても、ピジョンブラッドの瞳を細め、とても楽しそうに微笑んでいる。
凪の全力の抵抗は、彼にとっては微風にしかならず、小動物やペットがむずがるのと同じ感覚なのだろう。
「ち、から、抜いて!!」
「ヤだね。俺が満足するまで、このままだ」
「───っ!!!」
あまりの痛みに声なき悲鳴が上がったのと、ばたんとドアが開かれたのと、どちらが早かったのか、凪には判別がつかなかった。