23:どこの世界でも曲げたくないもの その6
ぼけっと麗人と強面の男二人で繰り広げられる漫才を見るともなしに見ていたら、不意に背後で風が動いた。
瞬間息をするより先に、褐色の肌が唸る。器用にもリュールから顔を逸らさぬまま、武器すら握らずにスナップを効かせて裏拳を叩きこんだ龍は、睥睨の色を瞳に込めている。
一撃を受けた何者かの影が上半身から背後に倒れそうになったところで、残った下半身に向け鮮やかな足払いがなされた。
だぼっとしたズボンに隠された長い脚の持ち主は華やかな美貌の主だ。笑顔も輝いている───目は、笑っていないけれど。
倒れたところで何のためらいもなく、ガーヴが足を乗せた。迷わず頭の上にブーツの踵を食い込ませる狼の視線も真冬の朝のように冷え切っている。
半分忘れかけていたが、ラルゴと繋いでない方の手は未だ彼と繋いだまま。
それなのに引っ張られることもなくぼーっと突っ立った体を自他ともに認める運動音痴の凪が維持できた。
不機嫌そうに鼻を鳴らした狼の少年は踵をぐりぐりとこめかみに押し付ける。
「そう言えば、ガーヴも強かったんだね」
「ッ!?おう、俺様は強いぞ!」
「尻の青いひよっこだけどな」
「子供相手に下品な表現はおやめなさい。品性のなさが移ります」
「俺にだって品性くらいある!」
「品性がある獣人はうら若き女性がいらっしゃる部屋で裸体で闊歩いたしません。もっとも、普通の神経を持つなら同性であろうと室内に獣人がいる時、平然と裸体で歩かないでしょうけれど」
まったくもってその通りだ。ラルゴを下品と評価したリュールの言葉に反論が出来ない。
無表情のまま内心で同意していたら、片手を握ったままの狼が『ぶっひゅう』と訳の分からない音を漏らした。
視線を向ければ足元にどこかの誰かを敷いたまま、涙目になりつつ両手で必死に口を押えている。
紅潮した頬。瞳孔が開いた虎珀の瞳。頭の上にある耳がへにゃりと下がり、尻尾が下がったまますごい勢いでぶんぶんと振られていた。
「ガーヴ」
「?」
「そんなに笑うの我慢するなら、笑っちゃえばいいと思うよ」
主人の『待て』の一言を忠実に守る犬の如く我慢を重ねていたガーヴに思わず許可を与えれば、ぱんぱんに空気を含んだ風船が破裂するがごとく勢いで笑いの奔流があふれ出た。
それはもう、凪がいなかった間の鬱憤を晴らすがごとく大声で遠慮がない笑い方だ。
人を指さしてはいけませんのマナーなどどこ吹く風。
全力でラルゴを指さして腹を抱えながら涙を流して笑っている。今の会話のどこにそんな爆笑のツボがあったかわからないが、ガーヴ的にはとても愉快なものだったらしい。
凪がいないこの数週間で一体彼に何があったのだろうか。とりあえずラルゴの前での萎縮した態度を見る限り、ストレスはたまったのだろう。村にいる時より極端に怯えていた。
ならむしろ再会してから今までの彼が大人しすぎただけで、ようやく以前の雰囲気に戻っただけか。
額に青筋を浮かべて大人げなく笑う子供に拳を握りしめたラルゴをリュールが華麗に蹴り飛ばしたが、それでも凪の掌を握った手は離さない上に、ほぼこちらには振動も来なかったのはさすがの一言に尽きるだろう。
さりげなくガーヴがリュールの後ろに位置づいたのに気付いたけれど、頭部の上に乗せた足は離さない。
そこまで観察してから、ゆっくりと唇を持ち上げた。
「ところで」
「なんだ、ナギ?」
「ガーヴが足の下に敷いてるその方は、どこのどなたさま?」
遅すぎる質問にようやく笑いの発作を収めたガーヴは、一つ瞬きして足元に視線をやる。
ぐりっともう一度踵を回し、顔を上げた。
にぱっと笑った表情は実に無邪気で悪意がない。
「俺様、知らねえ!」
「・・・・・・ラルゴは?」
「俺も知らねぇな」
無言でリュールを見やったが、考えるまでもなくダランに来たばかりの彼も知らない相手だろう。
両手を繋がれたままなのでしゃがんで相手の様子を鑑みることは出来ないが、代わりに立ったままで見える範疇を確認する。
緑の短く刈られた髪に、ラルゴほどではないが浅黒い肌。手足は細く腕が長い。
服装は黒に近い灰色のシャツとズボン。街中でもよくみかけるデザインの、一般的なものだ。
頭部を見ても耳はない。だが尻尾はある。
龍の一族だろうか。いや、龍にしては弱い気がする。ラルゴ基準だから怪しいけれど。
なんの種族か推理を巡らせていたら、男の身体が滲むように地面と同化し始めた。
「・・・カメレオン」
「蜥蜴だなぁ」
「そのようですね」
「へー・・・こっちにも蜥蜴はいるのか。俺様この街で蜥蜴を見たのは初めてだ」
「ダランは気候的に穏やかだからな。どの種族にも住みやすいんだ。───そいや、お嬢知ってるか?蜥蜴って尻尾切れても再生するんだぞ」
「おやめなさいな。それは蜥蜴の中でも一部だけでしょう。肌が同色化する蜥蜴は再生機能はないはずです」
「なんだ知ってたのか」
「当然です。好奇心旺盛な子供がいる前なのに余計な情報を口にしないでください。ガーヴ君も試そうとしてはいけません」
「はーい」
ブーツを蜥蜴の頭に乗せたまま尻尾を持ち上げようとしていたガーヴは、リュールの言葉に肩をすくませて首を振る。
しゃがみかけていた身体を起こそうとした時。
「あぶな」
「ッ」
前髪すれすれによぎった影を避けたガーヴの喉が低く唸る。
懐に入れた手が抜き出される前にリュールがそれを制し、瞳孔を開いた狼を鋭い視線で一瞥していなし、わき腹に蹴りを入れた。
鈍い音とともに今度こそ蜥蜴が動かなくなったのを確認してから、彼は足を退けるよう促した。
「なんだ、止めんのか?」
「止めますよ。ナギ様の前で血生臭い行為をさせるつもりですか。子供は手加減が下手な生き物ですよ」
「お嬢に危害を加えようってんだからある程度は仕方ねぇな」
「仕方なくないでしょう。このような下賤の輩の血など、ナギ様の目が穢れます」
ラルゴに向かって小言を始めたリュールの一撃も相当なものだったと思うが、判断基準は出血するか否かなのだろうか。
胃液を吐いて倒れている蜥蜴の腕を後ろに回し、親指と親指を可視が難しいほどの細い糸で結んだ狐は、目の前で行われなければ俄か信じがたい容赦ない蹴りをかましながら、相変わらず嫋やかな様子で佇んでいる。
汗ひとつかいてないどころか、視線が絡めば柔らかな笑みが返ってきた。
横から手ぬるいんじゃないかと訴えるラルゴと会話が始まり、この蜥蜴は本当に凪を狙ったのかとかいろいろ疑問を持ちながらも口に出さず二人を観察していると、ようやく足元から障害物がなくなったガーヴに繋いだ手を引っ張られた。
「なー、ナギ」
「何?」
「俺様リュールは結構常識人と思ってたんだけどさ、これって類は友を呼ぶってやつだよな」
無邪気な訴えは、読んで字の如く邪気がないだけに妙な説得力がある。
ラルゴと出会う前のリュール相手なら否定できたが、ほんのわずかで否定要素をなくしてしまった。
なので代わりに内心に込めていた疑問を口に出す。
「・・・この蜥蜴の獣人は、そもそも私を狙ってたの?」
「あー、ほれ、見てみろ、お嬢」
「これ、何?」
「捕縛用の網だ。本来なら中型の獣を傷つけず捕獲するために利用するもんなんだが、もともと掌に収まる程度の大きさで圧縮されているのを魔力で開放するんだ。ものによってが罠が仕掛けられてるのがあってな、オーソドックスなパターンだとしびれ薬や睡眠薬。これはしびれ薬の方だな」
「へぇ」
後ろ手に縛った蜥蜴の手から零れ落ちた、小さく四角状に折りたたまれたそれに力を込めて実演してくれたラルゴは、転がった男を容赦なく網で包んだ。
たった今『しびれ薬』が仕込まれてると言ってなかったかと思わなくもないが、自分に向かって使われようとしてたなら罪悪感もわかない。
あっという間に広がった網をまじまじと眺め、捕らわれた男はぴくぴく痙攣する。リュールの一撃で意識は失ってるはずだから、神経毒に対する身体の反射だろう。
「こんなの使おうとしてたの」
「ああ。あ、触んなよ。死に至るもんじゃねえけど、解毒剤がないと無駄にしびれが続くんだ」
伸ばしかけていた人差し指をひょいと引っ込め、無駄にしびれ続けるらしい網を眺める。
使おうとしたからには解毒剤くらい持っているだろうが、後ろ手で親指同士を結ばれ、転がされた状態で捕縛されていては飲むのは難しいだろう。
───仲間が、いない限り。
「手加減などするから無駄な抵抗をされるのですよ」
「無駄な抵抗されたけどよ、こっちも欲しい情報があったからなぁ」
「欲しい情報?」
「おう。ま、別にそれを聞くのはこいつじゃなくてもいいんだけどな」
ちらりとラルゴが視線を走らせる。つられて彼が向いた方に視線をやるが、凪には影も形も見えない。ついでのおまけに気配も感じない。
だが確かに彼は、否、彼らは獣人の気配を感じ取っているのだろう。
三人が三人とも似たような方角を見て剣呑に瞳を細めている。
「おい、お前らの主人とこに案内してもらおうか。毎度ねぐらを変える野郎の場所を探すなんて面倒だしな」
いつの間にか片手に持っていた捕縛用の網を投げつけたラルゴは、地引網漁の如く伸びた紐を片手で手繰り寄せる。
『無駄な抵抗』をする前に引きずられて姿を現した存在は、耳と尻尾をピンと立てて哀れなくらい硬直していた。