23:どこの世界でも曲げたくないもの その2
ガーヴと手を繋いだままたどり着いた場所は、やはり予想通りのところだった。
片手に手土産の入った袋を持った凪を見詰める大柄で、ちょっと見はかなり怖いけど中身は優しい獅子の人ににこりと笑顔で頭を下げる。
鋭い瞳を僅かに丸くした彼は、尻尾の毛をびびっと逆立てると驚いたような声を上げた。
「久しぶりだな、お嬢さん!サバンナから戻ったのは聞いてたけど元気そうでよかった。朝から厄介ごとに巻き込まれたみたいだな。ガーヴも怪我がなさそうで何よりだ」
「ラルゴがいてくれたお陰で大事には到りませんでした。昨日戻ったばかりなんですけど、ガーヴがお世話になっていた方は、やっぱりダイナスさんだったんですね」
自宅前に出している露店を片付けていた手を止めたダイナスは、いつぞやのふりふりエプロンではなく、余計な飾り気のない黒のエプロンを身につけていた。
初対面の頃から何度か通っていたが、凪がサーヴェルに移動する前は着ていなかったので、新しく購入したのだろう。
やはり獣人には似合う格好というものがある。
ファーストインパクトは強烈過ぎるものだったけど、あれに比べたら今の格好は随分と落ち着いて男前に見えた。
「親父さん、ナギと知り合いなのか?」
「ああ。俺の店が軌道に乗ったのはお嬢さんのお陰だ。感謝してる。だから今回恩を返せる機会をもらえて良かった。ありがとうな、ラルゴ」
「いや、俺も世間知らずの小僧を預かってもらって助かったぜ」
「気にするな。ガーヴは働き者で子供の面倒見もいいから俺の方こそ助かった。お前さんから預かった生活費だが、そのままコイツのアルバイト代にさせてもらったが構わなかったか?」
「それだけの働きをあんたがしたって認めるなら構わない。俺も子守の手間が省けたしな」
いつの間にか隣に来ていたラルゴが、ひょいと肩を竦めた。
ガーヴがあまりにも泣くからひょっとして見知らぬ街に放り出すというスパルタに出たのかと思ったけれど、あらかじめ根回しした上で手を放したらしい。
凪に対する態度とかなり違うものの、これも一種の過激な愛情表現なのだろうか。
いや、凪には甘いものの割りとドライで割り切った考えを持つところもあるラルゴは、語った以上の感情をガーヴに抱いていないだろう。
子守の手間も省けて世間も見せれる。しかも預けた相手はある程度信頼も置ける上、依頼する上で生活費などの諸費用もあらかじめ支払っていたなら相手に借りを作るにしても、最低限で済む。
凪が知る限りダイナスは損得勘定だけで動く男ではないし、ラルゴの選んだ人選はきっと正しい。そして本人が意識してるかわからないけれど、ガーヴのためにもなっただろう。
ここら辺考えて無さそうでやっぱり色々と考えて気配りしている龍は凄い。たとえ普段がどれだけあれだとしても、純粋に尊敬できた。
「・・・親父さん、こいつとも知り合いなのか?」
「まあな。お嬢さんの鉄壁の要塞だ。うちに来る常連のやつがお嬢さんに何度か粉かけようとしてるが、毎回視線だけで撃退しちまう。おっかない龍だよ、本当に」
「はっ、俺の目の前でお嬢に粉かけようとするのが悪いんだろ。つーか、俺の目の前じゃなくても許さねぇけどな」
不機嫌そうに唸るような声を出したラルゴに、ダイナスは喉を震わせた。
こんなに機嫌が悪そうなラルゴを前にして笑ってられる獣人はそう見たことがない。やはり彼も一角の人物なのだろうと、肝の据わり具合に感心する。
凪ならもしこんな巨漢が睨みつけてきたら、視線だけでもさっさと踵を返して逃げるに決まっている。どう逆立ちしたって敵うわけがないのだし、三十六計逃げるが勝ちというものだ。
ダイナスも体格がいいとはいえ、龍のラルゴほどではない。見た目はどっこいどっこいくらいに怖いけど、内面を知れば、内側に入れる人数が多いのはきっとダイナスのほうだろう。
もっとも凪としてはラルゴの器がどれだけ小さかろうと、狭かろうと気にしない。自分はもう彼の内側にいれてもらってる自覚がある。
依頼主として以上に保護者として構ってくれ、心を砕いてくれる龍には感謝していた。
「あの、これは些細ですがガーヴを預かってくれていたお礼です」
「いや、さっきも言った通り俺はラルゴから生活費も含めて先に受け取ってるから気にする必要はない。むしろこっちがもらい過ぎてるくらいだ」
「じゃあラルゴ、はい。ガーヴの生活費、払ってくれてありがとう」
ダイナスに差し出した焼き菓子の入った袋を、方向転換してラルゴに差し出す。
唐突な移動でどうしようもなかったとはいえ、もともとガーヴは一応凪が身元預かり人のようなものだ。
無責任に放置していた間ラルゴが手を回してくれて、彼に掛かる費用も払ってくれたならきちんと返すべきだろう。
契約金の諸経費の部分に上乗せすればいいのだろうか。考えながら彼を見上げると、ちょうどこちらを見下ろした龍と視線が絡んだ。
しかしゆっくり瞬きしてから口角を持ち上げたラルゴは、首を振って差し出した焼き菓子の受け取りを拒否した。
「いや、俺は遠慮しておく。それはお嬢がそいつらに喜んでもらうために選んだものだろ?俺は厄介払いも兼ねてたし気にする必要はねえさ」
「でも必要経費は私が払う。そういう契約でしょ」
「んじゃ、その、金はいらねぇからお嬢が俺の恋」
「言わせませんよ。ええ、それ以上は絶対に」
もじもじと人差し指をあわせて目尻を赤らめたラルゴが最後まで発言する前に、今の今までラルゴの背後に立って気配を殺していたリュールの声が静かに響いた。
静かだが深くて濃い怒りを感じるとても物騒な声に、そそっと視線を俯ける。
凪は何も見ていない。細くて白い指先が太いラルゴの首に掛かっていたなんて、絶対に気のせいだ。
大柄な龍の巨体に隠れるようにしていた狐の突然の登場に隻眼を見開いた獅子は、しかしすぐに気を取り直して小さく苦笑した。
「なんだ、そっちの美人さんは随分と物騒な雰囲気を出すな。一見すると優男に見えるのに腕っ節も強そうだ」
「・・・どうして私を男だと?」
余計なことは言うまいと沈黙を貫いたが、その疑問は凪も持った。ガーヴも不思議そうに小首を傾げている。
そんな自分たちの様子に眉尻を下げて肩を竦めたダイナスは、『綺麗だけど間違いようがない』と残念そうに呟いた。
「見えてる骨格が男だ。厚着して化粧してりゃ、すぐに気付けなかったかもしれないけどな」
「なるほど」
「もっともお前さんが別嬪なのは変わりないけどな。お嬢さんと並ぶと絵になる。ここらは物騒な地域じゃないからまだいいが、変な区画に入り込むとすぐに厄介ごとに巻き込まれるから注意した方がいい。腕っ節が強くても面倒ごとは嫌だろ?」
「ええ。ご忠告痛み入ります」
ラルゴの首から手を放したリュールは、つい先刻までの暴挙を思い起こすことも出来ないような上品な仕草で艶やかに笑った。
意外と彼も類は友を呼んだ獣人なのかもしれないと、ぼんやりと眺めてそう思った。