23:どこの世界でも曲げたくないもの
「たーのしいな!たーのしいぞ!俺様、たーのしいぞー。ナギーが帰って、ご飯もおいしー、俺様しあわせ、ふんばっぱー」
「・・・・・・」
ぶんぶんと、繋がれた手が前後に振られる。ついでに勢いに飲まれて凪の身体もがくがくと動く。
掌を握る力は痛みを感じない程度なのに、解けないよう結ばれていた。お陰で手よりも肩が痛い。
凪とガーヴでは歩幅も違うし身長差もある。こうして一緒に歩いていると、ラルゴは普段思いきり凪に合わせてくれているのだと実感した。
しかし身体的な苦痛より、現在は精神的な苦痛に苛まれている。ちらほらとこちらに投げかけられる視線と、微笑ましそうな笑いと、偶に混じる失笑に、俯きそうになる顔を持ち上げた凪は、腹の底から深いため息を吐き出した。
ガーヴは凪より身長も高く、年齢より大人びた容姿をしているが、中身は割りと子供だ。年齢を考慮すれば少し幼いと感じるくらいだが、無邪気で奔放な性格なのだろう。
肉食獣らしく物騒な気配を発するときもあるけれど、ダランに来てからは見ていない。ラルゴやその他の獣人に苛められて萎縮してる場面が最後に記憶したものなので、随分とリラックス出来ているのだと喜ばしいくらいだった。
喜ばしいくらいなのだが───。
「ガーヴ」
「んー?なんだ?」
嬉しそうに輝く琥珀色の瞳が凪を覗き込む。満面の笑みを浮かべていたらやっぱり年相応だなと感じつつ、凪は口を開いた。
「その歌、何?」
「よろこんだ歌だ!」
「・・・・・・」
「俺様が作ったんだぞ!凄いだろ」
千切れんばかりに尻尾を振る狼は、誉めてくれと言葉以上に視線で訴えてくる。
ひくり、と引きつる口角を何とか宥めて、とりあえず『凄いね』と掠れた声を出した。
その一言で益々機嫌が上昇したらしい彼は、にぱっと笑うとまた声高らかに突っ込みどころ満載の歌を歌いだす。
突き刺さる視線が痛い。目立ちたくない、地味に過ごしたい凪としては、痛すぎる視線だ。
せめて歌詞の意味がもう少し深ければいいのに、子供よりも子供らしさ全開の歌は、なまじ声がいいだけに耳によく通る。
でも意味不明。とりあえず喜んでくれているのも、機嫌がいいのも伝わってくるのだが、凪の知っている似たタイトルの歌とは随分と印象が違った。
「・・・お嬢」
「何?」
「あのさ、恥ずかしくねえのか?」
「・・・冷静に確認するの、やめて欲しい。物凄くいたたまれないから」
「大丈夫です、ナギ様。お二人のやり取りはとても初々しくて可愛らしいですよ。まるで幼い子供の恋人ごっこのような遣り取りで」
「あぁん?テメェ今聞き捨てならないことを言ったな?あ?もう一度言ってみろ」
「二人並んでると幼い子供が恋人ごっこをしてるみたいで微笑ましいです」
「言いやがったな、リュール。言っちゃなんねえ言葉を二度も口にしたな?」
「・・・言えと言ったり言うなと言ったり、結局どちらなのですか。親父の嫉妬は見苦しいですよ、この好色男」
「───っ、俺は親父じゃねぇ!お前とほとんど変わらねぇ年齢だ!そしてお嬢の前で好色とか言うな!変な言葉覚えちゃったらどうすんだ!」
「好色の意味くらい教えられなくとも知ってるよ。ラルゴのことでしょ?」
「ほれみろ!どうしてくれんだお前!お嬢が変なこと覚えちゃっただろうが!」
「ナギ様は初めからご存知と仰ったではありませんか。言葉の意味を理解した上での解説ならば、彼女の認識も私と同じということでしょう」
「認めねぇ!俺はお嬢がそんなこと考えてるなんて絶対に認めねぇ!」
背後で巨漢、強面の龍が頭を抱えて身もだえするのに、隣で手を繋いでいるガーヴが耳を立てて硬直する。
いきなり公道で地団太踏んで暴れる男を睥睨しているリュールと同じでドン引きしてるのだろうか。
だが彼の顔を下から観察し、そうじゃないと気付く。暴れているようにも見えるラルゴに怯えているようだった。
本当に、凪が居ない間にどれだけ上下関係を仕込んだのかと眉が寄る。些かやり過ぎだと思えるが、こちらの世界では常識なのだろうか。
「ちょっと、いい年をして尻尾を無造作に振り回すのはやめていただけませんか。埃が舞います」
「うっせー、馬鹿。なぁ、お嬢。誤解だ。そりゃ昔は潔白とは言えねぇが、何もなかったら逆に男としておかしいだろ?大丈夫、安心してくれ。今じゃ俺の身体は綺麗なもんだし、全部お嬢専用になってるから!さあ好きにしていいぞ!」
そう言って何故か両腕を広げたラルゴから、ガーヴと揃って一歩後ろに下がった。
別に言い合わせたわけじゃないが、同時に本能的な恐怖を感じたらしい。
凪はとてもじゃないけどガーヴほど野生の勘は働きそうにないのに、それほどラルゴの言葉が怪しかったということか。
眉間の皺も先刻よりずっと深くなり、思わず渋い表情になった。
「引く。ドン引きする、その宣言」
「私は鳥肌が立ちました。やはりこの男の傍は危険です。ナギ様もガーヴ君もこちらにいらっしゃいな。色々な意味で穢れますよ。私がこの身にかえてもお守りしますから。卑猥な言葉を婦女子に投げかけて喜ぶような変質的な趣味を持つ男とは可及的速やかに別れた方がよろしいかと思います」
「いや、そういう発想に行くお前の方が卑猥だろ!俺は純粋な気持ちで俺をお嬢に捧げようと───」
「純粋な気持ちとは具体的に説明いただけますか」
「そりゃ、その、いざとなったら俺を盾にしてでも何者からも守ってやろうとか、近づく男は全員ぶっ飛ばしてやろうとか、美味しいもの沢山食べさせてやろうとか、その内緑が多い郊外にでも家を買って一緒に暮らして、子供は男二人に女の子三人で、娘はお嬢に似てて俺のことが大好きで、『大きくなったらパパとけっこんするー』とか言われて、でも俺はお嬢一筋だから『パパにはママがいるから駄目だな』って言って、んで娘たちは泣いちゃうけど何とか慰めたりなんかして」
「・・・あなたのそれはほとんどが純粋な気持ちではなく、邪まな心が見せる妄想です。顔が盛大に崩れてますよ、気色悪い」
「気色悪い!?お前、それ言い過ぎだろ!俺の夢のどこが気持ち悪いんだ!」
「夢が云々ではなく、その妄想力が気色悪いんです。ああ、どうしましょう。鳥肌が収まりません。かくなる上は原因を根本から断ち切るしか」
凪とガーヴを背中に庇うようにしながら低く呟かれた内容に、ラルゴがびくりと肩を震わす。
そして慌てる様子を隠さず、顔の前で両手を振った。
「やめろよ、お前の言葉は冗談に聞こえねぇ」
「冗談ではありませんから」
「お嬢ー、俺、陰険な狐に苛められてるー」
「・・・あ、ガーヴ見て。美味しそうな果物が沢山並んでる」
「本当だ!俺様、あの熟れたのが食べたい」
「無視かよ!」
無視もしたくなる。先刻からガーヴが歌を歌っていた時より視線がびしばし突き刺さってくるのだ、他人のふりもしたっていいはずだ。
こきこきと指を鳴らすリュールからもそそっと距離を置いた。彼が見た目どおりの優男じゃないのももう知っている。
魂吾として影となり動いてきた彼は、凪が思うよりずっと強かった。考えてみれば自分の身を守る必要がある立場にいて、基本的に誰の力も借りられないのであれば彼は心身ともに強くなければならないのに、何故思い至らなかったのか不思議なくらいだった。
弱肉強食。一般人として庶民の暮らししか知らない平和ボケした凪からすると想像もできない世界で生きてきたリュールなら、ラルゴの相手を任せても大丈夫だろう。
「あ、あっちの焼き菓子も美味しいんだよ。ガーヴは食べたことある?」
「いや、ない。美味そうな匂いだな~、あ、涎出てきた」
「うん、涎は拭こうね。はい、ハンカチ」
「サンキュー」
まるでご飯を前にお預けされた犬みたいに止め処なく涎を零す狼に苦笑して、ポケットからハンカチを取り差し出す。
礼を言った狼は、にかっと笑うと躊躇なく口の端から垂れる涎を拭った。そしてそのままの状態で躊躇なく突き出してくる。
にっこにこと満面の笑みを浮かべる年下の少年に、仕方ないなと苦笑した。今、ラルゴの意識がリュールに逸れていてよかったと思う。
そうじゃなければまた、『お嬢に涎つきのハンカチを渡すとかありえねぇ!』と怒っただろう。
子供なら許されるのだが、年下でもガーヴはラルゴにとって男とカウントされるらしく、存外に手厳しい。
ああ、でももしかすると彼の常識からするとガーヴは子供じゃないのかもしれない。以前成人年齢は種族によって違い、龍は13からだと言っていた。
つまりラルゴの視点ではガーヴはもう成人済みの一人前の男で、対等にみなしているからこそ口がきつくなるのかもしれない。
「ガーヴも気になるなら、手土産はあれにしようか」
「手土産?」
「今からガーヴがお世話になっていたところに行くんでしょう?一応私はこっちではガーヴの一時的な身内?みたいなものだから、お世話になっていますってご挨拶するんだよ」
「一時的な身内?って最後にはてなが付くのか?」
「うん。一時的な身内?まででひと括りだね。本当なら独り立ちするまで私が面倒見るって言ってて、ラルゴにも協力してもらってるんだから、無責任なことしてた間にお世話になってる獣人には挨拶しなきゃ。『うちのガーヴがお世話になってます』ってね」
「ふーん、そういうもんなのか」
「そうそう、そういうもんなのだ。と、言うわけであの二人がやりあってる今の内に私たちで好きなの選ぼう。菓子折りを持ってご挨拶は基本中の基本だからね」
「そうなのか、基本中の基本なのか。わかった、覚えたぞ!」
ぴこりと三角の触り心地が良さそうな耳を立てた狼に、凪は満足げに頷いた。
後ろでなにやら物騒な音が聞こえてくる気もするが、絶対に気のせいだ。気にしない、気にしない。気にしたら負けだ。
「あ、あっちの玩具も見に行こう。あの子たちはどんなのが好きかな」
「それも土産か?おっさんには似合わないな」
「大丈夫、ダイナスさん宛じゃないから」
「そっかー、なら大丈夫だな」
へらっと笑ったガーヴは、自分で言った言葉に『ん?』と疑問を感じて首を傾げる。
さらりと流しているので気付いていないようだが、昨日からの会話の流れで凪にはもうガーヴがどこに預けられていたか大体の見当は付いていた。
だから目的地を前提としてお土産を渡す相手を思い描きながら選んでいて、駄菓子屋にあるような玩具はガーヴが思い描く獣人には確かに似合わないと否定した。
しかしテンションが上がっているガーヴは自然な会話に疑問を抱くのがワンテンポ遅れて、遅れてから考えたら何に疑問を持ったかもわからなくなっている。
3歳しか変わらないはずなのに、やっぱり凄く年下の子供みたいだと、べたべたのハンカチを内側から折り返して小さく畳みなおすと、そのままポケットの中に仕舞いいれた。