22:夜が過ぎたら朝は来るもので その8
小食ながらもいろんな種類の味を贅沢に味わいたい凪が一通り食事を済ませる頃には、背後でごたごたしていた気配も治まっていた。
物音や悲鳴に似た声が聞こえてきても見ざる聞かざる言わざるを通し、ご飯に夢中になっていたガーヴと話をしながら比較的穏やかに過ごした気がする。
一応二人で食べ切れなかった食事が残っているが、リュール一人なら厳しくてもラルゴの胃袋なら余裕で収納してくれるだろう。
そんな事をぼんやりと考えながら『ごちそうさま』と食事の終わりに手を合わせる。
本来ならその習慣もないガーヴも、村に居た頃と同様付き合って音を立てて元気に手を合わせて頭を下げた。
好奇心旺盛な年下の狼は、異世界人と知る前からずっと面白そうに凪の行動の真似をする。
まるで言葉を覚えたての子供が親の言葉を判読してる様子に似ていた。
きらきらした眼差しで何が面白いのかわからないがじいっと凪の動きを見詰めて、時に真似をして、時に笑って、擽ったくなるような表情を浮かべたりもする。
そして今日は上手くできたのが嬉しかったのか、誉めてくれとばかりに琥珀色の瞳に期待を滲ませて尻尾をぶんぶんと振っていた。
「偉い、偉い」
「ん」
自分より高いところにある頭をくりくりと撫でてやる。
大きな三角の耳は機嫌よくぴんと立っており、擽るように後ろの辺りを指で掻くと嬉しそうに更に尻尾がパタパタ動いた。
くふくふと琥珀色の瞳を細めて笑うガーヴの様子に敏感に反応したのは、やはりと言うか後ろでまだごそごそやっていた内の一人だ。
「あ、テメ、コラ!お嬢に破廉恥なことさせるな!」
「・・・破廉恥なのはあなたの存在そのものです。無邪気な子供に対して邪気ある言葉を投げつけないでください。育つ方向性があなたのように捻じ曲がります」
いっそ甘く聞こえるような優しい響きに釣られて振り返り、見ない方が良かったと表情を変えずに内心で後悔した。
未だに着物っぽい服装を身につけたままのリュールのおみ足が、ふん縛られたままのラルゴをげしげしと足蹴にしている。
女の凪から見ても婀娜っぽく艶かしいチラリズム。ラルゴが昔トチ狂ったのも理解できそうで、いかんいかんと首を振った。
「ラルゴもリュールさんも、そろそろ食事を再開したらどうでしょう?リュールさんの服も欲しいですし」
「それもそうだな。俺も腹減った」
「・・・マジック?」
「まじっく・・・?魔法のことか?」
「違う、手品のほう」
どこまでも都合よく翻訳される言葉の意味を説明しつつ、目の前の光景に密かに驚く。
がちがちに縛られて身動き取れないように見えたラルゴは、尻尾を使って立ち上がると、どこをどうしたのか綺麗に身を縛っていた糸を解いた。
するすると落ちていく糸は時折窓から差し込む光に反射してきらりと光る。思うより美しい光景に見惚れていると、ふっと目の前に影が出来た。
「俺の色男っぷりに見惚れたのか、お嬢」
「・・・ラルゴじゃなくて、光に反射して煌いた糸に見惚れたの。綺麗だなって」
「なーんだ、つまんねぇの」
「それより近い。ご飯ならあっち」
「お嬢が食べさせてくんねえの?」
「・・・締め付けるだけじゃ足りないみたいですね。無駄口を叩く口ごと落としましょうか」
「不意をつかねぇ限りお前じゃ無理だな。つか、さっさと飯食え」
苛立ちを含んだ声音をさらりと受け流したラルゴは、まだ床の上に置いてある食料を手に貪り始める。
首を絞める糸も片方の掌を動かすと、するりと解けた。まったくどうなっているかわからない。
落ちた糸は床の上に円を描くようにして落ちた。まるでウィルが凪に対する干渉を厭うた時のようだ。
しかしラルゴは紛れもない実体を持つ獣人で、どうすればああなるのか不思議だ。何かトリックでもあるのだろうか。
不器用なように見えて物凄く器用な龍は、落ちた糸を気にすることもなく食料に手を伸ばす。
どんどんと減っていく食料を眺めながらふと視線を横にずらすと、そんなラルゴを睥睨する眼差しで見下ろしたリュールが、瞬き一つで感情を消すとおっとりとした、凪も見慣れた微笑みを浮かべた。
「私はもう結構です。ナギ様たちの心遣いで胸がいっぱいになってしまって。沢山お食事を用意してくださったのに申し訳ありません」
「・・・でも足りないんじゃないですか?」
「いいえ。それより衣服を購入する前に寄っていただきたい場所があるのですが、お願いできますか?」
「構いませんけど・・・どちらに寄り道を?」
「質屋に。何を買うにもお金は入用でしょう?いかに私が箱入りだとしても理解しております」
「お金なら私が」
「『私が払う』なんて仰らないでくださいませ。そこまで甘えるわけには参りません。金色の籠から自由になりたいと望んだのは私です。手段を差し伸べてくださったのはあなたですが、選んだのは私なのです。男として選択した道の責任を女人に取らせるつもりはございません」
「リュールさん」
「私は私の道を行きます。───と言っても軍資金は実家から頂戴してきたものですけれどね。今までの働きの駄賃と思えば安いものでしょう」
唇に男にしては白くて細い指を当てた彼は、初めて見せる表情でコケティッシュにウィンクをする。
妖艶にして美麗。男だとわかっていても見惚れてしまうくらいの麗人は、どこか可愛らしい表情で笑った。
閉じ込められていた世界では見せなかった笑顔は、きっと彼本来の魅力を最大限に発揮されたものだろう。
たった一夜で全てを振り切れるなんて思っていない。けれどたった一夜でも、何かを吹っ切る切欠は作れる。
がむしゃらに食事を続けていたラルゴが近くに置いておいた飲み物をぐいっと飲み干すと、ぷはあと思い切り息を吐き出す。
唇から零れた分は手の甲で拭い、それを見たリュールが嘆息して胸元を探るとラルゴに渡して汚すには勿体無いくらい綺麗な染めの入った手ぬぐいを差し出した。
凪の着るものには異様なこだわりを見せるくせに、それ以外にはどうにも無頓着な龍だ。
ぐっちゃりと濡れた手ぬぐいを無造作にほいっと返すラルゴに、笑顔のリュールの顔が引きつる。
彼の気持ちも理解できる。普通洗濯して返すとか、それが無理でももうちょっと濡れてない面を表にして申し訳無さそうに遠慮がちに返すとか、色々気遣い出来るんじゃないだろうか。
恐る恐るリュールの反応を窺っていたら、もう怒るのも疲れたのか、呆れを滲ませて疲れも露に受け取っていた。
胸元に仕舞う前にさり気無くどこからともなく取り出したもう一枚の手ぬぐいで包んでいたのを、凪は見逃さなかったが、口には出さない。
すっかり残っていた食料を平らげたラルゴは腹を摩りつつ満足げな笑みを浮かべると、何故か凪の頭を撫でてきた。
彼にとっては日常的なスキンシップになりつつあるのか、こちらも慣れてしまって今更どうとも思わない。
好きにさせていると再び背後からなんとも言えないオーラが漂っている気もするし、目の前にはきゅるんと琥珀色の瞳が不満そうに潤んでいる。
朝から本当に色んな意味で濃すぎると嘆息した凪を傍目に、凪とのスキンシップと満腹感で機嫌上昇中の龍は、胸元を探ると手にした何かを背後に立つリュールに放る。
後ろに目が付いてるのかと思えるくらい正確無比に狐の手に収まったそれをまじまじと見詰めたリュールは、眉間を押さえてゆっくりと息を吐き出した。
「出かける前に、色くらいは変えておけ。いくらダランには様々な獣人が集まるっつっても『白狐』は例外だ。一族の誇り、なんて下らない言葉でお嬢の身を危険に曝そうとするなよ?自分の希少性を自覚した上で行動しないなら、すぐに失せろ」
「・・・言われずとも、理解しておりますよ。愚鈍なようでいて気が回る。相変わらず抜け目ないことで安心しましたよ。そうでなければ生まれたての子猫よりも愛くるしく魅惑的でありながら自由を好むナギ様の護衛など許容できませんから」
「ははっ、そう誉めんな。一度染めると一月は効果が持続する。落としたければそれ専用の薬液が必要だからそれも後で渡すな。それと服は俺のになるが、似合わないのは我慢しろ。体格と体型が違うからって男としてのプライドを意識しなくていいぜ」
ごいんと結構な音がして、隣で床に額づくようにして沈んだラルゴからそっと距離を取る。
ふと視線を前に向けると、目の前に居たガーヴもなるべく視線を逸らしながらそそそっと距離を置いていた。
今のは完全にラルゴが悪い。
いつ染め粉なんて購入してたのかと感心した心を踏み躙るように、ついでのおまけにリュールの男としての矜持もぐりぐりと踏み躙っていた。
確かに彼では巨漢と呼んで差し支えないラルゴの服を身に纏うと、中世的な美しさを持つリュールは彼氏の服を来た彼女みたいな格好になってしまう気がする。
「それではナギ様、ガーヴ君、少しだけお待ちくださいね。すぐに用意してまいりますから」
「っ!?は、はい!」
「ゆっくりでも気にしないでください。時間に余裕はありますから」
爽やかな笑顔で風呂場への扉を開けていつの間にか用意されていた───おそらくこちらもラルゴが準備しておいた───着替えとタオルを持って消えていくリュールを見送って、緊張で詰まっていた息をゆったりと吐き出す。
同じように安堵のため息を吐き出したガーヴの頭をもう一度撫でると、心地良さそうに瞳を細めた。
そして同様に凪も彼から伝わる体温にほっと胸を撫で下ろし、思ったより跳ねていた心臓を落ち着かせる。
それにしても、と今度こそ完全に気絶してるらしいラルゴの顔を横目で眺めた。
先刻の彼の台詞は凪も確かに思っていたものだけど、口にしないのがマナーだろうと、今度こそ綺麗に気絶しているらしい龍を指先で突く。
それでも凪には気付けなかった気遣いを当たり前にして色々と考えてくれていたラルゴに感謝しつつ、扉の奥から聞こえる水音をBGMに散らかった床の上の片づけをすべく空になったゴミを回収して、昼までに用事をすべて終えられるか一抹の不安に駆られた。