22:夜が過ぎたら朝は来るもので その7
うまうまと朝食をがっつくガーヴを微笑ましそうに見詰めながら、リュールは上品に魚の串焼きを口に運ぶ。
同じように絨毯の上にじかに座っての状況でも、二人の間には気品の違いが明確に現れている。
もそもそと口元に肉の照り焼きをパンに挟んだものを口に運びながら、それ以前の獣人に視線を投げた。
「お嬢ー、次はそっちの肉がいい。くれ」
「はい」
「ん」
もう彼に関しては気品以前の問題だろう。
突っ込まずに放置しておいた凪も悪かったが、結局目視し辛い糸でふん縛られたままの状態で床に転がっている。
こちらも床の上で食事しているのは同じだが、彼の場合は行儀云々じゃない。
動けないように縛られたまま転がってるのに大した動揺も見せずに、何故か食事風景に溶け込んでいた。
ある意味凄い。龍は獣人としてのヒエラルキーは頂点に居るはずだが、彼らのプライドはどう構成されているのだろうか。
露店での買出しには箸やフォークやナイフは付属でついてこない。
受け皿もなく、直接包んでもらった紙袋から食料をほぼ手づかみに近い状態で食べている。
ちなみにほぼ、とつけたのはタレが付いている串焼きじゃないものは、単品で紙に包んでもらっているからだ。
一応紙越しで手は汚れないよう工夫している。工夫はしているのだ、一応。
それなのにひょいひょいと凪が口元に運ぶ食料を器用に受け取って頬張るラルゴと違い、両手両足が自由なくせに口元を著しく汚しているガーヴを見て苦笑する。
秀介の弟妹と同じくらいの年齢なのに、彼の方が子供っぽく見えるのは、こんな部分が表に出るからだろう。
狼の一族が住む村では村長の息子らしい威厳もあった気がするだが、今はどこに行ってしまったのか。
ぼろぼろと口から零れる食べかすにリュールが淡い苦笑を浮かべて甲斐甲斐しく世話をしているのがなんとも微笑ましい。
「なんだろう、この差は」
「んー?どうかしたのか?」
「・・・・・・」
もっほもっほと口を動かしながら、大きな龍の胃袋を宥めるべく食事に勤しむラルゴの口元には食べかすはない。綺麗なものだ。
しかし食事をさせている───というか最早餌付けに近い状態で大口を空けている相手に串を持っていく自分は飼育係にしか見えないだろう。
あちらのほのぼのとした、たとえるなら保育士と園児のような関係との差を鑑みると、何をしてるのだろうと思わなくもない。
だが自慢じゃないが凪にはリュールが操った糸を解く力量はないし、ラルゴも解かないということは何か理由があるのだろう。
ラルゴにしても可愛さが足りないがまったくないわけじゃない。大口を開けて食料を待っているところなんか、飛び立つ前のツバメの子供みたいだ。
幼い頃あんなに大口を開けて顎が外れないのかと感心した日を思い出しながら、やっぱり可愛くないかもしれないと、とりあえず食べかけのパンを差し出した。
「ナギ様」
「はい」
すると直後に背後からリュールの声が掛けられ、思わず背筋がぴんと伸びる。
絨毯の上に正座していた凪は、とりあえず掌を一度床につけてから身体ごとリュールへと向き直った。
そちらにいる輝かしい、目が潰れてしまいそうなくらい麗しい顔に笑顔を乗せた彼は、月白の髪をさらりと靡かせ小首を傾げる。
本当に綺麗な狐だ。男か女か見分けが付かない中性的に整った顔立ちもそうだが、清廉な彼の雰囲気も美しさの要因だと思う。
そのくせふと目を伏せるだけで麗しさが妖艶さに変化するのだから、女として根本的に負けている気がした。
「何故、食べ掛けを差し出すのですか?口をつけてない料理は沢山あるでしょうに」
甘ったるく一見すれば優しげに見える微笑み。
なのにどうしてか無言で圧力を掛けられている気がして、背中に汗がつつっと流れた。
答えは単純で、美味しいものを沢山食べたいものの胃袋が小さい凪が、少しだけ食べて残りを胃袋が大きいラルゴに食べてもらおうと打算的な行動を行儀悪く実践しているだけなのだけど、口に出すには勇気がいる。
リュールと過ごしていた二週間弱の間で食事マナーに関して大きく注意されたことはなかったのだが、回し食いはさすがに駄目だったろうか。
どう答えれば彼を刺激しないだろうかと丁度いい言葉を捜していたら、その前にあっさりと第三者が入り込んだ。
「お嬢は食い意地が張ってんだけど、胃袋が小さくてな。お嬢が食べれない分は俺が食べるって、こっちに来たときから恒例なんだ」
「・・・・・・」
「あ、お前今いやらしいこと想像しただろ。間接キス!?言われなくたってわかってるっての。っかー、他人に言われると照れるな、おい」
誰も『間接キス』なんて言葉を発していない。
そもそもリュールが間接キスなんて言葉を知っているのだろうかと、おそるおそる視線を向けると麗しき佳人は素晴らしくいい笑顔を浮かべていた。
「ぐえ」
何をしたのかわからない。
しかしラルゴが呻き声を上げたと言うことは、リュールが何かしらの行動を起こしたということだろう。
知りたいとも思えないが怖いもの見たさで後ろを振り返れば、先刻までよりぎりぎりと身体を締め上げられている龍の姿。
ボンブレスハムとまでは言わずとも、筋肉質の彼の肉が編みタイツからはみ出るムチムチの肉の様になっている。
どうやらリュールは間接キスという言葉を知っていたようだった。
「なんでしょう。言葉とは使う獣人を選びますよね。あなたが発すると間接キスも厭らしさと邪な想いしか感じません」
「なんだよ、間接キスってそう言うもんじゃねえのかよ!」
「ガーヴ君、ナギ様が食べきれない分のこちらの魚の串を食べて欲しいと仰っているのですが、頼めますか?」
「え!?いいのか、ナギ!俺様、食べる!ありがとう、ナギ」
ラルゴに差し出しかけていた魚の串を、流れるような動きで奪ったリュールは、そのままガーヴへと差し出した。
そしてそれを見た彼は、最後の一本だった魚の串に嬉しそうに耳を立てて尻尾をしぱたしぱたと振りまくる。
ばくばくと頬を染めてかじりつく姿は確かにラルゴと違い疚しさの一欠片すら感じさせない、可愛らしいものだった。
「彼の様子を見て己の邪な感情を恥じ入る気持ちはないのですか」
「あんなお子様と俺を一緒にすんなよ。こちとら大人の粋も甘いも噛み締めてきてんだ、それに比べりゃ可愛いものと思えっての」
「・・・どうやら私の説得が足りないようですね。いたし方ありません、婦女子との接し方に対してもう少し厳しくするしかありませんね」
ゆらりと立ち上がったリュールの顔は、常に張り付いたような笑顔がある。
あちらの大陸に居るときも常に笑顔だったものの、笑顔には種類があるんだなとしみじみ実感させられた。
ぎゃあ、だの、うを、だのと悲鳴を上げている背後をなるべく気にしないよう意識を逸らしつつ、新しい肉の揚げ物に手をつける。
「食事が終わったら服を買いに行くけど、ガーヴはどうする?」
「俺も行く!───・・・あ、でも先に会いたい相手が居るんだけどそれからでもいいか?俺様が世話になってた獣人なんだ」
「うん、勿論。ガーヴがお世話になっていたなら私もお礼を言わせて貰いたいし」
「ナギも会ったらきっと気に入るぞ!親父さんの顔は怖いけどパンは凄く美味しいんだ!」
ぱしぱしと尻尾を振って喜びをアピールする狼の頭を一つ撫でる。
彼の話を聞いて大方の予想は出来ているので、お土産は子供がすきそうな御菓子にしようとひっそりと心に決めた。
後ろで響く新しい世界への入り口一歩手前っぽいやり取りには聞こえないフリをして、未だに暖かさを維持しているコロッケを取るとほこりとした味を堪能した。