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22:夜が過ぎたら朝は来るもので その6

「ただいまもどりました」



一応数度のノックの後、ドアノブを回す。返事を待とうかと思ったが、その前にラルゴが行動をしていた。

人一人居るとは思えない静か過ぎる室内の空気に、リュールはまだ眠っているのだろうかと小首を傾げる。

サーヴェルに居た頃の彼はとても早起きで、いつも凪より先に目覚めては着物もきっちり調えていたので少し不思議な感じだ。

背中にかじりついたままのガーヴに唇に人差し指を当てて静かにするよう合図を送り、そろりそろりとドアから顔を覗かせる。



「なんだ、起きてんじゃねえか。ならとっとと返事しろよな」

「ラルゴ」

「そうだろ。ただいまにはおかえり。自分の元に帰って来た獣人がいるなら出迎えるのが当然だ」



しがみ付いていた凪ごとドアを開けたラルゴは、バランスを崩した凪の腰を支えて、さり気無くガーヴを足蹴にして引き剥がした。

真っ直ぐ前を見据える金色の瞳には強い色があり、迷いも躊躇もない。

上半身を起こした状態でまるで人形のように空を見詰める狐の襟首を掴むと、そのまま持ち上げた。



「おら、お嬢が『ただいま』っつってお前のとこに帰ってきたんだ。『おかえり』くらい言ったらどうだ」

「っ・・・」



人形のように片腕に腰掛けさせた凪の顔をリュールに近づけ、ラルゴが凄む。

どこを見ていたかわからなかった茜色の瞳が不意に焦点を結び、酷薄な唇が音を出さずに何度か開けては閉じてを繰り返す。

結局何も言わないでいるリュールに業を煮やしたように襟を突き放したラルゴを宥めるため、この位置からなら何とか届く頭を軽く撫でた。

すると照れくさそうに目尻を淡く染め上げた龍は、びたんびたんと尻尾を振った。

気のせいか打ち付けられるその先に、先ほどさり気無く足蹴にされた狼の姿が見える気がするが、まあきっと気のせいだろう。

ガーヴは元が野生児で肉体的には割りと打たれ強い。大丈夫なはずだ、多分。

それより目の前の吹けば飛んでしまいそうな儚げな麗人の様子の方が気に掛かる。

突き放されて咳き込んでいる姿がいかにも苦しそうで、安定感があるラルゴの腕に腰掛けたまま彼の月白の髪に手を伸ばした。

さらり、とした感触は心地よく、まるで絹のようだ。桜子のものと少しだけ似ていると思い、微笑する。



「おはようございます、リュールさん」

「・・・・・・」

「挨拶は一日の基本ですよ。夜が過ぎたら朝が来るものです。夜におやすみをしたら朝はおはようです」



チッチッチと人差し指を振って、わざとお姉さんぶって告げてみる。

当たり前だけど、当たり前じゃない言葉。一人になったことがある人間なら、わかるだろう。

挨拶とは、相手が居てこそ成立するものだ。誰も居ないのに一人で挨拶しても虚しさしか募らない。



「今は朝ですから、『おはようございます』」



にこり、と笑みを深めてみる。

遠回しの強制に、切れ長の一重の瞳をぱしぱしと瞬かせたリュールは、花が開くようにとはとても表現できないぎこちない、けれど不器用な穏やかさを感じる微笑みを浮かべた。



「・・・おはようございます、ナギ様」

「『おかえりなさい』はどうした、『おかえりなさい』は」



やや掠れ気味の声で告げた内容に微笑みを返すと、背後から凪を抱き込むようにして身を乗り出したラルゴが言葉を付け加えた。

ふん、と鼻息荒く告げられ、一瞬無表情にラルゴを見返したリュールは、にこりといつも見ていた笑顔を浮かべる。



「おかえりなさいませ、ナギ様」

「俺はどうした、俺は。俺も戻ってきてんだろうが」

「おかえりなさいませ、ナギ様。朝から変質者に遭遇しませんでしたか?具体的に申し上げるのも差し控えたくなるような蛮行を繰り返す赤い髪に金色の瞳をした龍など、私が知る限り五指に入る変質的な性癖を持ちますから気をつけてくださいね」

「・・・テメェ、ちょっと大人しくしてると思って慰めてやったらその態度かよ」

「ナギ様、そんなあらゆる意味で不安定な場所は危険です。さあ、降りていらしてくださいませ。私で宜しければ手をお貸しします」



鮮やか過ぎるスルースキルだ。ラルゴの苛立ちも背負っている暗雲も、ガーヴであれば尻尾の毛を逆立てるくらいのものなのに、リュールは爽やか過ぎる笑顔でこちらに手を差し出してくる。

あの細腕に全体重を掛けて果たして大丈夫なのだろうか、とちらりと脳裏を過ぎったが、よくよく考えてみれば彼は昨日片手で巨漢のラルゴを吊るし上げ下ばかりだ。

ならば凪一人の体重くらい、大丈夫だろう。



「・・・お嬢、俺を捨てるのか?」

「捨てる前に拾った記憶がないよ。・・・ラルゴ、わかってるでしょう?」

「───ったく、世話が焼ける奴だ。貸しは百倍にして取り返してやる」



それは九割がた無理じゃないだろうか。

そう思うものの口には出さず、不機嫌ながら凪が動きやすいように腕の位置を変えたラルゴに喉奥で笑いを噛み殺す。

差し伸べられた腕はするりと凪の両脇の下に入り込み、ベッドの上で半分横になったままあっさりと移動させた。

リュールの膝の上に横抱きにされるようになりながら、果たして彼の中での凪の立ち居地と、彼自身は自分の性別をどう考えているのだろうかと疑問が浮かぶ。

しかしそれも僅かな間だけだった。顔の角度を少し上げれば満足げに微笑む青年がいて、彼は実体を持ってここにいるのだと実感できた。

今のリュールにとって、凪は精神安定剤と同じ作用をもたらしている───のだと思う。

彼が凪に依存する理由は、黄金の鳥かごから抜け出る切欠が凪自身だったから。

リュールの腕はラルゴみたいに締め付けるような強さはない。けれど真綿のようにゆっくりとじわじわした圧力を感じて、彼の方が、ある意味で自分を必要としている気がした。

リュールにとって元いた居場所は必ずしもいい環境だったとは言えなくとも、それでもあそこは彼の実家であり、彼の家族が住む場所であり、彼の故郷だった。

すべてが敵だったわけではなく思い残すものもあったのに、全てを振り切ってでも己の人生を歩むと前に進んだ。

選択肢を示したのは凪でも、リュール自身が選んだ結論であるのには変わりないし、ここから先の人生の責任は彼は自分ひとりで取ることになる。

それでも暫くの間は傍に居るのが正しいと、昨日から今にかけて勝手に凪も結論付けた。

抱きつかれたままの腕に手を回し、至近距離にある綺麗な顔立ちを下から仰ぎ見る。

月白の髪が太陽に透けて、きらきらと不思議な色合いになっていて、思わずもう一度手を伸ばしてひと房握りこんだ。

何度触れても桜子の髪を髣髴とさせて、元の世界では桜子の髪を弄るのは日常に近いものだったのにと、少しだけセンチメンタルな気分に陥っていたら、不意に頭に柔らかな感触が降ってきた。

どうしたのかと顔を上げれば、優しげな面差しの青年と視線が絡む。

どうやら慰められてしまったらしい。ラルゴといい、リュールといい、本当に凪の表情を読むのが上手い。

僅かに眉尻を寄せて苦笑したら、もう一度ポンと頭を撫でられた。

髪をすく感触は心地よく目を細めて享受する。

しかし早々穏やかな時間が長く続くはずもなく──。



「ナギー!!あの陰険な龍が俺様を八つ当たり道具にするぞ!!」

「あ、こら、告げ口は卑怯だぞ!俺は八つ当たりなんてしてねぇ!手伝えって寝転んだままのお前をちょっと小突いただけだろ」

「ちょっとでこんなたんこぶ出来るか!村に居た頃はもう少し大人しくしてたくせに、ナギの前で猫被ってるだけだったんだな!」

「お前だって村では父親の威を借りてただけじゃねえか、ヘタレ狼。虎のゼントにも散々小突かれただろ、弱小坊ちゃん」

「あれはっ」



いきなり横っ飛びで飛びついてきたガーヴは、きりきりと眉尻を上げたラルゴの台詞にぐっと言葉を詰まらせた。

どうやら心当たりがあり過ぎるらしく、若干涙目になっている。

会わなかった二週間弱で一体彼に何があったのだろうか。なんとなく思い描ける遣り取りに、同情交じりのため息が零れた。

もしも凪の想像通りに、ラルゴやゼントやラビウスに囲まれていたとしたら、性格も少しは変わるというものだ。

徹底的に上下関係を叩き込まれた挙句、子供相手でも容赦し無さそうな彼らなら普通にガーヴをパシリにでも使っていたのではなかろうか。

外れていて欲しい予想を前に、白く細い腕が凪からはなれて陽に光る何かを持って構えた。



「・・・子供をいじめるのは止めなさい、大人気ない」



床の上に転がったラルゴは何やら目で探すのが難しい糸で雁字搦めにされてもがいているが、きっと頑丈な彼なら大丈夫だろう。

耳朶を打つ物凄い低音に、本当に復活してくれて良かったと安堵のため息を吐き出した自分を少し薄情かもしれないと思いながらも、騒々しい朝に胸を撫で下ろした。

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