22:夜が過ぎたら朝は来るもので その3
着替えた服はラルゴに手渡されたもの、つまり、昨日彼が差し出してきた『お揃い』とやらだった。
結局彼とウィルの間でどんな風に意見がまとめられたか知らないが、異界の神様がいない今、自分の一押しを選んだらしい。
プリーツの利いたスカートは、学校の制服と少し似ている。もしかしたら、初対面のときに身につけていたものを思い出して注文をつけたのかもしれない。
ワインレッドのタンクトップ、そしてフード付きパーカーを身につけた。風呂場には洗面台もついてるので、そこで軽く身だしなみチェックをする。靴下は紺のニーソックス。心地よい春の空気に包まれるダランでは丁度いい格好だ。
腕周りやウェストなども、きつくもなく緩くもない絶妙な締め付け。多分、こちらの世界でラーリィの服のモデルをしている所為だと思うが、過不足なくラルゴが把握してたらちょっと嫌だ。
「お嬢、すっげー似合ってる。可愛い!もうめちゃ可愛い!目の中に仕舞っておきたいくらいだぜ」
「・・・斬新な誉め言葉をありがとう」
脱衣所を兼ねている風呂場から出てくるのを今か今かと待っていたらしいラルゴは、ぷわわわわと効果音が出そうなくらい顔を輝かせている。
太い尻尾はぶんぶんと揺れているものの、不思議と音もなければ地面に付くこともない。
器用な尻尾だとぼうっと見ていたら、不意に視界が高くなった。
「うーん、可愛い。可愛いなぁ。よーしよし」
「・・・・・・」
脇に手を差し込まれ、ぶらーんぶらーんと振り回される。ずばりと表現すると、大人が子供にする高い高いと同じ行為だ。
爬虫類系の縦に瞳孔が開いた金目は、浅黒い肌の中でも一際目立った。そう言えば昔、本当の笑顔を浮かべるときは瞳孔が開くと何かで聞いたけど本当だろうか。
表情が笑み崩れていても強面はやはり強面のままだ。よく見れば端整な顔つきなのに、インパクトとは凄い。
幼い頃の凪なら泣いていたかもしれない高さでも、今の自分は冷静でいられる。
どうしてか一時期極度の高所恐怖症だったらしいけれど、もう理由も思い出せないくらい昔のことだ。
スカートが捲れあがらないように冷静に押さえつつ傍観できるなんて、随分と成長したものだとぼんやりとしていたらお腹が鳴った。
くるくるとアニメで見る少女のように回っていたラルゴが、ぴたりと足を止めた。
遠心力に引き摺られて身体がくの字になる凪と違い、さすがにぶれがない。
機嫌よさそうに喉を震わせ、若干目を回して首が据わらない凪をそのまま筋肉質な腕に座らせた。
「腹の虫も可愛い」
「・・・それ以上触ったらセクハラで訴えるから」
「どこに?」
「ウィルに」
「・・・・・・」
『どこに』ではなく『誰に』を伝えると、それまでの上機嫌を掻き消してむっつりと唇を引き結んで眉間に皺を寄せる。
なんとも素直な表情だ。昨日あれだけ盛り上がっていたくせに、妙に張り合いながらも息が合う小学生の喧嘩友達のようで少し面白い。
調子に乗って腹に耳を当てようとしていたラルゴの額を指先で押した。
ちなみに彼の耳は頭部に左右対称に生えているが、狐や狼みたいにもふもふでもないし鷲みたいに穴が開いてるわけでもない。
皮膚がないうろこ状の小さな三角形のものが狼たちより頭の天辺よりについている。
感情表現豊かな彼らのものと違い、ラルゴの耳は感情で動かない。機会がないので触ってもいないが、見た感じは爬虫類の肌と同じように少し硬そうだった。
器用にスカートが捲れないように座らせてくれたラルゴを腕の中から見上げ、もう一度悲しく鳴いたお腹を押さえる。
「・・・地味に請求してくるな、お嬢の腹」
「お腹空いたからね。ラルゴ、早くご飯を買いに行こう。リュールさんが起きちゃうよ」
「だな。ここでもたもたしてると店も混むし、お嬢もダランの味が懐かしいだろ?」
「うん。串焼き、唐揚げ、焼肉、フレッシュジュース、焼き魚にポテト、野菜チップス」
「煮込みはいいのか?美味い店が出来たぞ」
「え!?行く。リュールさんがいるし、ちょっと多めに買ってもいいよね?」
「おう。余った分は全部俺が食うし、お嬢は遠慮せずに好きなのをちみちみ食べればいい」
「ありがとう」
脳裏に思い描くだけで唾液の分泌が進む美味しさの露店の料理は、しっかり凪の舌で味を確認済みだ。
そして凪がどんなものを好むのか一緒に食べ歩きしていただけによく知るラルゴが、『美味い』と太鼓判を押す店も楽しみで仕方ない。
くふっくふと我ながら不気味な雰囲気で笑っていたら、唐突に頭に大きな掌が振ってきて、くしゃくしゃと頭を撫でまわされる。
突然の行動にどうしたのかと驚きながら固まってると、耳元を指先で擽られた。
咄嗟に首を竦めて睨み上げたら、ラルゴは悪戯が成功した子供みたいな笑い方をしている。
「お嬢、油断し過ぎだ」
「え?」
「この部屋の中ではそれでもいいけど、外じゃ駄目だろ?お嬢は『虎』で、世界に二人と存在しない『人間』じゃない」
「───ああ」
そうか、と思いながら生まれながらに持っている耳に触れる。昨日戻ってきて、『狐』を止めたのをすっかり忘れていた。
ここでは凪は『虎のナギ』。それも珍しいらしい『白虎』だ。
白と黒のツートンカラーに、紅と蒼のオッドアイというとても珍しいカラーリングをしているレアキャラ。
「まあ、俺がいるから油断してると思えばやっぱり可愛いけどな」
「・・・・・・」
照れているラルゴを無視して、赤が混じった半透明な腕輪を指先で辿る。
別に念じるだけで変化できるのは経験済みだが、なんとなく、だ。
ぶんぶんと抱えた凪ごと腕を振り回しているラルゴの照れ方は意味不明だけど、確かに彼の言葉には一理ある。
この世界に来てから一番傍近くに居たラルゴの存在に、凪は常々油断してしまう。
龍が世界のヒエラルキーの頂点付近にいて、更に彼の実力がその中でも秀でているのが無駄な油断に胡坐を掻いてしまう原因だが、もうちょっと気を引き締めなくてはいけない。
いくらいざというときの奥の手があっても、平和ボケし過ぎていて余計に痛い目を見るのは嫌だった。
「これでいい?」
「おう。いつものお嬢だ。白い毛皮が日に透けて銀にも見える、上等の美人さんだ」
「・・・ありがとう」
今度は先ほどと違い、淡い苦笑が浮かぶ。
どうにも猫かわいがりし過ぎたと思うけど、身内贔屓の激しさはいっそ感嘆するレベルだった。
本来なら存在しない尻尾が、凪の感情に反応して先っぽだけがくるりと丸くなる。
ウィルの与えてくれた腕輪の能力に改めて感心しながら、白い尻尾を見ていて不意に思いついたものも朝食のメニューとして追加した。
「久し振りにダイナスさんの白いパンが食べたい」
「・・・えー」
遠慮せずに好きなものを食べればいいと言った割りに、嫌そうな反応を見てひょいと眉を持ち上げる。
こんな時の彼が自分にとってあまり都合が良くない内容を黙っていると気付く程度に、ラルゴも凪の前では油断していた。