21:現実は割とファンキーだ その6
収集の付かない現状にどうするべきかと頭を悩ませたのも僅かな時間で、結果として簡単にことは付いた。
ただでさえ色白の顔を更に白くさせたリュールは、ふらりと身体から力を失って床の上に崩れ落ちたのだ。
ジャパニーズ・土下座スタイルをしていたので大したダメージも負っていそうにない。
獣人が失神する瞬間を目の当たりにした凪は、驚きで身体を強張らせながらも胸を撫で下ろした。
「リュールが繊細な獣人でよかった・・・」
「その心は?」
「ラルゴやウィルみたいに図太いと決着がつかないまま夜が明けたでしょ?徹夜は疲れます」
「お嬢は寝るの好きだもんな」
「うん」
寝ること以外にもだらだらと過ごすのは好きだ。
元いた世界では、休日は基本バイトが入っていたので昼間からごろごろする機会は実はほとんどなかったけれど、こちらの世界で嵌ってしまった。
働くのも嫌いじゃないし、仕事をすると時間を忘れる。しかし人間一度だらけるとそれに慣れてしまい、どっぷりと怠惰に浸かる。禁断の果実を口に含んで堕落した人物の気持ちもわかろうというものだ。
「帰ってからの展開が濃すぎて流されてたけど、冷静になれば私は別の大陸から帰ってきたばかりだし、寝たい」
「えー、夜はまだまだこれからだぞ?───久し振りに再会できたんだし、夜の街に」
「くり出させるか、阿呆。これだから駄龍は嫌なんだ。こんなに可愛い凪を外に出したらすぐに野郎に囲われるだろうが」
「俺が守るから大丈夫だ。その、俺もお嬢に会えなくて寂しかったっつうか、少しでも一緒に時間を共有したいって言うか」
「消えろ」
強面の顔を僅かに赤らめてもじもじと指をすり合わせながら金目でこちらを窺うラルゴに、ウィルが一言呟いた。
低い声は明らかに怒りを含んでいて、彼の言葉が終える前に大柄な龍の姿が消えうせる。
さすがに泡を食って腰にしがみついたままの腕を強く握ってウィルを見上げれば、ルビーレッドの瞳が甘く綻んだ。
「ウィル」
「大丈夫、飛ばしただけだ。龍なら一晩あれば帰れる距離にな」
「そう、ですか」
「ああ、だが無傷かどうかはあいつの腕次第だ」
「・・・・・・」
言葉の奥を読むのはとても簡単で、聞かなかったことにしようと速攻で結論付ける。
深く考えてはいけない。ラルゴはとても頑丈な龍だ、無事に明日の朝くらいには戻ってくるだろう。
それに、と思考を打ち切って視線を床に向けた。
気絶していてもたおやかな様子の美青年に軽く息を吐き出す。真っ白な耳は気絶していても立ったままなのかと変なところに感心した。
「ウィル」
「なんだ?」
「リュールをベッドに寝かせてもらえますか」
「・・・なんで?」
「なんでって聞くんですね、この状況で」
「聞くな、当然。俺は寛容に振る舞ったと思うぞ」
ふわりと足が床から浮いた。普通なら抱き込まれた腰を引き上げられれば重力と引力で局部に痛みを感じるのだろうが、全然それはない。
重力や引力など星としてあるべきものも無視するとは、さすが神様スペックだ。
ジェットコースターの落下中みたいな不可思議な浮遊感に包まれながら、自分を抱き上げて空中で胡坐を掻くウィルの顔を見上げた。
ほぼ直角に首を曲げているので結構な負担が掛かる。視線が絡むだけでこんなに喜色を露にするくせに、本当に凪以外には色々な意味で無情だ。
「彼は私に食と住を無条件で与えてくれました」
「お前を『白狐』と勘違いしていたからだろう」
「『白狐』じゃなくても手を差し伸べてくれたと思います」
「甘いな。あいつは『影』だ。『魂吾』は誰にでも手を差し伸べるような器ではなれない」
「魂吾なんて知りません。私には親切にしてもらった現実だけが残ってます」
「───頑固だな」
「よく言われます」
たとえリュールが悪人だったとしても、凪は親切にしてもらった。
一宿一飯の恩というが、自分はもっと長い間食事と住処を提供してもらっている。
優しいだけの獣人じゃないのは、たった今、目の前で実際に見た。
ラルゴを片腕で締め上げた怪力も、ウィルの首を絞めて放った殺気も、冷ややかな凍りつくような冷たい眼差しも、心で感じた恐怖も残っている。
それでも、と思うのは、平和ボケした日本人の感性だろう。
「頑固でいられるのはウィルの加護のおかげです」
「・・・・・・ここはお前の居た国じゃないぞ」
「私は小心者ですし、運動音痴で鈍いです。誰かに何かされたとき咄嗟に対応できるほど反応も判断も早くありません。でも、私には『神様の加護』っていう保険があります。私が拒否すればこの世界のなんびとたりとも私に干渉出来ない。安心して平和ボケしてられます」
「ずるいな」
「それも割りとよく言われました」
「ったく、仕方ねぇ」
「ありがとうございます」
大きなため息を吐きながらも妥協してくれた神様ににこりと笑みを浮かべた。
むっとしたように唇を尖らせた彼は、指を鳴らすと瞬きの間にリュールをベッドの上に移動させる。
「こんなときだけ、満面の笑みか」
骨ばった白い指で額を弾かれ、咄嗟に掌で押さえる。
音の割りに痛みは感じず、本当に甘やかされているとじわりと苦笑が滲み出た。
凪は彼に何もしていない。与えられる何かに報いることを、一つとしてしていない。
それでもウィルは満足そうに笑っている。誰に対しても平等に優しくない神様なのに、『愛し子』だけには無条件に様々な融通を利かせてくれる。
「言っておくが、あの狐のためじゃないぞ」
「はい」
「お前のためだからな」
「ありがとうございます」
「俺を敬え」
「お供えします」
「よし」
それでいいのかと内心で思ったが、いいならいいで助かる。ここには神棚や仏壇はないけれど、どこに向けて供えればいいのだろうか。
満足げに胸を張っているウィルを見詰めて小首を傾げてみたものの、答えてくれる誰かは居ない。
明日、ラルゴが帰ってきたら確認すればいいかと、ゆりかごのようにゆったりと揺れる腕の中でくあっと小さく欠伸を漏らした。
代償を求めない神様は心が広いのか狭いのか判断し難いけれど、その腕の中で凪は眠れる。
「眠いか」
「はい」
「なら、寝ろ。この俺がベッド代わりをしてやるなんて前代未聞だぞ」
「・・・ありがとうございます」
電車の中と似た揺れ具合に、うとうとと瞼が重くなってきた。
空中に浮いたまま眠るのは初めてだが、意外と深く眠れそうだ。もしかしたらハンモックで眠るとこんな感覚なのかもしれない。
秀介と桜子がいない今、ここは世界で一番安全な場所。誰も自分を害することがない、無防備で居ても大丈夫なところだ。
もう一度大きな口を開けて欠伸をする。誰かの好意に胡坐を掻いてる凪自身が誰よりも薄情な存在かもしれないと自覚しながら、今度こそ重たい瞼を閉じた。