21:現実は割とファンキーだ その4
思わず凪にしては速い動きでスナップを利かせつつ鋭く入った突っ込みに、現場がとても静まり返った。
最近、よく古人の言葉を思い出すが、今もまた脳裏にはテロップのようにとある言葉が流れている。
『後悔先に立たず』
哀しいくらいに現状の的を射た諺は、凪の心にワンツージャブを華麗に決めた。
固まっている凪を前にして、絶世の美女改め美青年の表情は一切の無。怖い、怖すぎる。
舞台で滑ったお笑い芸人は常にこんな感情を抱いてるのだろうか。だとしたら今後彼らに対する尊敬の念は留まるところを知らないだろう。
秀介曰く劣化している表情筋では、この複雑な胸の内を表現しきれていないだろうが、察して欲しいこの心境。
だらだらと蛇に睨まれた蛙の如く固まりながら、もう一度ラルゴに戻ってくるように祈ってみる。
しかし神様でもなければ、マイペース過ぎる彼は何故か未だに風呂場で混乱の渦に陥っているようで、全然助けにならなそうだった。
固まったままの凪をあやすよう、首筋をするりと撫でられる。
擽ったさに反射的に首を竦めると、くつくつと低く滑らかな声が至近距離から耳に届いた。
「凪。いいことを教えてやろう」
「いえ、結構です」
「まぁ、遠慮するな。俺が教えてやると言ってるんだからな」
どこまで俺様なのか。真っ白なスパイキーショートの髪が目に入るくらいまで近づいて顔を覗きこんできた彼に、ぐっと眉間の皺が寄る。
凪の性格は特に遠慮深いものではなく、どちらかと言えば、これ以上リュールを刺激して欲しくないからこその嘆願だったのだが、当たり前にあっさりと却下された。
ウィルにとって、凪は本当に愛玩動物のようなものなのだと嫌でも実感させられる。思い切り可愛がれる無条件の存在、と表現したらどれだけ自意識過剰だと突っ込まれそうだが、あながち間違いでもないだろう。
彼の望む『神の愛し子』とは、おそらく神の愛を否定せずに与えたいだけ与えられる存在。
だが拒絶するかどうかを判断する意思を持ち、選択肢がありながらも受け入れる、もしくは流されてくれる相手こそが『神の愛し子』として成立する条件の一つではないのだろうかと、短くも濃すぎてむせ返るくらいの付き合いで実感した。
「この世界にはな、『特別色』というのが存在するんだ」
「───特別色、ですか」
ラルゴと一緒に暮らしていてもついぞ聞いた覚えのない言葉に、僅かに首を傾げる。
ウィルから貰った常識の中を探せば見つかるだろうけど、わざわざ説明してくれるようなのでそれも必要ないかと、焦点も合わなくなりそうなくらい至近距離のルビーレッドを見詰めた。
「そう、『特別色』。俺が気紛れに与えた色だ。それは種族によって違うし、特別であるか、そうじゃないかも異なる」
「・・・何が特別なんですか?」
「さあ、それも気紛れだ。血統の中に色が現れるのも稀なら、効果も先祖と同じとは限らない。そうだな───お前が今まで纏った中での特別色は白で、『虎』、『狐』があるな。他にも有名どころなら『獅子』や『蛇』、『鷲』も同じ色だ」
「・・・今まで纏った『特別色』って言うか、『特別色』とやらしか纏ってないじゃないですか。私、ここに来てからほとんどずっと『白虎』でしたよ。なんとなく視線を感じる気がしていたんです」
「視線を感じるのは俺の凪が可愛いからだぞ」
「神馬鹿もそこまで行くといっそ清々しいですよ、本気で」
ぐりぐりと肩口に額を押し付けてくるウィルに、心底呆れる。痛みを感じる強さだが、我慢できないほどでもないので注意もしない。もう窘めるのが面倒になってきた。
『白虎』と『白狐』。同じ白を纏う中でも、何となく後者の方が目に見えて特別だったから気にしていなかったが、凪が一々面倒ごとに巻き込まれてたのもあの色がいけなかったのじゃないのだろうか。
そう言えば『白い虎』ということで同じ『虎』───いや、凪は正確には人間だけど───のゼントも珍しそうに注目していた気がする。
構いたがっていたのは、猫特有の好奇心を擽る存在を徹底的に確かめたい感情からきていたのかもしれない。
どちらにせよ知らぬ間に目立つ存在にされていたのだと気がつくと、尚更平凡を心が求めた。とりあえずこの街にいる以上色を変えるなんて今更だから諦めるけど、この世界での『家』にたどり着いた暁には平々凡々な存在になろうと決める。
「それで、結局『特別色』だとどうなんですか?」
「だから、特別なんだよ、特別」
「・・・そうですか」
とりあえず『特別色』は『特別』らしい。
もったいぶって話し始めた割りに中身が薄いと思いながらも、一つ頷いておく。
凪が理解できたのはこの世界の獣人の中には『特別色』という『色』を持つ存在がいて、彼らは一族の中でも『特別』であること。
そしてウィルの言い回しから『特別色』が種族によって異なるということだろうか。
結局何がどう特別であるのか、何色が特別なのか、全て背中に張り付いてる異界の神様が気紛れに与えているもので、凪の今後の人生に大きく関わるものでもなさそうだった。
何故なら凪は人間で、『特別色』なんてまったく関係ない存在で、ついでに神様の加護だか気紛れだかはもう十分過ぎるほど、有り余るくらいに頂いている。
「こいつの祖先。狐の一族の『始祖』と呼ばれる女もまた、俺が『特別色』を与えた獣人だ」
すらりとした指が突っ立ったままのリュールに向けられる。
先刻までの流れるような怒涛の口撃は沈黙に取って代わり、だらりと下げられた両手に引っかかる糸がきらりと光るのがなんとなく怖い。
なんだろう、幽玄な雰囲気を醸し出している。所謂ジャパニーズホラーを髣髴とさせる佇まいが、美人なだけに迫力を増して恐怖心を煽った。
呪われたビデオを見たらテレビから出てくるあの人みたいだ。一応二度見してみたけれど、確認してもやっぱり怖かった。
「大陸統一を目指す女傑は、脆く、神経質で、弱い存在だった。守りたいものがいたからこそ強くなるべきだと虚勢を張っていたのに、唯一の存在を自ら屠った悲しみに嘆き狂った。続く歴史では彼女を『始祖』と崇め奉ったが、その生涯を幸せと語る獣人は、時代を都合よく塗り固めただけの虚像を謳う愚者だろうな。都合よく政治を纏めるための手駒として扱われ、偉人を讃えるふりをして自らの地盤を固めている。あいつはそれを知っていた。知っていて利用されたんだ。重傷を負って倒れた少女は、弟から受けた傷が癒えるまで神を怨み、呪い、嫉み、謗り、憎んだ。そんな様子に興味が沸いて、俺は『特別』を与えてやった。何もかも遅いと絶望しつつ、直系の子孫を守りたいと願い、己の血を憎むあいつの先を観てみようと思えたからな」
みるみるとリュールの顔色が白くなっていく。
ウィルの口から語られる歴史は、紛れもない真実なのだろう。だとしたらとても残酷で、『始祖』を尊ぶ『狐の一族』の『影』として生きてきた相手に聞かせなくてもいい内容だ。
もしかしたら、いいや、もしかしなくても、この心の狭い神様は、ずっと怒っていたのだろうか。
彼は『愛し子』である凪の興味が少しでも他所に逸れると途端に不満をあらわにして子供っぽく振る舞う。
自分からリュールのところに送り出したくせに、凪が咄嗟に彼を庇ったのを見て、傷つけるためにわざと全てを仕組んだのだ。
背中を抱くウィルには低いながらも体温がある。呼吸もしてるように肩が上下し、抱きつかれれば心音も聞こえる気がする。
けれど彼はどこまで行っても神様でしかなく、非情で冷酷で我侭で、世界が自分を中心に回っていると知っていた。
近くにあるルビーレッドの瞳をそっと見詰める。三日月形に歪められた口角と違い、その瞳は少しも笑みを浮かべてなんていなかった。