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20:自由の中で不自由な獣 その12

自分で言っといてなんだが、三十秒で人生を決めるのは凪は無理だ。

しかも不意打ちの質問でまともな判断なんて下せるわけもない。普通の状態でも『人生を分ける選択です』なんていきなり投げかけられても、咄嗟に返答できるか微妙なところだ。

特に今みたいにシリアスな空気の中で問われれば、冗談か本気か読めずに悩むだけ悩んで終わってしまうに違いない。

真面目に答えるだけ馬鹿らしい。突拍子ない問いかけに、普通ならそう考える。



「・・・ぃ」

「なんだ?発言を許した記憶はないぞ」



震える吐息がささやかに耳に届く。

耳障りな音を聞いたとばかりに、顎鬚の豊かな狐が眉を顰めて舌打ちした。

大嫌いな虫を見つけた反応だ。露出した部分から見える肌は鳥肌を立てて虫唾が走ると唇を歪ませる。

彼は『父親』ではない。あの眼差しは『我が子』を見る視線じゃない。寒々しく柔らかな感情がひと欠片も探せない、無機質で怖い瞳。

あの瞳をもう一度見なければ、選択しろと焚きつけておきながらも迷ったかもしれない。



「───私が『父上』とお呼びしたら、あなたは受け入れてくださいますか?」



ぴんと糸を張ったような緊張感に満ちた問いかけに、睥睨するような視線を土下座したままの『息子』に向けた。



「厚かましいぞ。誰が貴様にそのような呼び方を許したか。我らの間は対等ではなく、上下があると忘れるな」



心底からの嫌悪感に満ちた眼差し。彼の中には最初から『狐のリュール』など存在していない。

あるのは『愛娘』の『影』。時期国主にとって不都合な何もかもを肩代わりする、都合のいい操り人形。

胸に堪った息を、勢いよくリュールは吐き出した。まるで今までのしこりを全てかなぐり捨てるような、彼にしては乱暴な仕草に僅かに目を丸めた。

驚いたのは凪だけではなく、他の四人も同じで、特に彼の父親は顕著な反応を示す。

みるみると赤く染まる顔。いや、顔だけではなく耳や首の筋まで全てが林檎のように赤い。

眉がきりきりと釣り上がり、射抜くような視線は実体化したらリュールの身体を貫く強さを持っていた。

唇を戦慄かせ今にも罵声を上げようとしている男の機先を制すると、凛と背筋を伸ばして真正面から『父親』の視線を受け止めて玲瓏な声を響かせる。



「ナギ様、お待たせいたしました」

「・・・」



『お待たせしました』と言われて初めてカウントダウンを止めていたのに気がついた。

別に待っていたわけではなく、普通にやりとりを見物してしまっていたのだが、それを口にする度胸もないのでポーカーフェイスで軽く頷く。

そう言えば意外と小心者の癖に心情が表情に出にくいから極地で緊張していると気付かれ難いのが羨ましいと嘯いていたのは、空手の全国大会の初戦を前にして緊張していた秀介の言葉だったろうか。

今頃不可思議な異空間で桜子にしばかれてるんだろうなと、想いを馳せて軽く瞼を伏せる。

軽く思考を飛ばしながらも、視線を向けぬまま微動だにせず、眼力だけで迫力を増した佳人を見詰めた。



「選択します。私は、『私』として生きたいです。たとえ長く住んで愛着がある祖国の土を二度と踏めなくとも、愛した家族と縁が切れてしまっても、衣食すらままならぬ生活を強いられ汚泥を啜ることになっても、誰の責任でもなく、全てを『私』の責任として背負って生きていたい。『私』は『誰か』の『代理』じゃない。『私』は『狐のリュール』です。国の威信なんて知らない。歴史なんて踏襲しない。魂吾に縛られる気もない。───第三者からすれば贅を尽くした恵まれた生活を捨てるのは愚かだと、世間知らずの行動だと言われるかもしれない。それでも黄金の籠に足かせをつけて空を見上げて暮らすだけの生活は、どんな極上な餌を与えられても、真っ平ごめんです」



血反吐を吐くような苦渋を満ちた声───とはかけ離れた、いっそ清々しいまでの啖呵だった。

真に望んだものは何一つ手に入らぬ空虚な生活を、高級品に囲まれ恵まれて満たされてるのだと、空を自由に飛ぶ鳥を羨む自分を自覚しながらも、心を宥めて納得したふりをしていただけなのだ。

だから心を決めてしまえば決断は早い。正座していた身体を起こして立ち上がれば、顎鬚の狐よりもリュールのほうが身長が高く見栄えがする。

上から見下ろされる屈辱感で拳を握って震えた男の罵声を聞いて鼓膜を酷使するのが嫌で、彼が発言する前に唇を開いた。



「───神隠し、ってご存知ですか?」

『!!?』



唐突に響いた凪の声に、平伏していたキイとミイがクナイに似た武器を構えて狐の男とイリアの前に躍り出た。

そこには普段見ていた可愛らしい子供の顔はなく、油断のない眼差しで辺りの気配を窺う。

大人顔負けの動作を見て、いきなり姿を現さなくて良かったと心底思った。あんな俊敏な仕草で飛び掛られれば、いくらぶつかることなく通り抜けると知っていても、純然なる一般市民の凪は腰を抜かすに違いない。

危ない危ないと冷や汗を拭いつつ、軽く首を振る。自分から申し出た内容だ、あれだけリュールに内心を吐露させておいて、今更白紙に戻してさよならは酷すぎる。

一般市民でも、一応通すべき義理と人情はあるのだ。肉親へ三行半を突きつけるよう水を差し向けたのは、凪なのだから。

あの武器が飛んできたら3D映画より迫力満点だろうと、なるべくそんな状況にならないよう心から祈った。



「そこにいる、一緒にいたはずの知人や家族が前触れもなく忽然と姿を消して戻ってこない、あれです」

「なに奴だ!姿を現せ!」

「・・・・・・」

「武器を下げなさい、キイ、ミイ。ナギ様に向けて、武器を構える行為は無意味です」

「『イリア』様・・・」

「私は『イリア』ではなく、『リュール』です。忠告を流すかどうかは自由ですが、あの方に刃を向けて後悔するのはあなたちですよ」



怒鳴る『父親』を守ろうと前に出た、キイへと視線を向け、柔らかな口調でリュールが窘めた。

いや、耳の尖り具合が鋭いので、もしかしたらミイだったかもしれない。いや、正直に言うと、本当は区別が付いていない。

武器を向けられた恐怖心を冗談で和ませるための当てずっぽうである。ちなみに自分の冗談にセルフツッコミしても全然和まなかった。

もうこうなれば姿を隠すのではなくさくっと正体を明かしてしまおうと、意識を切り替えることにする。

警戒心を解かぬまま周囲を視線で撫でていた狐たちは、凪を視界に納めると例外なく尻尾の毛を逆立てた。



「───始祖、様!!?」



彼らの目に、凪はどう映ったのだろうか。

足元から、あるいは頭の天辺から徐々に視界に現れてきたのだろうか。

それとも忽然と空気から生まれたように瞬く間に現れたのだろうか。

自らが出現する側なので、どう見えたかは気になるが、どうですかと問いかける空気でもない。

もう少しで幼馴染たちと再会できるし、その際に実験すればわかる事実だ。


驚きで零れ落ちんばかりに目を見開いた四人の狐は、何か言う前にいきなり床に平伏した。

絶対降伏のスタイルで、持っていた武器も遠くに投げ出されて転がっている。

顔を上げることすらありえないとばかりに、強く強く額を床に押し付ける姿を見て、この種族は土下座が一般的なスタイルなのかと勘違いしそうだ。

毛羽立った尻尾が彼らの同様を明瞭に伝えてきて、狐の一族の中で『始祖』がどれだけ特別な存在か教えてくれる。

だが凪には関係ない。九尾の尻尾も、真っ白な毛色も、凪が持つ本来のものではなく所詮はまやかしなのだから。

真実の歴史を彼らに教える気も、自らが偽物だと口にする気も、彼らのやりとりを弾劾する気もない。

正義感、なんて凪が動くには難しい行動原理だ。何を正義とするか、考えるところから始まって理屈でこんがらがる。

だからわかりやすく、今回だって自分の『エゴ』で動く。何かあってもこれからの責任は取れないと、選択肢だけ与えるから自分の足で人生を送れと、本当に正義感がある人間からすれば無責任極まりない発言を繰り返したりしていない。



「神様なら、俺だな!」

「まだ呼んでないです」

「心の声を聞いた」

「・・・何者ですか、あなたは」

「神様だ!」

「そうでしたね、すみません」



唐突に現れて肩を抱いた存在に、ぐっとシリアスな空気が壊された。

しかし呼ぶ手間が省けたと思えば逆に運がいいとも言えるかもしれない。彼を呼ぶのに大した手間などないのだけれど。

当たり前の顔をして腰に長い腕を巻きつけたあと、肩に顎を乗せて機嫌よく擦り寄ってくる。

なんだろう。数週間会わなかっただけなのに、相変わらずどこまでもマイペースで空気を読まない。この鈍感力はさすが神様だと崇めたくなるほどだ。

独占を当たり前として、自らの意思が通らない訳がないと確信している振る舞いは、世界に君臨している自覚から来ているのだろうか。

凪の力では全力で暴れても無意味だと知ってるので、抵抗もせず身体を預けて、前へと視線を戻す。

身長の低い凪よりも体格よく実力もあるはずの彼らなのに、まるで無防備で無力な存在になろうとしていると感じた。

唯一背筋を伸ばして立っているリュールを見上げて、微かに小首を傾げる。彼は瞳の色をいつもより濃くして、そのくせ無感情な表情で土下座する身内を見下ろしていた。


軽く瞼を閉じて、息を吸う。

この作戦ではまた異界の神に借りを作ることになるけれど、もう今更一つ二つ借りが増えたところで変わらない。

いや、借りと考えること自体がおこがましく、神と同列に自分を並べるのは思いあがりだ。

ウィルは『神の愛し子』に執着している。しかしそれがいつまで続くかわからない。いつかぱったりと連絡が途絶えたとしても、凪は驚かない。

住居も用意され二年間分のお金の心配もしなくていい。幼馴染の存在は確かめたし、あとは与えられた加護───と断言するには苦しいけれど───さえあれば、凪でも再会の間まで持たせることは出来る。

共有した『命』が彼らの『生』を伝えてくる。生きてさえいれば二人と絶対に会える。

単純な話、秀介と桜子だけ・・を絶対的に無条件で信じてるのだ。凪は生きて待っていればいい。

以前は『甘やかさないで』と言っていたが、そんな言葉はもう遥か彼方、お山の向こうに飛んで行った。

彼自身の手でトラブルに巻き込まれた回数も多いし、ぬいぐるみ状態にぎゅうぎゅうと抱きしめられる息苦しさにも耐えている。

見返りを求めて文句を言うほどウィルは器が小さくない。否、正確に言えば、見返りを求めて納得できなければ、文句を言う前に消えているだろう。

そして彼は興味がなくなれば捨てるかもしれないけれど、一度した約束は守ってくれると、短いながら密な時間のお陰で悟った。

見捨てられていれば、まだ名を呼んでもないのに姿を現さないはず。となれば、興味があってどこぞで凪の生活を観察していたのだろう。

だからこそ一番求めるタイミングで、丁度良く現れて『自分に頼れ』と言外に示す。


彼の顔を仰ぎ見ようと首を動かせば、くすくすと滑らかなテノールが小さく笑った。

どうやら凪の腰まである癖の強い髪が、表面積の少ない服から露出している肌に触れて擽ったかったらしい。

緋色の瞳を三日月形に歪めて、面白そうに口角を上げた異界の神は甘えるように髪に顔を埋める。



「『神隠し』には『神様』が必要だろ?」

「・・・そうですね」

「なら、さっさと格好良く決めて見せろ。思い切りビビッてるくせに表情に出せすことも出来ないなんて、お前らしくて見ていて厭きないが、震えるぐらい怖いならとっとと終わらせるのが一番だぜ?」



思わず眉尻を下げた情けない表情で笑ってしまった。

確かにこれだけぎゅっと胸に抱きこまれていれば、身体の震えなど隠しようもないだろう。

嘲るでもなく笑った彼の体温は相変わらず少し低くて、身構えてもどうしようもない実力差がある相手の存在にこそ安心する。

どうせ敵わないと知ってるなら、全て見透かされているので足掻こうという気もわかない。

一つ大きく深呼吸をして、腹の中心に力を篭めた。



「『白狐のリュール』はこれから『神隠し』にあいます」

「それは、弟を連れて行かれると、そう仰っているのですか?」

「はい。あなた方にとって彼は必要ない存在なのでしょう?連れて行くのに問題が?」

「っ・・・いいえ、何も異論はございません」



咄嗟に問いかけずにいられなかった。必死な様子で顔を持ち上げたイリアの表情を見て、リュールの瞳が一瞬揺れる。

凪が疑問を返せば彼女は再び額を床へと押し付けて、身体を縫いとめた。



「ならば問題はありませんね。行きましょうか、リュールさん」

「・・・ええ。姉上、キイ、ミイ───そして、国主代理殿。長きに渡りお世話になりました。至らぬ不束者でしたが、心より感謝しております。ありがとうございました」



品のいい着物を身に纏ったリュールは、見惚れんばかりの麗しい仕草で一礼してみせた。

だが彼の言葉に反応するものは誰一人としていない。勿論、頭を上げて表情を確認するなんて、もってのほかだ。

四人の他人行儀な行為に傷ついたように瞼を伏せたリュールは、吹っ切るように凪に向かって微笑んで手を伸ばした。

そんな彼の手を取り、自分を抱きしめたままの神様を見上げる。

転移の際の注意事項として目を閉じるように告げれば、何をされるかわからないのに彼は従順に従った。



「息災でな」



五感を閉じようとしていたからこそ聞こえただろう密やかな声の持ち主に、リュールもきっと気付いたに違いない。

シャープな顎を伝った一粒の雫に気付かないふりをして、凪も同じように瞼を閉じた。

次に目を開けるときは、もう異世界で一番見慣れた景色の中にいるだろうと、心のどこかに確信を抱いて。

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