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20:自由の中で不自由な獣 その11

顎鬚の豊かな男の前にひたすら平伏するリュールを眺め、ひっそりと目を眇める。

目の前の光景は中々シュールであり、凪が好むところではない。と言うより、余程悪趣味の人間じゃなければ楽しむものでもないだろう。

存在の根源を叩き折り誰かの代わりとして生きろと強要する父親と、額づいて受け入れる子供。

どこかで見たような光景だ。───もっとも自分のときとは状況も環境もかなり違ったが。


凪は基本的にどんな感情であれ『自分』に向けられたものは認められる。

面倒だと思っても、憎しみであれ憤りであれ、たとえ負の感情だろうと、それが『凪』を見てくれたものなら、納得いかなくともそうなのかと頷く程度はするだろう。

しかし誰かの代わりになること、それだけは・・・・・受け入れられない。幼い頃に深く刻まれたトラウマが、大きく拒絶を示す。

先日、獅子の家で狼の娘に絡まれたときも恐慌状態に陥ったけど、同じ展開になれば、おそらく同じパターンを繰り返すはずだ。

自分を見て欲しい。嫌ってもいい、八つ当たりされてもいい。お願いだから、『凪』を見て欲しい。自分でも気付かなかった心の叫びを敏感に察したのは、母が交通事故で亡くなってから数ヶ月の間に、知らず降り積もっていた心からの願いを叶えてくれたのは、二人の大切な幼馴染だった。

日常が非日常に変わるのに切欠は要らない───目の前の光景と同じで、平穏が不穏に変わるのに特別・・は要らないのだ。


あの日もそうだった。

茹だるような暑さの夏の日、蝉の鳴き声が耳に残るくらいに大きく脳に響いた。

お揃いの真っ白のワンピースを着て、母は赤いリボンの、凪はオレンジのリボンの麦藁帽子を被って、いつものように手を繋いで、いつもと同じ商店街への道をゆったりと歩いていた。

確か、晩御飯のおかずは何にしようか、なんて会話をしていた気がする。もう声も思い出せない美しい母の微笑だけが脳裏に刻まれ、忘れるはずがないと思っていた記憶は徐々に薄れて行く。

掌に掬った水と同じで、記憶は指の隙間から留めても留めても零れ落ちてしまう。

忘れたくないと求めても、置いてかないでと願っても、傍に居て欲しいと望んでも、思い通りにゆくことなどほとんどない。

だからあの日も、大切な人は手を握っていたにも拘らず目の前から消えてしまった。

とても呆気ないものだった。商店街に突っ込んできた飲酒運転の車に母ははねられた。即死だったそうだ。

手を繋いでいた凪は一緒に吹っ飛んだものの、一週間意識が戻らないだけでほぼ無傷だったのに、母の遺体は生前の美しさを想像出来ないほど酷かったと、人伝に聞いた。

凪の意識が戻らない間に通夜も葬式も終わっていて、大好きな母に最後のお別れも言えなかった。

だから今でも凪は母はどこかで生きているんじゃないかと、そんな勘違いをしそうになる。亡くなった事実は、周囲の反応を見れば理解できるのに。

意識が戻ってから数日の検査入院を経て戻る頃には、父はもう、目に見えない部分からゆっくり、ゆっくりと、砂上の楼閣の如く、心がさらさらと崩れていった。


過去を思い出し軽く瞼を伏せる。今思い出して自分と重ねるのは彼に対する侮辱に近い。

沼に嵌るようにして共依存していった凪と目の前の彼は違う。安易な同情を欲しているなら、とうの昔に境遇を語っていただろう。胸に抱く矜持があるからこそ、自分が何者なのか口にしなかったのだろうから。

性別を偽られていたと知っても怒りは沸かない。それどころか勝手に勘違いして見誤った自らの観察眼に苦笑するばかりだ。

先入観で曇った意識を戻せば、彼の反応は男性ならではのものだった。箱入り娘と片付けるには過剰すぎる反応に、鈍いにもほどがあるといっそ自分に感心する。

もし凪に人並みの羞恥心があれば悶絶して床を転げまわっていたかもしれないが、ありがたいことにその部分に関してはある種人並みはずれていた。

そうじゃなければ裸族に近しいあの・・ラルゴと一緒に寝泊りできなかったし、べたべたと異性にくっつかれるたびに顔を赤らめたりしてただろう。

感性のバランスが崩れているのかもしれない。まとも・・・であれば『今岡凪』という個を確立できなかった。


伏せていた瞼を持ち上げて、ひたすら無言で木の床に額を付けたまま罵倒され続ける青年をじっと見詰める。

自分の人生すら呆気なく弄ばれているのに、他人の人生を背負うような甲斐性はない。

自慢じゃないが、人型の生物としてこの世界の同年代の誰より虚弱だと自信がある。

踏襲された歴史を覆すには覚悟が足りない。凪の視線から見れば負の意味しかなくとも、長く受け継がれてきた法には後継者を護るというものも含められていた。

後継者を護るために影武者を立てるのは、おそらく珍しいことではないだろう。ここでリュールを退けたとしても、他の獣人が代理として立たされるのかもしれない。

目の前で偉そうにふんぞり返る狐の男も、国主とは言わずともそれなりの身分にあるのだろうし、彼らくらい高位の立場なら余程愚かじゃない限り容易に代えが利かないはずだ。

国を動かすのに凪のような一般人がある日ひょっこり現れても、目の前の顎鬚豊かな狐の男の代理となって役に立つはずがないし、狙われることもあるだろう。斃れたら国政が傾き、国が乱れれば最終的に国民が困る。

可能性を考え出したらきりはない。何が必要で、何が不要か。立場が違えば考えも違う。

この国の踏襲を、始祖と呼ばれた少女が作った法律を『悪』と言い切るにはこの国を知らな過ぎた。

そして全てを真っ向否定するには、目の前の『彼ら』の関係も、想いも、長年積み上げてきた何もかもを知らなさ過ぎた。

だからこそ何もせずに案山子のように突っ立って傍観していると、不意に廊下が騒がしくなる。

視線を向ければ、深々と頭を垂れている青年と瓜二つの容姿をしたイリア本人・・・・・がお付の子狐たちを引き連れてやってきた。



「父上」

「おお、イリアか。このようなところでどうした?お前には日の当たらぬ埃臭い場所は似合わんぞ」



リュールに見せていた表情とは百八十度違う満面の笑みを浮かべた男は、やはり双子の父親だったらしい。

軽く腕を広げて歓迎の意を見せる姿はどこにでもいる娘想いの父親にしか見えず、嫌でも今さっきまでの姿と比較してしまう。

誰かの代理として扱われる上に、空気を吸うのと同じ勢いで当たり前に目の前の光景が繰り広げられたなら、『これ』を父親と認識するのは難しいと思う。と、言うより最早親子の情より上下関係のほうが前面に来て成り立っているように見えた。

狐の一族は王家直系の、しかも第一子にのみ『白』が受け継がれる。遺伝の不思議など関係ない。唯一の例外が魂吾で、だからこそ替え玉制度が成り立っている。

おそらくこれは、凪も良く知る異界の神の気紛れなのだろう。

親子なのにどうして同じ色じゃないのか疑問に感じた瞬間、天啓のように閃いた答えは、否応なしに凪にそれを悟らせた。

しかし気紛れにしては悪趣味だ。これでは悪習にしか見えない法律を悪戯に助長させているようにしか見えない。

いや、もしかしたら敢えて助長させているのかもしれない。この世界を統率する神の考えなど、凪ごとき一般小市民では理解しかねる。

理解したときは色々な意味でひと皮剥けたときだろう。そのとき同じ自分でいるか自信もない。

今日も今日とてリュールと鏡合わせの美貌を持つ麗人の登場を眺めていると、僅かに整った眉を持ち上げた。



「父上こそどうしてここへ?この場は父上には似合わぬと思いますが」



リュールより余程はきはきした言い回しに、おや、と小首を傾げる。

彼女は父親が誇り臭いと称したのを肯定するでもなくさり気無く回避し、さらに自らの疑問と摩り替えた。

『父上』と呼びかける声はどこか甘い響きの癖に、彼を見る眼差しは優しくも柔らかくもない。

唇は緩やかに孤を描いているが、緋色の瞳は油断無く『父上』の動向を窺っている。

他人の凪にもわかるのに、と考え、軽く首を振った。他人の凪にも、ではなく他人だからこそ見えるのだ。

血縁関係、そして古くから伝わる因習。自らの身分の確立を信じて止まない狐の男は、灰色の瞳を嬉しげに細めた。

この視線はどこかで見覚えがあると顎に手をあて、ウィルが自分を見る視線と似てるのかと腰に手を当てて納得する。



「うむ、最近お前の影に異変が見られたと報告を受け、一応確認に参ったのだ。来月になればまた役立てねばならぬ場面があるというのに、腑抜けられては困るからの。可愛いお前に毛筋一つでも傷がつくと考えるとおちおち枕を高くすることも敵わん」

「───父上、私はまだ父上に指導を受ける立場にあり未熟なれど、国を負う責務は一人で果たせます。魂吾ゆえに同じ『白』を持つとしても、こやつと同じ立場でものを計るのを止めてくださいませ。私はこの制度を必要としていない」



上辺だけ受け止めれば、リュールを同等の位置に認めてないと聞こえる発言だ。

あれだけ気を許したように笑い合っていたキイとミイも、彼女の言い分に怒るでもなく粛々とした雰囲気で正座をして臣下の礼を取るばかり。

毎日繰り返された明るい朝食の場面も、一週間前の食事会の暖かな空気も、偽りだったのかと思うくらいに寒々しく冷えていた。

けれど、同時にこうも思う。彼女は本気で『弟』を厭うているのだろうか、と。

必要ないと切り捨てるには瞳に映る感情は揺らめいて、いらないと邪険にするには向ける眼差しが優しすぎる。



「それはならん。何度も言うが魂吾の制度は始祖様がお考えになった我ら『狐の一族』の不文律だ。いくらお前が時期国主だとしても、容易に覆されるものではない。それが数百年の間脈々と受け継がれる歴史だ」

「その者は最早私の魂吾ではございません」

「・・・どういう意味だ?」

「彼奴は私に対して重篤な秘密を抱えました。魂吾であり上位者の私にすら話せない内容の秘密を」

「なに・・・?」

「魂吾とは姉に対して絶対の服従を誓う弟のみに許される称号であり、立場です。最早彼奴は魂吾を名乗れぬ裏切り者。国の繁栄のためにも、追放は必須でありましょう」



さして大きなものではないが、良く通る強い声だ。胸を張って凛と背筋を伸ばす姿は勇ましく、格好いい。

酷薄な唇から飛び出るのは決別の言葉。口は滑らかに回っているものの、ゆっくりと背後に回ってみたら、床に額づいたままのリュールと同じか、それ以上に尻尾が毛羽立っていた。

背後に誰もいないと思うからこそ出た油断か、それとも抑えきれない感情の発露か。『イリア』にとって、『リュール』を切り捨てるのは決して容易な覚悟でないのだろう。

目の前の父親は娘の悲壮な覚悟にはどうやら気付いていないらしい。小さな子供をあやすようにして、娘想いの優しい父親として言葉を紡ぐ。



「依代。魂吾。忌み名───忌み子」

「っ」



ゆっくりと噛み締めるように並べれば、初めてびくりとリュールの身体が揺れた。



「その生涯を捧げつくして国家存続に役立てる、という名目の元、双子の姉の代用品・・・として生涯を終える。存在していてもいないのと同じ。誰に気づかれることもなく、功績を認められることもなく、ただゆうるりと人生を終える」

「・・・・・・」



謳うように、歌うように、五人の間を縫うようにして歩きながら囁く。床につけていた掌がぶるぶると震え始め、ぐっと拳を握り締めた。

『父親』にいくら罵られても見せなかった反応に嘆息する。つまりもう、彼の中で結論は出ているのだろう。

リュールはどれだけ罵倒されようと、嘲られようと、『父親』の言葉に反応しない。彼の中で『親子』の関係は終わってしまっている。だから反論も反応も必要ないのだ。

だが『姉』は違う。リュールは確かにイリアを尊敬し、敬っていた。嬉しげな口調で彼女を語る姿に嘘はなく、きらきらとした瞳で喜色に塗れていた。

そんな彼女に突かれたから、動揺して心を許す『姉』に『凪』の存在を匂わせた。今まで隠し事一つなかったのに、『隠し事を持った』と内緒話をするようにひっそりと打ち明けた。

きっとあれはリュールの密やかな反抗心であり、唯一の『姉』に対する甘えだったのだろう。


───凪は他人の人生の責任なんて負えない。

虚弱で運動音痴で地味に運が悪く、ついでに最近実感するに至ったトラブルメーカーというのも認めてもいい。

ともかく誰かの面倒を見るなんて条件的に無理だし、現在進行形で面倒を見なければいけないはずのガーヴも放置している。

国の因果を崩すなんて国家反逆罪とも呼べる内容を軽々行うほど胆力は座ってない上に、基本的にネガティブだ。

だが、それでも、一宿一飯どころか二週間にもわたり衣食を保障してくれた相手を、足蹴にして砂をかける真似をするのも難しかった。


他人の人生を左右するような選択肢が、ここ最近で多すぎる。

頼むからこれ以上増えないでくれと内心で強烈に祈りながら、なるべく軽い口調を心がけた。

たとえるなら明日の天気は晴れでしょうかと、近所の人に問いかけるくらいの気安さだろうか。

我ながら意味が判らないと渋面を浮かべ、やはり普通にしようと考え直した。



「ここで人生の選択肢です」

「・・・」

「衣食住を保障された黄金の籠で誰かの『代理』として飼い殺されるか。自由を求めて地べたを這い蹲り自らの力で『自分』として生きていくか。三十秒で決めてください」



ひたすら沈黙を貫いて動かぬようにしていたリュールは、思わずとばかりに面を上げた。時代劇めいた言い方だけど、本当にそんな感じだった。

切れ長の一重の瞳を限界まで見開いて、これ凪が立てた三本の指をじっと見詰める。

接客時以外は決して愛想がいいと言えない自分としては精一杯の微笑みを浮かべると、信じられないとばかりにゆるゆると首を振った。

ただの一般市民である『今岡凪』にはリュールを連れ出す力はない。

だが虎の威を借る狐ならぬ、神の力を借りる『愛し子』作戦は、好奇心旺盛な彼の興を引けばおそらく成功するだろう。

とても他力本願な作戦の立て方の上、極めて計画性がなく穴ぼこだらけだ。耕した畑にモグラ一家が大勢で住んでるような、酷く地盤が緩い提案。

伸るか反るかはリュール次第で、強制も強要もする気はない。それでも多分彼にとって一番最初で、もしかしたら最後になるかも知れない『人生の選択肢』だろう。

秒数を口頭で数えつつ立てた指をゆっくりと折る。『ゼロ』と口に出す前に、吐息に紛れて返答を囁いた。

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